湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/15 無事申告済ませ、活動再開。まずはビッグイシューから。

2018-03-16 04:24:44 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/15 記
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馬鹿な話だが無事申告が済んでホッとしている。帰りにビッグイシューの販売員さんから私が抱える分を買い込んで、さっそく個人購読者さんの分を巡回配布した。熱っぽい麻*・安*批判を語るので、少々うんざりした。こういう発熱は、したことがない。野球のファンの熱狂も嫌だった。政権の私物化という認識は同意するし、若いときデモにも参加した。しかし、組んだ隣の腕の間で、私が何をなすべきか(たとえひとりでも)を問う私が対話する相手ではない気が常につきまとっていて、話せばステレオタイプな応答が返ってくるだけだった。炎天下で凍え死ぬようなそんな思いを配布相手に感じていた。まとまらなければ力にならない。しかし、つまらなさも同時に感じていたのだ。

夕食の買い物を済ませ、急ぎ帰宅したのだが、母がベッド下にうずくまっていたのに、肝を冷やした。母は寝具カバーのほつれを直していたのだった。兎に角、安心したら睡魔が襲ってきて、2時間爆睡。

今日の収穫は、以前から活動に注目していた石巻の長純一氏と繋がれたこと。NHKの番組に出ていて、若月俊一氏のお弟子さんとわかり、納得。

やっと本腰いれられるので「地元ティーンズの防災絆教室」を年数回のイメージで始められるよう動きを再開させる。

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大田区の首都直下型地震対策の研修会に参加したことで、一通のメールをいただいた。昔、私は区内の塾運営に関係していて、そのころ某小PTAと話し合ったことがあって、当時の民生委員さんだった方。私を覚えてくださっていた。突然、研修会で私が発言したので、びっくりしたのだそうだ。どこに行っても何らかの知り合いが出てくるのだなあと感心した。

大田区もまた古い家並みの地区があって、延焼火災対策が進まないことやら、新築マンション地区やらで地域差があって、一律に論じるのは無理だが、では地区で話し合えるかというと、なかなか話が成り立たないというどこも同じ悩みを吐露されていた。この方は結局は学校が鍵だと論じられていた。

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明日はサポセンで用事を済ませ、歯医者。ビッグイシュー配布。社協筋への「研修会5月実行委」についてと、医療ケアの必要な障碍者の防災懇話会打診再開。

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藤沢Daieiで買い物後,すぐそばの「どん吉」で食事をした。そのとき「冷奴」を食べたのだが、店員が一緒に持ってきたのが「ゆずぽん」。かけたことが無かったが、天ぷらの油切りに、なかなか合う。ちょっと感心。応用出来そうだ。

夜間傾聴:++君(パチンコ店前環境整備係、1か月を超えたとか。火水木休、10am~3pm 最賃)なかなかではないか。店内のあの音は無理だね。

(校正1回目済み)


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今年の泥縄、間に合いました/明日から活動再開できるぞと

2018-03-15 06:14:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/14 記
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全く毎年お恥ずかしい次第で、複数収入者の確定申告の泥縄作業があるのです。教材屋の入試情報の仕事と時期が重なるのが、原因。なんとか滑り込んだが、この日、墓参がからむ。母が行きたいというのをお彼岸にしようと、無理やり説得。融通の利かなさが出てきて、歳を感じてしまうことしばしば。

そんなことで、同業者との話で話題になったのが、講師職定年退職後、結構草葉の陰の奴がいる。生活激変と同志者喪失がでかいのだろうなと私が言うと、ばかだな、奥さんだよとたしなめられた。講師職をしていた輩は大概突っ込んでいるテーマを持っていて、退職後はぬれ落ち葉よりはいいけれど、金にならないことをまだやる気かともそり、強烈なパンチを食らう。やめると一気にダメになるのだそうだ。

その反旗を翻す「奥さん」は、私には既にいない。同志者喪失は前からだ。舟板一枚下の地獄を知ってしまった幼少期から、駆け抜けてきた者として、なおさらに友人が情けなく思う。勿論「情けない」は、偉そうだという友の指摘は挑発だとはいうのも野暮なほどに、当たっていた。そうだねといいつつ、心の中では舌を出している。

とにかく、15日が過ぎたら、死に至る病の社会活動に戻る。

そうそう、障碍者の65歳を過ぎるものは、介護保険に切り替えるという暴挙の話が、岡山県で行政に違法と地裁判決がでた。
cf.
http://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20180314/4020000055.html

高齢重症者が介護サービスになると、1割負担以上の負担が発生することがある。無償サービスを受けていた者の負担が急に出てくるわけで、家計を大きく圧迫する。だからこの判決は大事。

さて格闘技まで、一休みして出かけます。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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3/13 事務泥縄あと一日/他

2018-03-14 05:55:38 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/13 記
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3/25の明石洋子氏の自閉症児者の成長と就労支援の講演会の申し込みをした。茅ケ崎の市役所だ。上大岡の講演会が行けなかったが、今回は訪問支援と重なっていないから大丈夫だろう。

受験生のような気分で、深夜のお茶を飲んでいる。明日は母を東京の主治医の外来に連れていく。作業が追い込まれているので、東京側の母の友人筋に援助を求めた。母の幼い頃からの友人だから、先方も嫁さんが厄介な仕事を代わりに抱え込むことになるのだから、いい顔はされない。母を病院(駅前)から東京駅まで連れ添い、東海道線に乗せるという面倒な仕事だ。母は平気だという。しかし「めまい」多発期に入っている。窮すれば通ずというのだろうか、代行屋を紹介してくれて一応は解結をみた。高い。

休憩中、FBのチェックをしたが、最近FBが極端につまらなくなってきた。友達が増えたが、医療・福祉・教育畑の現場の方が多いから、守秘義務もあって、ペットの画僧や、旅行先の団体写真のような記事が増えて、必要な企画探しや、テーマを論じる記事が淘汰されてきたからだ。それでいて、狙いの記事に出会う手間が大幅に増えたからだ。また政治記事も、感情的な応援記事で、ネトウヨと大差ない。

天候がここ数日「晴れ」で、助かっている。人の行列が外まででていはみだしているとき、雨だと滅入るからだ。母がもっと若いとき、用事が全部終わると、麻布茶房で母がぜんざい、私がコブ茶というコースが待っていた。ここ数年行っていない。老いだなとわかる。じんわりと残りの時間という言葉が通り過ぎる。次の事に踏み出したい。焦ってもしかたがないのは、わかるのだが。

p.s.20年前の問題集の印税が細々と生き残っていた。ちょっと感激嬉しい。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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3/12 天罰の事務仕事続く

2018-03-13 06:24:04 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/12 記
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一夜明けた**君の母親から連絡が入った。彼は寝床から出てこないという。私から報告しておいた塾の方から、塾長の奥さんが先方へ、連絡してきたという。すでにこの親御さんは、私が茅ケ崎から来ていることを知っているので、塾長の奥さんが緊急出動を担う件、了解したが、飛田さんはもう訪問してくれないのかと、怒りを隠した電話だった。

夜間の電話でも話した通り、彼が私に必要性を感じなくなるまで、お付き合いしたいので、宜しくお願いしますと応答。納得された模様。

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母がリハに出かけている間に、掃除洗濯食器洗いをすませて、鰆の切り身を米麹に漬ける。母が帰るとおやつを要求されるので、簡単に雑煮の準備をしてやっと机に向かうと、庭に母の声。なかなか昼間は、落ち着いて事務作業をすることができない。割り切って外の用事か、家事補佐介護と思った方がいい。

母が戻るとすぐに、塾長の奥さんから電話が入った。彼が教室に来ているという。すぐに来れないかと問われたが、さすがに無理だった。

今日は一日、泥縄事務に追われていた。15日が過ぎれば社会活動を再開できる。しょうもない話だが。

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私の前日の「太い紐」というグッズにMさんから、効果はどうかと問い合わせがあった。怒りで堪忍袋の緒の「緒」である。これを強く引きゆっくり深呼吸すると、やや良いようだ。ADHDの子が席を立ちたくなるとき、20cm四方のあずき袋(なければ米袋)を膝の上に置くと落ち着く。同じようなグッズだ。絶大な効果ではないが、効果は感じる。

神戸の災害ボランティアの+++さんから、宮城県の復興住宅を巡回するが、渡してほしいものは、ないかというものだった。今回は準備不足で間に合わないと応答したが、嬉しかった。気持ちの距離がちょっと近づいた気がした。単身高齢被災者巡回だ。

夜間傾聴:**君(落ち着いた模様)

(校正1回目済み)

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3/11 7年目の黙とうをする間もなく/卒業期という残酷

2018-03-12 04:51:03 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/11 記
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午前中の仕事は、昼夜逆転生活をしている者にとって、徹夜仕事に等しい。朝の目覚ましが鳴らなかったが、ぎりぎりで橋本の**君宅に到着。ともあれ彼と会うことができた。部屋が荒れていて、ドアノブが壊れていた。無理せず雑談から入ったが、原因は親戚の無理解な言葉と弟との比較だった。

以下は親の経過説明だが、弟は今年が卒業。その祝いで親戚がきていたが、「治らないなら医者に行った方がいい」「甘えさせるから、長引く」という、私達関係者には聞きなれた無知の言動。親戚が彼に説教を始め、弟をしっかり者と持ち上げ「見習え」とやったことで、爆発。周囲に物をたたき付け、怒りを表した。

「親戚に手を出さず自制したことは、えらい。君も目標を持って学習しているし、無知からくる言葉を相手にする必要はない」と語った。実はこれ、傾聴のセオリーからすると、言い過ぎなのだ。

そこに祖母が入室し「乱暴者だよ」とひとこと。目の前で椅子がひっくり返り、こもったトイレのガラスが割れた。

ASPの子は、自制が難しい。社会人出戻りの負い目もある。こうして現場に立ち会ったこともあって、終了時間は大幅に延びた。こういうとき、場面の切り替えで散歩にさそうというのは、やめた方がいい。家族を買い物に行かせて、彼と玄米茶を飲んだ。

落ち着いたので、次回は塾の教室で会おうと約束して、いつもの紐を渡した。真田紐というのか30cmほどの太紐である。耐えの姿勢に入ったとき、紐に怒りを込めるのだ。

食事の時間をあきらめて、上大岡に向
かったが、母親からSOSの電話が入り、逆戻り。「今年は無理かねえ、専門学校」と入学金を支払い済みを気にした母の一言が契機になって、買い替えたという花瓶がまた粉々になっていた。しかし、自己嫌悪に陥っているのは彼である。

苦しかったら、今夜傾聴待機しているから電話しなと伝えて、再度クールダウンを済ませて、再び上大岡に向かった。

横浜自閉症協会の研修は、終わっていた。知り合いが見当たらないので、寄り道はやめ、戸塚に出て夕食の買い物。軽い寝息をたてて眠り込んでいる母に一安心。夕食前に、不精していた確定申告書類の泥縄作業。起きてきた母が座る前に、軽いリハ運動、10分。(足の衰えだけは堪忍してほしいから…。)

夕食は鱈のクリームシチュー、温野菜サラダ、実山椒。
母、完食。

すっかり予定が狂った一日だった。彼の痛みは丁寧に連れ添う以外ない。より良い隘路探しは時間がかかる。「何べんも親戚にはASP理解のリーフレットを渡している」と母親は言う。常識という偏見が次の偏見を生む。説明という関わりは必要だが、言葉への期待はしない方がいい。


夜間傾聴:**君の母親

(校正2回目済み)

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3/10 「首都直下型地震に備えて」(大田区・社会福祉士会主催)に参加して 他

2018-03-11 04:54:39 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/10 記
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東京・大田区の社会福祉士会主催の講座「首都直下型地震に備えて」に参加した。時間にゆとりを持ってと出かけたが、会場に着いたが、またしてもトラブルとなった。企画自身が無いのだ。

問われてセンターの管理人さんも大慌て。区役所に問い合わせてもわからない。一方、私と同じように混乱したひとが、センターに集まってしまった。原因は主催者が別名で会場を借り、加えて案内板を出していないためだった。私達は結局5分遅れで会場に飛び込んだ。こういうことは、民間ボランティアでは少ない。主催団体が大きくて、普段一緒に行動したことのない人が動くので、責任分担があいまいになってしまうからなのだ。迷惑な話だ。

始めは青木元氏(気象庁地震火山部地震予知情報課長)の地震の仕組み概説があり、首都直下型地震の説明があった。今回は公開講座とはいえ、地域防災関係者の集まりであり、特徴としては「首都直下型地震」という湘南では聞けないテーマがあったことだ。その関係資料もいただいたが、要は震源地が東京湾内複数の19地域と外房海域という複数の場合が考えられて絞り切れないため、すべて高確率ゆえに、併行対策を撃たねばならず、大田区は特に都心南部直下型をはじめとしたすべて震度6強以上の災害となる。事業所も多く、多数の帰宅困難者も抱えることになる。想定震度分布図の延長、相模湾周辺まで見てみると、大磯丘陵の西側には関係が出てくるが、直接の影響は見受けられなかった。横浜は勿論影響を受けるが、三浦半島を境に急に弱まるのだ。伊豆沖地震以外、首都直下型地震の物理的な影響は少ない。

青木氏の講演は、実に手慣れたものだった。しかし、この語りも、参加者に対して、知識と現場の想定との間を埋めていなかった。こう言えばいいだろうか。ならば私たちはどうその知識を生かすべきだろうという、参加者の関心を喚起する語りがないのだ。このことは、一昨日の母子と防災の語りにも共通するのだが、素材提供に留まる語りは、おもちゃ箱をひっくり返したようなもので、勝手に遊べばというような遊びの着想に無頓着、素っ気ないのだ。実はこの隙間は主催者や行政がフォローすべきところだと思う。

次に甲斐康誠氏(大田区防災計画担当課長)の「大田区の防災対策の現状について」という人と制度と実践とという区内の政策の網の姿を鳥瞰的に解説するものだった。私は以前、この大田区の教室に勤務していたことがあるので、その土地勘から解説は具体性を帯びて伝わってきた。配布資料は大田区HPからDLできる「大田区の地震防災対策について」という資料だそうだが、やはり政策解説であって、実践現場の状況という行政にとっての危険領域「現状」は語られなかった。Q&Aでも「震度とマグニチュードの違いとは何か」というような無残な問いのみで、的を射た質問は出ず、私が「見回りを提案しているが、在宅避難者の見回りは誰が行うのか」「福祉避難所の利用者の多様性に沿った対策の現状」の2点を質問したところ、誠実な、軋みをともなう困難な実情が語られ、行政も議論しているとの応答を得た。

これは大田区がマンションの多い地域であり、ゆえに「避難所よりも在宅避難を」という特徴的な指導を掲げているからだった。「在宅避難」と言ったとき在宅被災者には「情報・配給物資・被災者の要望回収」という困難を抱えることになる。ならば誰がこの仲介するのだろう。そのことを問いにしたのだ。東日本大震災では公的な支援系統がまとまらず、同じ地域を別々の担当者が重ねて訪問し、不便な場所には誰も来ないというむらがあった。地元事情に疎い外部支援者のみの訪問もあり、被災者の要望は立ち消えになることが起きていた。医療と健康、心身の生活危機相談要求の見逃しなども起きていた。自治会に責任を投げて済むことではない。

「福祉避難所」については、その困難の多様性に至るまでの、対策が打てない不十分な状況にあることを率直に語っておられた。どこの自治体も類似の課題を抱えており、それを解決するための対策を打っているという応答は、次の講座に橋渡しされる可能性を持っていた。

大田区は茅ケ崎よりも、被災予想がリアルであって、大磯寄りの平塚、鎌倉寄りの藤沢の危険エリアに挟まれて空洞化、防災課題が明快ではない分、大田区の区民活動と防災行政の結びつき易さが逆にうらやましくもあった。しかしその平塚・藤沢・鎌倉と比較した危機感の薄さは、もうひとつ「隣接被災地の困難への『協力』」というような自治体をまたぐ相互協力の発想が薄いことにも繋がっている。私達災害ボランティアの活動の留意点がひとつ増えたのを感じる。

このあと、Q&Aでは自治会の協力事例を挙げた質問があったが、いつものこと「時間切れ」で切ない終わりを迎えた。最後にひとつとCSWさんか元行政マンの主催者側質問者から「青木先生はいつ寝るのですか」という太鼓持ち質問に、せっかくの講演の感触も萎えてしまったのだった。情けない。

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母は浜見平の友人に預けていた。帰りは定時だったが、準備したあんかけ焼きそばの具を切っている最中、急に「食べたくない」と言い出す母を、「カシューナッツ炒め」に具材を転用し、無難に食事をさせることが出来た。冷や汗。

FBの友人希望リストに、とんでもない方が紹介されていた。私が19才のころの、行きつけの焼肉屋さんの娘さんが突然現れた。50年弱も過去の話だ。店で遊んでいた娘さんと再会したのだ。さっそく連絡をとった。母親とドキュメント映画を撮って活躍されていた。互いにびっくり。


-------<購入予定書籍より>-----------

●「実践!復興まちづくり:陸前高田・長洞元気村 復興の戦いと支援」ASIN:4772660968
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784772660969

●「3.11後の子どもと健康ーー保健室と地域に何ができるか」
https://www.kinokuniya.co.jp/f
/dsg-01-9784002709697

●「私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章」
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791767038

●「はたらく」を支える!職場×発達障害」
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784525181611

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3/22の「もったいないジャパン」の会合に参加することにした。災害ボランティア以外の活動を拡げるキャパはないので、協力者の立場。実は会場の中海岸の魚清ビルは、私の腐れ縁の++氏がオーナー。久しぶりに彼らに会いたいなという主催者には申し訳ない魂胆させる内容も潜んでいる。ただ時間が夕食後。母の見守りが気になる。

やっと橋本の訪問解禁。しかし家庭内のこじれが残っていそう。明日は仕事を済ませ、横浜自閉症協会の上大岡の企画に参加する。橋本>上大岡1時間ちょい。間に合うか。

夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)

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3/9 ママプラグの子連れアクティブ防災講座に参加し/マニュアル教化型の硬さ、

2018-03-10 06:13:27 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/09 記
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ママプラグの「子連れアクティブ防災講座」に参加した。乳幼児・学童を抱えた母親たちの防災研修。参加人数は予想どおりだったが、参加者は活動の主導者だろうなと感じさせる方ばかり。保育室も準備され,そつなく準備されたレディメイド講演会だった。それが別に、いいの悪いのという話ではなく、私のような部外者は、長年の安全避難指導活動の**さんの2人だけのようにみえた。世間の災害に対する関心の状態は、ここにも影響しているのがわかった。

子どもは非常食を食べてくれないことや、慣れない避難所では、大声で泣いたり、排せつ特に和式トイレへの違和感から、半壊・全壊した我が家に戻っての避難生活に追い込まれることがあること。配給食や他の避難者からもらった食品に、アレルゲンがあり、アナフィラキシー・ショックを起こし、命の問題になることもあること。夫が職場にいたために、なかなか合流できない例や、子どもの持病の常備薬が補充できない事態が起こりうることなど、発災時は母親ひとりが子どもを守ることになることや、個別準備が強調されていた。そして防災グッズの説明に入ってしまう。たしかにそうなのだ、だがしかし…。

私は教化主義が嫌いなこともあって、なおさらに地域性や共助の育て方が語られない教科書を読んでいるのを聴いているような窮屈さを感じていた。

東日本大震災のとき、地域集落の避難所ほど、子どもの保護を同居祖母が分担していた。また小学校教員が学校や、公民館に顔をだしていた。漁業村落など同一業の集落などでは、仮設の一室を茶話会の場として、そこで子どもの一時預かりなどがたちあがっていた。モノカルチャーならではの様相なのだが、これを湘南と比べてみた時、母親が家族のすべてを抱え込むことが前提になるだろうか。同居祖父母のファクタも見えない。そういう個別の視点が一切見えないところに、核家族若夫婦の立場が見えてくる。

在宅避難生活を始めると、情報と物資が枯渇する。上下水道の問題や、照明の問題がのしかかる。自分たち家族が自宅に帰って生活していることを避難所管理者に伝えておかないと孤立する。つまり、子育ては共助の上にたてていかないと実際はパンクするのだ。事前準備と避難生活練習が不可欠なのと同時に、子育て世代のご近所さんの相互扶助(共助)が不可欠であり、その活かし方こそ論じ合う価値があると思う。

避難時の危険と抱っこ紐の重要性まで語りつつ、ひとの連携へのまなざしが薄いのは、極論すれば防災担当の男性のマニュアルを鵜呑みにしているように見えた。関係者が話題にしてきた知恵のことや、自分の事情から何が必要かを求めるような未消化な論議が反映されていない。多くの防災論議が安全避難に収斂し、避難後から始まる避難生活サバイバルを論じないのは、お仕着せスタイルに気が付いていないことが、活動の想像力を奪っているように見える。祖母の参加がないことも、じんわり,硬いなあと思わせるところだった。母子避難活動は、それでも高齢者や障碍者の場合と比較して、自由度が高い。核家族の安全に閉じてしまいやすい傾向があるがゆえに、地域避難生活の議論がなりたちにくい。

チームテーブルに分けられたところで、自由着想に基づいた結果をまたいつものパターンで、記入シールを白紙に集約していく。ところが集約したところで見えてくるものの論議はない。形式だけが市民活動に蔓延している。あれは目的を見失っている、今回の会に限ったことではないが意味が薄い。

硬いなあと思いつつ、災害弱者のくくり自身がきしみをあげるほどに、共通項(在宅避難率が高いことなど)が見えにくい。逆に言うと高齢者・障碍者などの課題への関心が薄いことは、懇話会を立ち上げた当初から悩んでいたところだ。だからこれは通じないなというあきらめのようなものが、ああ落ち着くつ会の終了の時点で払拭できないものになっていた。

会の終了後、代表の**さんにお時間をいただいて、自己紹介を兼ねた懇話会の紹介と、関連課題があったときなどに是非出席してほしいこと、次に「地元ティーンズ防災絆教室」立ち上げへの協力要請を行った。

懇話会立ち上げの頃、母子関連の団体をめぐり、会長さん宅を訪問して呼びかけ資料を手渡そうとしたとき、防災ボランティアであることを名刺で明かしたが、資料を叩き落とされて「警察を呼びますよ」とどなられたこととか、その後、家にもどったら駐在さんが家にきていて、母が混乱した話を例のはじめに、いりません、関係ありませんの連発を食った話から、年齢層の違う者の接点のなさをつい愚痴って、ともあれ読んで下さいと資料をわたして、相手を
不快にさせてしまった。反省である。

発災時の安全緊急避難活動の**さんとは、会えるとは思っていなかったが、偶然同席できたので、「防災教室立ち上げ」の件の5月、実行委の件を話し合うことができたのが収穫ではあったが、母子防災の件は交流失敗となるだろう。営業マンにはなれないなと常々思うのだ。

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母は昼前、迎えの車に乗って、地域の自営業者の元おかみさん食事会に出かけて行った。少しでも食欲がでればいいのだが。帰りも車に送られたようで、途中の鍼灸院で下ろしてもらったと、首筋の置き針を見せて、すぐに寝床にもぐってしまった。

午前中の企画は私は苦手だ。夜間傾聴が終わって日の出とともに就寝なので3時間寝たかどうかの状態なので、茶の間で爆睡。明日の大田区の東京直下型震災対策の議論の準備の資料を慌てて藤沢ジュンク堂書店に取りに行く始末。橋本の花瓶窓割り騒動の##君の母親から、明日の午前中の指導は日送りとなった。

朝食具材を仕込んで、これで就寝。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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3/8 明日、母子の防災講演に参加し、絆研修と懇話会参加要請をします

2018-03-09 05:00:34 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/08 記
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静岡の防災士**さんのご紹介の日程を調整したが無理と判明した。改めて4月に入ってからお邪魔したいと伝えた。1時間ほどして応答があった。事前に希望日程を知らせて欲しい、ただし静岡にてということは、変えられない。消防関係の職業なので、緊急呼び出しがあるとのこと。連休前に行こうと考えている旨の応答を返して了解を得た。

防災への取り組みの熱が沼津あたりを境に東西まるで様相が違ってくる。取材した相手の熱がまるっきり違うのだ。東海地震・南海トラフ震源震または伊豆沖地震等の直撃震災が想定されているからだろうが、意識が違うのだ小田原あたりより東は急に無関心になっていく。伊豆半島が防波堤になっているかのようだが、東京直下型や茨城県東部沖地震の場合は大きな被害が出る。鎌倉などは津波の影響が大きい。この認識の差はなんとかしなくてはと思う。行政の取り組みの差としても吟味する必要がある。

歯医者に行った。差し歯が抜けたのだが、処置の最後に、歯医者の発災時の緊急対応のマニュアルのような取り決めがあるか聞いてみた。あると思うが、自分は茅ケ崎に通勤しているので、茅ケ崎の事はわからないという。歯科医師会に行けばいいとの話で終わってしまった。

短時間で帰宅して、母と話したが、大船渡では歯科医師の避難所巡回があったが、ほかで話を聞かない。技術的にも、歯を削る回転パフのポータブル機の準備がないことも大きいのではとの話。納得できた。

明日朝、乳幼児を中心にした母子避難の議論が行われるが、茅ケ崎の震災の特徴は、家屋倒壊や火災という話を聞くことになると防災対策課の説明が準備されている。母子避難は、安全避難と避難時の食事と排泄等急性期に課題が集中している。

子どもは非常食のような初めてのものは食べない。粉ミルクを溶く湯が沸かせない。紙おむつなどの衛生用品、母親の生理対策も含む。和式トイレなど排泄時の様子が違う為に、排泄が出来ない子がでてくる。段ボール便器練習や衛生管理がのしかかってくる。

ともあれ懇話会参加と防災絆教室参加を要請してくる。

夕飯はホイル焼きを試みる。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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3/7 静岡の防災士さんと話をし…/母の東京までの通院検査で 他

2018-03-08 05:43:15 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/07 記
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静岡の防災士の**さんから、急性期の災害弱者支援の福祉サイドからの説明ができる人を仲介してくれるというメールが届いた。3/18に静岡で防災学講座があり、その場に来てくれるならつなぐという話だった。内心、小田原か沼津位で会えないかと思っていたが、残念、静岡は動かせないようだ。新幹線を使わず乗り継いで2時間半。丁度、水海道(常総市)と同じ位の距離感だ。以前「市民トリアージ」の件で、お邪魔したことがあるので、場所はわかっているのだが、交通費の5千円が痛い。思案中である。

目的は、直下型地震に対して、直接に安全避難対策をどうとっているのかだけではなく、急性期の災害弱者の孤立対策をどうとっているかということ、避難生活保護策をどう打っていくかということ。外部支援者が帰った後、地元ボランティアが医療・福祉の生活支援の援助につなぐ、ケア関係専門職の「長期外周支援の輪」をどう育てていくかという見通しを立てるために相談をしたいと無理難題をためこんでいたのだ。

私の提唱する災害弱者支援は「ケア専門職の外周支援」を鍵としている。一方で災害弱者向け避難所運営推進と「御用聞き支援」が要になる。「市民トリアージ」が医療関係者の外周支援であるように、災害弱者支援に特化した「外周支援」をシステム化したいのだ。このことから私の提案は防災活動の核をなす重要な一部であると考えている。この論点の対話は、静岡・熊本・石巻なら対話可能だろう。

本当に災害弱者支援の現場関係者は大半が専門職のネットに閉じており、民間ボランティアが参入できない構造になっている。だから個別対話を求め積み上げていく作業が必要となる。

今月は「地元ティーンズ向け防災絆教室」実施の再提案。「医療家の必要な障碍児者の安全避難と避難生活」の懇話会準備のふたつがかかっている。

今日,長時間の検査があるので母を東京の主治医のところに連れて行った。私は橋本に出て、茅ケ崎合流で企画した。ところが橋本の##君は、家族内で窓を割る騒ぎで、調布あたりで中止となり帰宅し、茅ケ崎で迎えにでることにした。無事合流して私たち親子は無事だったが、##君宅は、ご近所さんの通報があって、警察沙汰になったという。花瓶が空を飛んだそうで、塾長の奥さんが残り火消しの出動となった模様。詳細はわからない。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s.豪雨が通過するという話なのに、まだ風邪は静かだ。

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3/6 火曜災害ミニカフェ中止となり/ハートナットTV「東日本大震災から7年『石巻・孤立する人たちを見捨てない』」より

2018-03-07 06:25:05 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/06 記
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「火曜災害ミニ・カフェ」(第94回)が、また流された。母親の昼食時、母が起きてこない。食べさせて出発するがあと20分。タクシーを呼んだ。
1600円が飛んだ。サポセンに到着すると、部屋が育児に使われている。オープンスペースは、音が出るものは禁止だ。ビッグイシュー誌のサポセン買い取り分の領収証を書きながら、保育の終了を願うが終了の気配もない。中止である。思案の末、3/20の会合に番組を2段構えに入れ込む苦肉の策となった。会の中止と3/20への合流の掲示を書きつつ虚しさをかみ殺している。今回は発災時の津波の河川遡上の話だった。大事なことは途絶えさせてはいけない。次回3/20が中止に追い込まれないことを祈るだけだ。

「ハートネットTV 東日本大震災から7年「石巻・孤立する人たちを見捨てない」(ETV30分)を見た。阪神淡路大震災の被災者の仮設・復興住宅の被災者の心身のサポートを一作年亡くなるまで続けておられた故・黒田裕子さんが懇話会で語ってくれた寒々とした光景は、東日本大震災にも当てはまる。高層団地型の復興住宅は、隣人との交流を疎遠にする。地域交流活動を支えてきた主導者は年老い、活動を支えられなくなり、被災単身者、高齢夫婦が再び孤立の泥沼に引き込まれていく。20年余を経ても、孤立死は止まらない。長期サポートの必要性は、阪神淡路大震災が実証しているにも関わらず、7年目の、ここ石巻でも家族を失った単身者の方の厳しい孤立状況は一向に減らない。

番組では「石巻からだと心のサポートステーション」の専門職のところ(からころステーション)に、通う単身被災者の方が軽いつながりを求めてやってくる。問題は行政からの維持費が打ち切られないかということであり、一般の方の忘却と無関心である。阪神淡路の轍を踏むなと願いながらも、災害弱者支援活動の長期戦に備えるノウハウを交流させていく必要を痛切に感じている。

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被災猫シロの目撃情報が入った。愛猫家のご近所さんが、我が家から数百m離れたお宅の畑を横断するところを見たという。首に赤い毛糸のわっかをつけていることを知っていたから間違いないだろう。生きていた。それだけでもホッとした。不妊手術をしてあるので妊娠はしない。しかし、戻ってこないことが実は情けない。

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以前、寒川のある講演会の質疑応答の際、手帳を持っていない発達障碍のご家族の件で、コメントを求められた。「転居」と私は言った。私を指名した講師が困った顔をされていたが、手帳を持っている方は特別支援校や障碍者就労支援施設などの方の場合、障碍者団体は全国ネットがあるので一見大丈夫のように見える。インターネットが普及している現在、旧友家族と繋がり続けることもできる。ところが「不登校・引きこもり」の方では少し様子が違う。この方たちには高率で軽度発達障碍の方がいるが、いわゆる転校生の孤立は、意外なほどに理解されていない
。転居先の地域に支援団体が無く、行政に頼る以外なくても、大きなストレス状況が親子間にも表れる。結局、引きこもり当事者の困難は支援から抜け落ちる例が多いのだ。手帳を持っていない方の支援は、指の間から抜け落ちていく。

災害のときもそうだし、転居の際の転校生の孤立などどうしてこうも普通の壁が一枚岩のようなのだろう。出会いの多様性がない。路肩にはじき出されるように孤立の淵に立たされていく。

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母が風呂に入ると言い出した。体調が心配だったが、言い出したら聞かない人なので、入り口で見張っていた。案の定、めまいを起こして、寝床まで誘導することになった。全身を拭く大型のタオルを用意してあるので、ざっと身体を拭き、衣類はベッド上で着せる。休ませていたため、夕食は22時をまわってしまった。介護は力技の面がある。命を十全に全うさせるために介護があるのだとしたら、高齢者サポートは難儀なことだ。営みの価値をどう上げていくか、そんなことを考えながら食器を洗っていた。石頭だろうか。

夜間は、確定申告書類の整理と、子どもの貧困・被災者の孤立防止に出てくる「食事会」について、思案メモを取った。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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「火曜災害ミニ・カフェ3月分」ポスターが出来ました 他

2018-03-06 05:49:18 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/05 記
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「火曜災害ミニ・カフェ」(2018/03分)が出来た。発災時の災害弱者避難の「個別避難計画」作りが難航している。地域の避難困難者の名簿地震作成が一向に進まない。その状況を考え打開の道を探る優れた番組である。防災活動の現状から、災害弱者の安全避難を考えてもたい。また後半の発災時河川を遡る津波からの避難路を探す試みを紹介する。

<火曜災害ミニ・カフェ2018/03の予定>
3/6
●ハートネット東日本大震災から7年「高齢・障害者の"個別避難計画"」2018/03/05 ETV 30分

3/20
●NHKスペシャル「"河川津波"~震災7年 知られざる脅威」2018/03/04 NHK-G 50分

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母をリハに送り出す日なのだが、体調不良を訴えて休むことになった。年末に風邪をひいてから、痰や咳が引かず、内耳に水がたまるので鼓膜を切開する治療を2回受けた。最近は急激に言葉の意味が通りにくくなり、塞ぎ気味になっていた。食は回復してきたが、それでも今までの半分も摂取していない。衰弱というより不快感と風邪薬の副作用が重なった状態といえる。

母が臥せっているので、ビッグイシュー配布や、懇話会の内部障碍の方と会う話も中断せざるをえない。火曜災害ミニ・カフェの3月分ポスターを印刷したところで配布がストップしている。

教材屋の仕事は、大きな山を越えた。もっぱら泥縄の確定申告の申請書を作ったり、横浜に来ている埼玉の訪問看護と災害看護の団体の役員さんとのメール作成などで一日が過ぎて行った。被災時、医療・福祉専門職の外周支援の実際の在り方や、実現可能性の論議だ。ただ足止めにはじわり焦りが胸に湧き上がってくる。今月の家事支援依頼計画を派遣企業に出した。足踏み打開策だが、回数を増やせば家計が圧迫される。介護度が低いから、そちらで工面することが難しいのだ。

これから3.11が近づけば、関連番組が増える。番組予約を万全にしている。9日には、子連れ避難を考える母親の講演会があるのでお邪魔してくる。懇話会との接点が取れるだろうか。

熊本に行きたい。無理とはわかっているが、課題がぎっしり詰まっているところだからだ。

夜間傾聴:ふたり(ひとり出戻りなり)

(校正1回目済み)

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3/4 あるMLで語られた常総市豪雨水害の観点をめぐる議論がありました。

2018-03-05 05:46:28 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/04 記
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奈良***MLの方たちと、今回の常総市訪問の件で小さな対話をした。豪雨水害の経験の中から、震災共通の課題を私がどうとらえていたのかが話題になった。市の3分の1が浸水した常総市。家屋流出の激甚災害地域と裾野に広がる床下浸水地域の様相が違う被災に対し、何を求めて訪問したのかということだった。私が被災災害弱者の声を聴きたかったのは、実はベタ被災というべき軽度被害の地域の声だった。一般(今回は教員だが)の方の津波災害の海抜イメージは、静水浸水のイメージが強く、それを引きずるために、床下なら大したことがないという偏見があり、私の軽度被害地域への着目は見事に空転した。この「軽度」とは、環境ダメージの評価であって、人的被害の視点ではない。

市街が浸水したとき、側溝やマンホールなどが見えなくなる。ある程度の深さを超すと車のエンジンに水が入って動かなくなる。勿論、二輪車が使えなくなる。私が気になったのは、水が引くまでどの位時間が経ったのかということだった。豪雨水害の場合、危険は浸水だけではない。悪天候による避難の必要性が高まっているという背景だ。

避難の移動手段が使えなくなるという事態の中で、浸水した屋外を徒歩で移動する危険。視覚障碍者・車いす利用の身体障碍者・歩行機能が衰えた高齢者・幼児が浸水地帯を歩くことを予想してみると、ぞっとするのだ。日常生活の場面では、保護者がいない場面で分断されることとなる。この事態では家屋内の垂直避難を試みて、外に出ないということになるが、浸水の持続時間は、救出までの時間に影響する。この調査は激甚災害重点の視点のきめを細かくするために、周辺の様相をつかんでおこうと思ったからだった。

論点は、この論議が発災時(急性期)のものであり、見落としているものがあるのではないかという探りを感じるが、労多くしてではないかという忠告だった。私の脳裏には、被災障碍者の困難は、避難生活の細部に至る多様なもので、被災体験は丁寧に拾っていかなくては、次の災害の時、また一から出直しのようなことは避けていきたいと思うのだと説明した。

話は段々脱線していったので、まとまりはつかないが、発災時の孤立という事態に対する知恵はうまれないだろうか。

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他の話も紹介しておこう。発災時、携帯が使えなくなるとき、衛星通信を臨時契約することはできないのかという話があった。この衛星通信機は、自治体・避難所レベルの公共利用に道を開けという話だった。しかしこれは、現在の携帯回線業者は、災害対策として、回線強化しており、車両などの中継車派遣を行っているが、「定時ドローン中継機」を運用して、メールと、周波数帯の異なるトランシーバの中継局を立ち上げられないかというものだった。技術者がいれば議論が発展したかもしれないが、ここはここで終わった。

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今日は四肢麻痺の身体障碍の方に、次回の懇話会への参加を依頼したが、反応は、いまいち。次の手をうてないでいる。どうしたものか。

今日は逗子で、引きこもり青少年たちの上映会を兼ねた会合があった。参加したかった。母の見守りがまにあわなかった。悔しいが。連日電話見守りにすると、風呂にひとりで入ったり、外出しかねないのだった。最近も風呂場転倒(軽度)を起こし、夜間の空嘔吐(ダンピング)があったりと、安定しているわけではないからだった。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


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3/3 プレジョブ定例会に遅刻参加し/ERの看護師さんから電話があって

2018-03-04 05:47:58 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/03 記
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3.11が近くなったせいか、関連番組がぽつぽつ出てきた。予約を組みつつ、災害弱者の医療・福祉支援の経過をたどる番組の見落としがないようチェックした。

プレ・ジョブの会議に参加。開始時刻が13時半からだった。14時についた私は、会議が毎回1時間なので、着いてすぐに終了という状態だった。13時半は絶対に無理だ。母の昼食を食べさせ始末すれば13時半をまわってしまう。それから出かければ14時着がせいぜい。

プレ・ジョブは、単純に就労支援の線上にはない。地域共生の社会参加の中に労働を位置付ける。この辺は賛成なのだが、就労前体験の活動から実際の就労に至るまでの受け皿準備が難しい。

自己紹介をさせられたので、最近の話題で、**君のパチンコ店就労成功の話を紹介した。自転車配列の乱れが気になり、直していると店員に自転車ドロと勘違いされて警察沙汰になった事件が逆にご縁になった話だ。店前清掃と自転車整理役として非正規雇用待遇だ。事件のあと、よせばいいのに警察に彼を突き出した店員がいるかいないか、店を通るたびに覗いていて、滑稽に見えたか店員と友達になり、就労の糸口となった。勿論、音響過敏がある彼には、店内は地獄。だからもっぱら店の外の仕事。ここを親が説明して採用されたらしい。問題は、プレジョブの自己紹介のとき「店外業務」の話をしなかったことだ。ちょっとまずかったかなと‥。

橋本の仕事をしている最中に携帯が鳴った。母から家の電話に埼玉県の看護師の++さんという方から連絡があったとのこと。その名前が教えている##君の以前の上司(彼は就労挫折再出発者)と同じ名前だったらしく、それを気にして学習にならなくなってしまった。早々に学習を終了し引き上げ。帰りに++さんに電話。なんのことはないFBに参加したら私の名前が出てきたので友達登録したから宜しくという挨拶があって、日曜日、横浜に出るから、会わないかという話だった。先方から招かれることはめったになく、横浜市大の&&君の宗教勧誘被害のお詫びもあったので、ぜひと思ったが、逗子の引きこもり関連の講演会が、母の見守りの折り合いがつかず、参加できなくなっていたことを思い出し、せっかくのお誘いだったが次回またと応答せざるをえなかった。私が橋本にいる時点も、浜見平の友人の電話確認応援が入っていた。

嬉しいこともあった。プレジョブの%%さんが、会の場で私の活動紹介をもっとしたらどうかとのご忠告だった。それを善しとする方もいれば、反発する方もいる。関連活動にしぼって紹介しているから、ご心配なくと応答したが、実は嬉しかった。健常者にしか目が向かない多くの団体と異なり、発達障碍中心の関連団体だから、通じるところもあるからだ。

閉館まぎわの図書館に飛び込み、ビッグイシューの寄贈を済ませ、「注文をまちがえる料理店」を借りた。とにかく夕食準備の時間である。急ぎ帰宅した。

教材屋の在宅仕事と、確定申告関連準備、「火曜災害ミニカフェ・3月分ポスター」作りで、夜間傾聴手抜き。臨時休業とした。今はレギュラーしか利用していないので、連絡できる。

明日は、いっそ母を連れ出すかとも考えている。危険な季節ではあるが、足が萎えてしまうからだ。行事不参加が悔しくもある。

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

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3/2 平々凡々とした一日が過ぎていく

2018-03-03 05:36:12 | 地震津波災害ボランティア
2018/02/02 記
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被災猫シロの捜索を取りやめた。我が家の周辺がまだ雑木林だった頃、野良のキナコという通り猫がいた。ふらりと我が家にやってきて、餌を食べたあと、日当りのいい縁側の座布団を占領してひと眠りしたあと、庭に出ていった。当時、祖母が存命で、祖母の布団の上に乗って、祖母の悲鳴を浴びた。祖母は極端な猫嫌いだったからだ。その悲鳴に驚いて、祖母の近くには寄らない賢さを持っていた。その「通り猫」のような
具合に、戻ってこないかなと淡い期待を抱いていたが、こう日が開いてしまうと気持ちが萎えてきていた。

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ビッグイシューの販売員さんから、同誌を買った。個人購読者だけ配達したが、サポセン関係は週明けに。糖尿病で通っているクリニックに、処方薬の補充に出かけた。そのとき、医療機器の消耗品補充の業者が配達に来たので、声はをかけた。災害ボランティアであり、発災時の配給体制のことを取材させてほしいので、連絡先を教えてもらえないかと説。困った顔をしていたが、携帯で上司に連絡を取り、一応話っを聞いてもらえることになった。ラッキーである。

母は趣味のサークルに預かってもらっていたので、海岸側のお宅に迎えに行き、直行バス停のあるところまで、ぶらぶらと歩いた。春が近いことを感じたが、母が「ここまで津波がくる、この辺の人、こわいねえ。」「オーシャンビューの価値がわからなくなった」と言い出した。茅ケ崎の震災は「火災が中心」といわれつつも、海岸線津波と相模川沿岸の津波の遡上は警戒が必要。しかし母から災害の話題が出るとは思わなかった。

常総市被害調査レポを印刷した。2面連写で64枚ある。ファイルを綴じたが、これを1面ごとに読書機にかけて、機械音読で読み取っていく手間を考えると、どんよりとした気持ちが忍び寄る。

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明日は14:00から就労関係の会議があり、橋本に出る。母は電話確認。帰宅後、教材屋仕事だ。

夜間傾聴:ふたり
(校正1回目済み)

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3/1 3年前の鬼怒川水害の常総市水海道に行ってきました(下)他

2018-03-02 06:11:41 | 地震津波災害ボランティア
2018/03/01 記
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2/26に鬼怒川水害の常総市の水海道に、豪雨水害の取材に出かけた。取材はまず行政から始めた。しかし市役所正門をくぐっても、車は止まっていても、誰もいない。出入り口でやっと高齢の女性とすれ違う。人口が茅ケ崎と全く違う感じだ。昼間の人口が全く違う感じだ。

始めに常総市役所防災危機管理課を訪ねた。ここでは、特に都市環境被災対策に関心が集中しているのは、他地域行政とも同じだ。私が「資料」と事前に説明されていた文書は、前回の記事に載せた災害報告書と「被災地点の画像記録だった。道路や家屋の被災記録が分冊のタイトルから分かった。しかしそれは注意してみると、地域環境や建造物被災は土木のものであり、災害に対しての「関わりの記録」周辺のスナップであることが分かった。微妙なところだ。しかしそれは、市民の人的被災という視点はない。災害弱者関連でいえば、高齢者施設の筑水苑のような関連施設、つまり施設建物の被災記録であって、入所者についてなどの傷病者数や死亡者数のような統計資料であって、閲覧させてもらったが、公開資料と詳細公開資料の範囲のものだった、というより関心が薄い。

避難の記録、避難所の様相等は個人の顔が出てくるためだろう、未整理とされていた。期待外れとは言わないが、この外側からの視点が、災害取材する際に、最大の断層となる。質的なデータ収集というか人の喜怒哀楽や衝突の現場記録のような話題を求めても、行政からは守秘義務意識が重なって、なおさらに回避されていく。

私はむしろそのデータ探しに行政に期待するというより、地元の関連の手がかり情報の取っ掛かりを拓く意味で、利用させてもらった。ただ自己紹介で身分を明かす話のなかで、「地元ティーンズたちによる『御用聞き支援』」をおみやげにおいてきた。ここについては、異なる有効視点提案として、関心を持ってくださった。私にしてみると、動かぬ地元に埋もれる前に、移植をしているつもりでいる。

次にお邪魔したのは社会福祉課。ここは生活困窮や障碍者医療・福祉関係がひとまとめされ、高齢者医療・福祉のみ別課扱いだ。ここでは私が災害時要援護者支援に特化したボランティアであり、発達障碍・精神障碍を私的教育サイドから訪問支援を仕事としていること、懇話会活動を通じて、他の知的障碍や身体障碍・高齢者関連にも話題を広げていると説明した。

このことがあって、発災時行政課として緊急対応の現場を体験した者は皆、外出中であるが、その後の被災者保護と復旧に関わっているのでと、被災障がい者施設の話や、被災障がい者の状態(匿名)を情報の入り口だけ提供してくれた。また、市役所から鉄道駅3つ離れた支所のの近くにある市社協への仲介をして下さった。感謝。

また高齢福祉課では、高齢者関連施設の被災情報と連絡報を教えていただいた。また市議会議員さんたちは、議会前のこともあって、不在で電話会話を2議員お話させてもらった。しかし災害ボランティアというとガレキ撤去と避難所運営の他地域臨時無償人材(外人部隊)のレッテルが邪魔をし、地元ボランティア(常にレッテルはボランティア<町内会がすべて)像が邪魔をし続け、エピソードのかけらも引き出すことができなかったが。)

ここから先は時間勝負となり、タクシーを呼んだ。目的を話すと自宅が床下浸水した方が運転手さんで、好意で施設間の取材時間、料金メータを止めておくという協力をいただいた。営業所の許可済みとのこと。筑水苑や、県立水海道第一高校、水海道さくら病院、市社協は、すべて担当者留守不在で、次回再取材時はアポ確認の上なら協力してくれることになった。ひまわり学園作業所(知的・精神)は、施設長さんのお話をきくことができた。

隣接スーパーのお弁当の製造・販売や箱の印刷加工をしているA・B型の日中就労施設であって、入所施設ではなく、浸水が1mほどだが盛り土の上の土地だったため、人的被害や製造機器被害はなかった。ただマイクロバスや乗用車のエンジンに水が入って2台使えなくなったという。分散施設は被害の無かったために、被災事業所に応援職員が入り、早々翌週には事業再開できたという。

問題は就労者の送迎、利用者さんの家族被災確認(安否生活支援)、被災職員仕事応援)の困難さにあった。当時道路が荒れており、通行止めもあった。

仕事の電話が連続して入ったため、会話は中断。迷惑をかけるので早々に引き上げた。この間の移動は最後のさくら病院までタクシー運転手さんの協力が助かった。しかし、さくら病院から先がいけない。私は荒れた横断歩道の高い敷石を踏み外して転倒、怪我をしてしまった。

初回の巡回は網をかけたところまで、今のところ、突っ込むつもりはないが、筑波大の医学系のルートと地方紙ルートが残っている。

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春一番の嵐が明け方に通過。私は突然刺歯が抜けて歯医者にいったり、母の木曜可の地元医通院補助で、すっかりまだ2月のつもりでいた。ビッグイシューの販売員さんから電話が入っていたのを、マナーモードで、応答にでなかった。失策を謝り、明日、買取りにいく。

母の食欲が戻りつつある。ほっとしていたら、洗濯機の前でしゃがみこんでいる。どきりとして、母に聞くと、靴下を床に落としたのでしゃがみこんだら、ぐらりとして目がまわったという。油断ができない。背筋が寒くなった。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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