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ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

由来が知りたい!…夫入道池

2024-03-24 06:59:11 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡久米南町南庄(くめなんちょう みなみしょう)にある旭川(あさひがわ)水系誕生寺川の夫入道池(ぶにゅうどういけ)を目指します。アクセスは前回記事にした水越池のすぐ下を通る道を進んでいくと到着します。ただし、この道はとても細いので要注意。

対向車が来ないことを祈りつつ進んでいくと無事到着。これが左岸から見た、いわゆるダム上になります。

下流側の斜面の様子。

池側から見るとこんな感じ。

ダム上を進んでみます。中央のガードレールの隙間には「地蔵菩薩」と記された石碑が…。

そこから池を眺めます。

一方、下流方向の遠景。

右岸側には洪水吐があります。一応越流式のようです。

洪水吐の上に架かる橋の名は「夫入道池橋」で、昭和57年(1982年)3月竣工だそうです。


洪水吐から溢れ出た水は、この水路を通ってあちらへ流れていきます。

右岸、池側から見た洪水吐の様子。

そして、左岸側を見るとこんな感じ。

右岸、下流側から改めて堤の傾斜を眺めます。こう見ると、やはり高さがあるなあと思ったり…。


ここが夫入道池であるのは間違いないんですが、諸元を示すものは見当たりません。そこでダム便覧を見ると、夫入道池は1900年に着工し、1919年に竣工した高さ=15.0m、長さ=67.0mのアースダムとあります(参考)。しかし、池名の由来は記されていません。ネットを検索しても由来についてはわからずじまい。うーん、気になります。

次回、岡山県に行った際に近所の人にでも聞こうかしらん。
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昭和末期に改修された水越池

2024-03-23 06:52:09 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡久米南町北庄(くめなんちょう きたしょう)を流れる旭川水系誕生寺川に築造された水越池を訪れます。アクセスは前回の記事で書いた誕生寺に突き当たったら左へ曲がり、そのまま県道376号を進んでいくと到着します。

到着しました。県道から見るとこんな景色。

近くには「水越池改築記念碑」があり、

その裏側には改築の経緯が簡単に記されています。

転記すると、以下の通り。
「此溜池は大正末期から昭和の始め、誕生寺耕地整理組合二区として増改築されたが、堤塘破止石垣の老朽と一部漏水もあり、昭和五十九年度小規模老朽溜池工事として県と町の助成を仰ぎ、工費壱阡五百余円をもって無事完工されたものである。
   昭和六十年三月吉日  水越池受益者一同」

とりあえず、いわゆるダム上に向かいます。これがダム上。

その、ほぼ中央から池を見るとこんな感じ。

一方、下流側の景色。棚田があるのが見えますね。先ほどの石碑から推察するに、水越池はこうした棚田のために築造されたものであるのがわかります。

一応、ここが右岸に相当する場所ですが、そこには謎の石碑が…。これは水神様かな?

その背後には洪水吐があり、池から溢れた水は、


この水路を通って下流へ向かいます。水路の左側の堤はダム上から繋がっていて、それが水路の堤防のような役割を果たしています。

その堤の端から池を眺めるとこんな感じ。

ついでに左岸側の下付近からはこんな感じに見えます。


水越池はダム便覧に登録されています。その諸元を見ると、上に見た石碑にあるように大正時代に築造されたものであるのは確かで、高さ=16.0m、長さ=79.0mのアースダムだそうです(参考)。それにしても、水越の由来はなんでしょうね。ここの地名でしょうか。
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下流の棚田のために…神田池

2024-03-22 06:58:40 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回訪問するのは岡山県久米郡久米南町北庄(くめぐん くめなんちょう きたしょう)を流れる旭川(あさひがわ)水系誕生寺川に築造された神田池。池の名称はそこの地名に由来します。アクセスは国道53号の「誕生寺」信号を西方向へ。そのまま県道376号を進むと誕生寺に突き当たるのでそれを右折し、道なりに進んでいくと目的地の左岸に到着します。

見えてきました。あれのようですね。右岸側に洪水吐がある立派なつくりです。

到着です。左岸から見た傾斜具合。

池側から見るとこんな感じ。

これが、いわゆるダム上になります。歩いてみましょう。

中央付近から見た池側の景色。

一方、下流側はこんな様子です。

右岸側にある洪水吐の水路の様子。

その水路の上を渡り、右岸から左岸を見るとこんな感じです。

右岸の池側から見た様子。

ふと足下を見ると小さなお地蔵様が…。水神様かな?「明治37年(1904年)1月建之」と刻まれているので神田池が築造されたのはこの頃なのでしょうか。


付近には案内板などはありません。ダム便覧によると神田池は1899年に完成した高さ=19.3m、長さ=127.0mのアースダムだそうです(参考)。でも典拠はどこなんでしょうね。もしこれが本当なら水神様は神田池が築造された5年後に作られたことになります。
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築造の目的は?…本山池

2024-03-21 06:55:17 | 岡山(ダム/堰堤)

どーも、ワシです。今回は岡山県久米郡美咲町定宗(くめぐん みさきちょう さだむね)にある吉井川水系本山川(ほんざんかわ)に築造された本山池を訪れます。ダム名は本山川に築造されたことによるのか、もしくはこの上流にある岩間山本山寺に由来するのかは不明。アクセスは県道52号沿いにある「本山寺」の表示に従って坂道を進み、道路の左側に最初に現われるガードレールが目印です。

なぜそれが目印なのかというと、本山池は道からは見えないから。で、ガードレールの端の小道を下っていくと目的地が見えてくるんです。

左岸の、いわゆるダム横に来ました。うわっ、決壊してる!…いえいえ、そうじゃありません。そういう構造らしい。

いわゆるダム上へ行くには川の中にある飛び石を渡ります。たまたまこの時は水量が少なかったので行けました。そして、中央付近から見た上流側の景色はこんな感じ。写真は逆光のため暗く見えますが、実際にはもっと明るいです。

池の下と遠景はこんな感じ。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸から傾斜の様子をご覧ください。

じゃあってんで、左岸からも撮ってみます。


左岸側にある流水路。石が緩やかな傾斜で敷き詰められて並んでいます。これも越流式といえるんでしょうかねえ。


さて、本山池には公式サイトはなく、諸元は不明。ダム便覧によれば、高さが20.4m、長さが72.0mのアースダムで1920年に着工し、1939年に竣工したとあります。(参考

でも、気になるのは何を目的とした池なんでしょうね。農業用にしてはほったらかし状態のようだし…。
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農業用に築造…長原ダム

2024-03-20 06:54:59 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。いや~、ここ半年くらいは諸事情で県内のダム関連施設だけを回っていましたが、さすがに遠くへ行きたくなりました。そこで、途中になっていた岡山県のダム巡りの続きをやろうと奮起。でも、まとまった時間もなく、天気の状況も考慮した結果、日帰り巡りとなりました。それにしても、あちこち回って日帰りで1,300kmは疲れましたよ!

ま、そんなこちらの事情はさておき、最初に訪れたのは岡山県久米郡美咲町越尾(くめぐん みさきちょう こよお)にある吉井川水系新城川に築造された長原ダム。ダム名はここの地名に由来します。アクセスは県道352号と新城川が交差する落合橋の右岸側の道を登っていくと到着します。

この道を進んでいくとダムの右岸に到着するのですが、まずはダム下へ行って「御尊顔」を拝みます。写真右側に見えるのは洪水吐の水路です。

ダム下に見えるクリーム色の建物は長原揚水機場。


では、続いて右岸のダム横へ行ってみます。おー、ダム下から見るよりも大きく、迫力があります。

上流側から見るとこんな感じ。

ダム上です。行ってみましょう。

ダム上、中央から見たダム湖の様子。

一方、ダム下はこんな感じ。先ほどの揚水機場が見えますね。

そして、下流方向の遠景。

洪水吐は左岸側にあり、ダム湖から溢れ出た水はこの水路を通って下流へ向かいます。

左岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。ガードレールの下が洪水吐の水路になっています。

グーグル先生の地図や国土地理院の地図には「長原ダム」という表記はありますが、当該ダムに表示板はありません。しかし、訪れた時は補修工事の期間らしく、「安心安全の長原ダム」の看板が!確かに安心しました(笑)ただし、訪れた時間は早朝だったため、まだ工事は開始されておらずラッキー。

左岸、上流側から見るとこんな感じ。

すぐ近くにはほとんど廃棄されかけている表示板が。そこには「県営農地開発事業」とか「農業基盤整備事業」の文字が見えることから当該ダムは農業用に築造された県営ダムであることがわかります。

左岸側にあるこの建物は管理所でしょうか。その表示もなく、まるで住宅のよう。

その付近から見たダムの様子。橋の下に越流式の洪水吐があるのがわかりますね。


長原ダムには公式サイトがないので諸元はわかりません。ダム便覧によれば、高さは27.0m、長さは101.8mのロックフィルダムで、1971年に岡山県により着工され、1981年に竣工したそうな。(参考

ほぉ〜。
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若々しい!…高瀬川ダム

2023-06-03 06:57:47 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市神郷釜村(にいみし しんごうかまむら)にある高梁川水系の高瀬川ダムを目指します。アクセスは県道8号から「神郷温泉・高瀬湖畔キャンプ場」の表示のあるT字路を入り、道なりに進んで行くと到着します。

左岸に到着しました。こんなダムです。

近くには「高瀬川ダム竣功記念碑」と刻まれた石碑があります。

裏側には昭和57年3月竣功の文字。1982年3月ですね。

左岸、ダム横には案内板。定礎は昭和54年(1979年)6月。当該ダムは高梁川総合開発事業のうち西川治水計画の一環として洪水調節、流水の正常な機能維持のために築造されたもので、建設着工は1976年4月で、竣功は1982年3月。3つの特徴があり、第一は昭和55年9月にエネルギー適正利用化事業が創設され、ダム管理用水力発電設備が設置された全国初のダムであること。第二にダム本体のコンクリートに石灰岩が使用されていること。第三の特徴は洪水調節においてゲートの調節を行なわない自動調節方式(穴あきダム方式)で、岡山県では加賀郡にある鳴滝ダム(未見)もそうらしい。

なお、この案内板では左岸の住所が「岡山県阿哲郡神郷町」と記されていますが、阿哲郡(あてつぐん)は1900年4月1日に哲多郡(てつたぐん)と阿賀郡(あかぐん)の一部が合併して発足。郡下多くの町村が属していましたが、1954年6月1日にそのうちの新見町、美穀村、石蟹郷村、草間村、豊永村、熊谷村、菅生村、上市町(かみいちちょう)が合併して新見市が誕生します。そして2005年3月31日に同郡に属していた大佐町(おおさちょう)、神郷町(しんごうちょう)、哲多町(てつたちょう)、哲西町(てっせいちょう)が新たに新見市に合併したことで阿哲郡に属する町村がなくなり、同日阿哲郡は消滅。つまりこの案内板で阿哲郡神郷町と記載されているのはこの地がまだ新見市になる前だったためで、現在は上に記した住所になります。

左岸の貯水側にある建物は管理所のようですが、それを示すものはありません。

そこからダムはこんな風に見えます。

では、ダム上を歩いてみましょう。

左岸の、いわゆる親柱には「高瀬川」「高瀬川ダム」のプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央付近から右岸側を見るとカーブしているように見えるので、ん?このダムはアーチ式かな?と思いますがそうではなく重力式コンクリートダムで、右岸側で少し曲がっているだけです。

貯水側はこんな景色。

67.0mの高さからダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。ダム上の長さは273.5mで、まあまあ長いです。

「たかせがわだむ」…ダム名を平仮名で書くとなんだか可愛いね。

竣功年月の記されたプレート。

右岸から見た貯水側の様子。

右岸、下流側から見たダムの様子。


完成して今年で41年目のダムですが、ダム本体に石灰石を使用しているためなのか劣化が目立たず若々しい感じです。
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湖底に眠る遺跡…三室川ダム

2023-06-02 06:55:35 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市神郷油野(にいみし しんごうゆの)にある高梁川水系の三室川(みむろがわ)ダムを目指します。アクセスは国道182号沿いにある「神郷温泉」の看板のあるT字路を入り、県道8号を進みます。そしてしばらく行き、「←三室峡」の看板のあるT字路を入り県道12号を道なりに進んで行くと目的地に到着します。

【新見の由来】(参考
ところで、新見の由来が気になったので調べてみました。「新」は赤土を意味する「丹」に由来し、「見」は場所を意味するそうな。つまり赤土がある場所なので「新見」という地名になったようです。実際、現在の新見市は明治時代初期まで製鉄業が盛んだったそうな。あ、そういえば、以前訪れた「丹」とか「丹生」のつくダム(例えば千葉県南房総市の丹生堰など)のある場所も似たような由来でしたね。

そんなわけで、ど〜ん!到着しました。こんなダムです。

左岸、ダム横には三室川ダムの概要を示す案内板があります。それによると、当該ダムは洪水調節、流水の正常な機能維持、上水道用水そして発電を目的とした多目的ダムで、昭和52年(1977年)4月に予備調査を開始し、平成3年4月建設事業に着手、そして平成18年(2006年)3月に建設工事が完了したそうな。高さ74.5m、長さ231.0mの重力式コンクリートダム。


隣の案内板には近隣の子供たちが三室川ダムのコンクリート打設完了式(2004年8月3日)に合わせて夢と希望を込めたタイムカプセルを埋めたことが記されています。

ダム横には「三室川ダム竣工記念碑」(2006年3月)と刻まれた石碑があります。

左岸、上流側にある建物は三室川ダム管理所。


管理所付近から見たダムの様子。

ダム湖名は「しゃくなげ湖」。


三室川流域は鎌倉時代頃から江戸時代末期まで製鉄業が営まれていたそうで、ダム建設にあたり1996年から翌年にかけて水没予定地で発掘調査をしたところ「大成山たたら」と呼ばれる遺跡群が見つかりました。「たたら」は製鉄する際に使用されるフイゴのことで、詳細についてはコチラをお読みください。

保存された遺跡の一例。


では、ダム上を歩いてみましょう。

その左右には「三室川ダム」「三室川」と刻まれた石碑が置かれています。


定礎は2002年11月。


ダム中央にある取水ゲート類は2005年3月に設置されたもの。

ダム上、中央から見た「しゃくなげ湖」の様子。

一方、ダムの真下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側からダムを眺めます。


完成して今年で17年目を迎えるダムですが、まだまだ初々しさが残っている感じでした。
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工業発展のために…河本ダム

2023-06-01 06:59:32 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県新見市金谷(にいみし かなや)にある高梁川水系の河本(こうもと)ダムを目指します。アクセスは県道33号の正田トンネル手前の脇道を本郷川沿いに入り、二ツ目の橋を左へ入ります。そしてそのまま道なりに進んで行くと目的地の右岸に到着します。

まずはダム下へ行って「ご尊顔」を拝みます。訪れた日は絶賛放流中でした。

副ダムの様子。

右岸にやってきました。

右岸から見たダム上。歩いてみましょう。

ダム本体には「高梁川水系 西川」「河本ダム」と書かれたプレートが嵌め込まれています。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。

ダム下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

竣功は昭和38年(1963年)12月で、

この場所に知事の名前が記されているのは珍しいかも…。

左岸、ダム横から下流側を眺めます。

左岸の壁面には概要と諸元が記されたプレートが嵌め込まれています。それによれば、河本ダムは水島工業地帯への工業用水の供給、洪水調節、発電を目的とした県営の多目的ダムで、昭和36年4月1日に着工し、昭和38年(1963年)12月に完成した高さ64.0m、長さ258.0mの中空重力式コンクリートダムだそうです。

左岸の上流側には河本ダム管理事務所があり、


そこには水利使用許可標識が貼られています。これは水力発電のための標識ですね。

その付近から見たダムの様子。

そして、もと来た道を戻ろうと右岸の道を下ろうとしたら、そこには慰霊碑が。

下部には13人の名前が刻まれています。おそらくダム建設中、不幸にして亡くなられた方々なのでしょう。合掌。


地域の工業発展と災害防止のために活躍するダムなんですね。
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新成羽川ダムへ流入…湯野ダム

2023-05-31 06:53:44 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県高梁市備中町西油野(たかはしし びっちゅうちょう にしゆの)にある高梁川水系の湯野ダムを目指します。アクセスは県道438号から入って行くんですが、その入口には何の目印もないので説明するのは難しいんです。しいて言えば白いガードレールのあるところを入って行くって感じ。(説明になってませんね)

とにかく山の中にあるので到達難易度は高いです。で、心細くなりながらも到着。右岸側に洪水吐のあるダムです。

ダム横周辺には案内板などはありません。ただ、県道から入ってしばらくのところにこんな表示板があり、ダム名の由来は湯野地区に築造されたダムということのようですね。

右岸、貯水側から見たダムの様子。

これがダム上です。行ってみましょう。

上にも書いたように左岸側に越流式の洪水吐があり、溢れた水はこの水路を通って、

あちらへ流れてゆきます。その川は正信川(しょうのぶがわ)と言い、昨日記事にした新成羽川ダムへ流れ込みます。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、ダム下はこんな感じ。あの建物は管理所かな?そこへ行く道が険しかったので行きませんでしたが。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸から見た貯水側の様子。

同じところから下流側を眺めます。


ダム周辺に案内図はありませんが、ダム便覧によれば高さ20.9m、長さ71.5mのロックフィルダムで、1975年に竣工したと記されています。でも、出典はどこなんだろう。ダム下の管理所らしきところに書かれているんでしょうか。
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上部調整池として…新成羽川ダム

2023-05-30 06:58:48 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県高梁市備中町西油野(たかはしし びっちゅうちょう にしゆの)にある高梁川水系の新成羽川(しんなりわがわ)ダムを目指します。アクセスは成羽川沿いを走る県道107号を行くと到着します。

これですね。

左岸側には水利使用標識があります。

左岸、貯水側には慰霊碑が…。表側には16人の名が刻まれています。


裏側には「碑文」が記されていて、転記すると

「この地に揚水を採用した発電に合わせ工業用水の安定確保をはかる目的のため、昭和39年8月新成羽川・田原・黒鳥発電所建設の工を起し、今日その完成にいたったが、本工事期間中不慮の災害により表記16柱の尊い殉職者に対しては誠に遺憾にたえない。よってここにこの碑を建立し、殉職せられた諸氏のめい福を祈る。
  昭和44年7月
     中国電力株式会社」

つまり、この慰霊碑は新成羽川ダム(発電所)建設に限らず、下流の田原・黒鳥発電所の建設に際して亡くなられた、いわば合同慰霊碑というわけですね。

その付近からダムを見るとこんな感じ。

これがダム上。行ってみましょう。

ダム本体には「昭和43年(1968年)11月竣工」と記されています。

ダムの中央にある各ゲートに関するプレート。どのゲートも1986年3月とあるのでその時期に改修工事が行なわれたものと思われます。

ダム上、中央から見た成羽川上流方向の景色。これが新成羽川発電所の上部貯水池になっています。

一方、ダムの真下はこんな感じで、高さは103m。

下流側の遠景。この下流に昨日記事にした田原ダムがあり、そこで貯められた水が揚水発電として使用されます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。当該ダムがアーチ式であるのがわかりますね。長さは289m。

ダム本体に嵌め込まれた「新成羽川ダム」のプレート。

右岸、貯水側から見たダムの様子。

そして、右岸の下流側から見るとこんな感じ。うん、これも絵になります。

右岸、下流側に歩いて行くと管理所らしき建物がありますが、フェンスがあって行けず。


ダム近辺には案内板はありません。ただ、慰霊碑の碑文からわかるのは、当該ダムは新成羽川発電所の上部貯水池で、下流の田原ダムが下部貯水池として揚水発電をするものであること。それにしても、成羽川に設置されている発電所なのに「新」と付くのはなぜなんでしょうね。調べてみると、どうやら新成羽川発電所ができる前に実は「成羽川発電所」というのがあったようで、新成羽川発電所の完成により成羽川発電所は廃止され、現在はありません。(参考
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下部貯水池らしいよ…田原ダム

2023-05-29 06:57:19 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県高梁市備中町東油野(たかはしし びっちゅうちょう ひがしゆの)にある高梁川水系の田原(たばら)ダムを目指します。アクセスは県道33号から県道107号に入り、しばらく行くと到着します。

到着しました。こんなダムです。訪れた前日までに降った雨により勢いよく放流していました。

県道107号を上ってくるとダムの左岸に辿り着くのですが、左岸側は木がたくさん繁っていてダムがよく見えません。

左岸のダム横近くには水利使用標識があります。発電を目的としたダムのようです。

左岸から見たダム上。

田原ダムが昭和43年(1968年)11月竣工を示すプレート。ちなみにダム名は左岸ダム横の地名に由来します。


ダム上、中央から見た成羽川(なりわがわ)上流方向の景色。

一方、下流側を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。写真左側の建物は管理所のようですが、それを示すものはありません。

右岸にも左岸と同じプレートが嵌め込まれています。

右岸、貯水側から見たダムの様子。


現場には何の説明もないのですが、どうやらここは上流にある新成羽川発電所の下部貯水池のようです(参考)。詳しくは次回記事にする新成羽川ダムで書こうと思います。
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黒鳥発電所のための…黒鳥ダム

2023-05-26 06:59:34 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県高梁市備中町長屋(たかはしし びっちゅうちょう ながや)にある高梁川水系の黒鳥(くろどり)ダムを目指します。アクセスは成羽川(なりわがわ)沿いを走る県道33号沿いにあるので迷うことはありません。

では、右岸から「ご尊顔」を眺めてみましょう。

右岸、ダム横に来ました。

当該ダムは中国電力の黒鳥発電所のために築造されたもので、昭和43年(1968年)11月竣工。リンク先のデータによれば、高さは15.5mで、長さは122.0mだそうです。

ダム名はもちろん同発電所の名称に由来するものですが、そもそもは発電所のある右岸側の地名から命名したもののようです。

近くには水利使用標識と、

義務放流量管理図があります。

では、ダムの管理橋を歩いてみることにしましょう。ダム本体に貼られている洪水吐ゲートのプレート。竣工の二ヶ月前の1968年9月に設置されました。

管理橋の中央から見た成羽川上流方向の景色。

一方、下流側を眺めます。向こうに見える道路は県道33号です。

対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

左岸、上流側から見たダムの様子。

同、下流側からダムを眺めます。


ところで、右岸の県道33号をダム横から少し上流へ行ったところには「頌徳」と刻まれた石碑があります。そこには備中町の初代町長を務めた小田武雄(1908-1989)の功績が綴られています。

小田武雄の経歴についてはネットで検索してもほとんどヒットしないので、碑文を転記しておきます。

「   正六位 初代備中町長 小田武雄之碑
    勲五等
 小田武雄氏は明治四拾壱年壱月壱日旧湯野村大字西山に生まれ早稲田大学を卒業後、兵庫県、厚生省等に勤務の後帰郷され昭和参拾壱年三カ村合併により誕生した備中町(※)の初代町長に選ばれ爾来五期弐拾年の永きにわたりその重任にあたられた。
 氏は温厚誠実、清廉潔白な性格を身上とし洞察力にすぐれ卓抜なる識見と指導力により備中町建設基本計画のもと新町の基盤づくりのため教育施設の整備、農林業等生産基盤の整備 道路網の整備等合併後の地域の均衡ある発展に全力を傾注された
 特に合併時、県下初のブルドーザーの導入による道路網の整備を最重点課題に進められた。
 更に新成羽川ダム 新岡山変電所の建設に際しては企業と関係住民の調整に努め 至難といわれた事業を完成に導かれた。このほか数々の御功績を残し退職された。
 平成元年六月拾七日逝去され国は永年にわたり地方自治の育成発展に貢献された功績により正六位勲五等双光旭日章に叙しその功績を称えた。
 今その徳を偲んで有志相寄り、広く関係者の共鳴を得て頌徳碑を建立し後世にその名を残すものである。
    平成六年拾弐月吉日  備中町長 武並昭二 撰」

(※)備中町は昭和31年(1956年)9月30日に川上郡の富家村(ふうかそん)、平川村(ひらかわそん)、湯野村(ゆのそん)が合併して誕生。その後、平成16年(2004年)10月1日に高梁市、上房郡有漢町(じょうぼうぐんうかんちょう)、川上郡成羽町(かわかみぐんなりわちょう)、川上町(かわかみちょう)との対等合併により新たに高梁市となり現在に至る。

その付近から黒鳥ダムはこんな感じに見えます。
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灌漑に特化!…大竹ダム

2023-05-25 06:57:14 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県高梁市川上町上大竹(たかはしし かわかみちょう かみおおたけ)にある高梁川水系の大竹ダムを目指します。アクセスは県道294号から本谷川の左岸の道を進んで行くと到着します。

これですね。治水ダムのようです。

ダム上は後回しにして、先に左岸の少し上流側に行ってみます。すると、そこには「県営川上地区かんがい排水事業 竣工記念碑」と刻まれた石碑がありました。

裏側には昭和59年(1984年)6月建立と記されています。

その隣には同排水事業の概要を記した石碑が。これによると、大竹ダムは高さ26.9m、長さ96.8mの直線型重力式コンクリートダムだそうです。

では、ダム上を歩いてみることにします。

大竹ダムは本谷川を堰き止めて築造されたもので、


ダム上、中央から貯水側を眺めるとこんな感じ。

一方、ダムの真下を覗き込み、

下流側の遠景を眺めます。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

こちら側の親柱には「昭和55年(1980年)7月竣功」「岡山県」のプレートが嵌め込まれています。


右岸、貯水側から見たダムの様子。

同、下流側から見るとこんな感じです。

右岸の壁面に目をやると、小さなプレートが…。

近寄ってみると、「大竹ダム 1980年7月 〜」のプレートでした。そんな片隅に貼らなくてもいいのに。なんと奥ゆかしい!


岡山県の県営ダムのようですが、特にこれといった特徴のない治水ダムでした。
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「みどりちゃん」の正体は?…明治ダム

2023-05-24 06:50:10 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県井原市芳井町池谷(いばらし よしいちょう いけだに)にある高梁川水系の明治ダムを目指します。アクセスは県道9号沿いに「明治ダム 水辺の広場2.8km→」の表示があるT字路を入り梅木川に沿って進んで行くと、今度は「明治ダム 水辺の広場0.4km→」の看板が見えてくるので、そこを入って行くと到着します。

「あれっ、どういうこと?」…これはワシの心の声です。というのも、「大正池」「昭和池」と巡ってきたので今回の明治ダムはさぞや古いアースダムだろうとハナから思い込んでいたからです。思い込みって怖いねえ。

多少頭が混乱しつつ、ダム横に到着。そこには明治ダム周辺案内図がありました。

近くにある石碑。「県営畑地帯総合土地改良事業 明治地区 竣工記念碑」と刻まれています。

石碑のショルダー部分には「平成九年三月建立」の文字。なんだかオシャレですね。

裏側には概要が記されていて、同事業は岡山県が主体となり、工事は昭和49年(1974年)から平成8年(1996年)にかけて行なわれたもので、明治ダムは高さ33.4mとあります。

そこから見た明治ダムの様子。前日まで降っていた雨の影響で水は黄土色に濁っていました。

この土地改良事業は農水省の補助事業でもあり、ダム名が明治なのは、ここが明治地区だからのようです。明治とあればどうしても明治時代をイメージするし、明治時代に築造されたダムと思っちゃいますよね。もちろんこれも先入観なんですが…。

明治ダム計画概要。諸元の項目の「位置」を見ると「後月郡芳井町池谷地内」とありますが、後月郡(しつきぐん)という名称は大宝律令(701年)以後には既に存在していたようで、1878年に郡区町村編成法の施行により行政区画として後月郡が発足。そのエリアは現在の井原市のそれに相当していました。しかし2005年3月1日に芳井町が井原市に編入したことにより後月郡は消滅しています。つまりダムが完成した時期、ここはまだ後月郡芳井町だったというわけです。

では、ダム上を歩いてみることにしましょう。

定礎は1989年5月で、明治ダムが横尾谷川を堰き止めて築造されたことがわかります。そして、いわゆる親柱に相当するところには「みどりちゃん」というキャラクターが乗っかってますが、その正体・由来はわかりません。

こちらは「ごんぼうくん」ですが、これは芳井町の地域特産物である「明治ごんぼう」から生まれたキャラクターのようです。

ダム上、中央から見た貯水側の景色。

一方、ダムの真下を見下ろすとこんな感じで、

下流側の遠景はこんな眺めです。

右岸の山肌には「明治ダム」の文字。

ちょっと高台には明治ダム管理事務所があります。


右岸から左岸を眺めるとこんな感じ。明治ダム自体は1991年3月に竣工したようですね。

右岸、貯水側から見たダムの様子。

右岸の管理事務所からはこんな風にダムが見えます。

別の道からダム下へ行ってみました。

魚の鱗のように流れ落ちる水。涼しげ〜。

それが副ダムに貯まってから

下流の梅木川へ向かって流れてゆきます。


治水ダムのようですが、明治ダム築造の経緯を記した案内板がないのが惜しいところです。それに「みどりちゃん」ってなんやねん!
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井原市芳井町の昭和池(堰堤)

2023-05-23 06:59:14 | 岡山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は岡山県井原市芳井町天神山(いばらし よしいちょう てんじんやま)にある高梁川水系の昭和池を目指します。ところがこの昭和池はグーグル先生の地図に載っているんですが、そこへ至る道が出ていません。うーむ、どうするか…。念のため国土地理院の地図を見ると、ちゃんと道が出ています。それならば行けるかもしれない…。

…というわけで、到着しましたよ。これですね。アースダムのようです。

ここが昭和池である証拠は左岸のダム横にあります。「昭和池竣成記念碑」がそれで、ご覧のように昭和11年3月に起工し、昭和13年(1938年)3月竣工と記されています。

左岸の貯水側からダムを眺めます。

そしてこれが左岸から見たダム上。歩いてみましょう。

ダム上、中央から見た昭和池の様子。

一方、下流側はこんな景色。

洪水吐というか排水路は右岸側にあります。

右岸から左岸を見るとこんな感じ。

右岸から下流側を眺めます。なだらかな傾斜という感じですね。


それにしても印象としては小ぶりな感じです。諸元が気になるので案内板を探すも見つからず。そこで、岡山県によるため池データベース(参考)で確認してみることに。それによると、あらら、高さは14.4mで、長さは47.0mと記されているじゃないですか!これだとダムの定義からすれば高さが15.0m未満なのでダムではなく堰堤になります。でも、なぜかダム便覧には載っているんですよね(参考)。どーしてなんだろうか。そのデータを見ると高さは15.0mで、長さは46.0mと記載されているんです。ああ、だからダム便覧に載っているんですね。それにしてもダム便覧のこのデータの出典はどこなんでしょうか。なんだか高さを無理やり15.0mにしたような気もします。しかし、岡山県のデータベースを信用するならば、これは明らかに数値詐称であり、ダム便覧に載せるべきじゃないですね。

最後にアクセスのための地図を載せておきます。確かに道はあるんですが、未舗装でかつ細いのでアクセス難易度は高いかもしれません。地図上の昭和池は写真中央の➕のところで、未舗装路の入口は写真右下のカーソルのところです。参考までに。
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