2018/03/19 記
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教材屋のトラブル処理の応援仕事が突然飛び込みました。すみません。今回は2日分合わせて書き込みます。
一昨日の日曜日、蒲田のシンポに出かけた。
我が家に母の友人がくるのと入れ違いに、私は蒲田の大田区産業プラザの「"地域"から"ひきこもり長期高齢化"を考える」シンポジウムに向かった。今回は危うく参加できなくなるところだったが、協力者の登場で切り抜けることができた。家族の見守りは日程の不確定要素がつよすぎる。
主催者のKHJ(全国ひきこもり家族会連合会)との再会は10数年ぶりとなる。会の活動の経過は知っていたが、着実に成長してきたことを感じていた。引きこもりは、社会的要因の強い身の軋みであり、社会とのつながりを最小限に絞り込むことによって、身を激変から身を守りつつ自律再起の契機が熟するのを待つ状態のことだ。人間関係の破綻や挫折を経過するものだけでなく、無力感や喪失感の蓄積が閾値に達したものもあり、ニート(無職者)よりも「苦しみの結果」という色彩が伴う
だから学生の延長上に登場するものと同時に、就労・結婚挫折者や、疾病治癒後の社会復帰困難者も含んでいる。よって年齢幅が大きく、個々人に適した変容可能性を孕んだ生活様式作りが手探りされているが。社会の多様性許容度の硬さによって、長期化が起きている。
学生時代からの延長にある方が多数を占めているが、後期の若年層からの方もおり、いっそう「引きこもりの高齢化」が問題になっている。背景には生活資金確保継続困難や、同居両親の生命の限界が迫る中、家計の自立が火急の課題となりつつある。現在最大のピークは30代にあるが、単純に就労先を決めれば解決するというものではない。さらには、引きこもり者は未婚のまま高齢化することが見込まれるため、単身高齢者の予備軍として、社会の課題となりつつある。
一方、支援活動はもうひとつの裏の課題を認識しつつある。それは自閉症スペクトラム等の発達障碍や、鬱病や統合失調症等の精神障碍、高次脳機能障碍、軽度身体障碍が対人関係や就労継続を困難にそていることが高率で、引きこもり者の社会参加や対人関係を困難にさせている場合があり(私のお付き合いする方はこのタイプの方が多いが)、いわゆる障碍者手帳をしていない、社会保障が得にくく、いわゆる障碍者畑の年金保障や未就労ゆえの年金保障も使えない立場に置かされている。
こうした社会的支援の不安定さゆえに、引きこもり畑の支援活動は、家族当事者の自発活動によって、相互協力したり情報共有を進める「家族会の活動」が必要となる。そこに生まれたのがKHJ(全国ひきこもり家族会連合会)だ。引きこもり者のプロフィールは、前述のとおり千差万別、多様性に満ちており、狭義の生活資金確保能力に社会的要請が、障碍者・高齢者不要論に通じる生活観に至る社会的転換が望まれている。
この問いに答える鍵が「地域」であり、いわゆる「ソーシャル・ファーム」的コミュニティの拡張版の生活共同体作りが試みられている。
KHJの講演では、伊藤正俊氏(KHJ共同代表)の基調講演の後、地域の取り組みが紹介された。
●KHJ宍栗市支部 ひまわりの家家族会 代表 松本むつみ氏(兵庫)
●NPO法人 おーさぁ 地域コーディネーター 赤星講平氏(熊本)
●NPO法人 暮らしづくりネットワーク北芝 尼野千絵氏(大阪)
●社福 総社市社協 事務局次長 中井俊雄氏(岡山)
いずれも交流活動から派生した生産活動(就労継続支援B型)や、食事会や共同娯楽活動等さまざまな活動コロニーが生まれ、ネットワーキングしていくという生活共同体作りと社会参加的就労の紹介が行われていた。
私は、ふたつの目的でシンポに参加していた。ひとつは本業の教育屋からつながる「不登校・引きこもり」伴走型支援情報収集であり、もうひとつは、熊本の赤星氏らの事例紹介に含まれていた社会復活としての災害ボランティアの実例収集だった。この災害ボランティアとの関連は、後日、再度検討するが、家族会ならではの地域連携との重なり、開放された生活共同体志向が読み取れた。活動の成長の動学を探りたい。既存の社会団体の株から新規活動が生まれてくるケースが多いようだが、一個人が社会活動の芽となり、新規活動へと広がる可能性はないのか、既存の活動の中からしか新規の活動は生まれないのかという問いが私の中にある。
会場内ブースに目をやると、10年ぶりの友人丸山君(ヒューマン・スタジオ代表)がいらした。おそらく会えるだろうと予測していたとおりになった。SSWの熟練でもある。私は母の件があるので、総括報告を聴く前に退席し、丸山さんと後日の再会を伝え、帰路についた。
私は2011.3.8に炭谷茂氏の茅ケ崎講演を行い「ソーシャル・ファーム」作りに踏み出したが、数日後の3.11東日本大震災発災によって、軸足を災害弱者支援の災害ボランティアにシフトした。引きこもり青年たちの社会参加体験の基礎もここにおき、彼らとの陸前高田行・被災ペットの引き受け活動、中古自動車提供活動、鶴嶺高校ボラ塾参加を行って現在に至っている。講演会は古巣の香りとともに、手帳を持った障碍者団体の活動と重なる活動の台頭を見た。その印象が薄れないように、次回もこの続きを書いていく。(続く)
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夜間傾聴:ひとり(3/18)、ひとり(3/19)
(校正1回目済み)
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教材屋のトラブル処理の応援仕事が突然飛び込みました。すみません。今回は2日分合わせて書き込みます。
一昨日の日曜日、蒲田のシンポに出かけた。
我が家に母の友人がくるのと入れ違いに、私は蒲田の大田区産業プラザの「"地域"から"ひきこもり長期高齢化"を考える」シンポジウムに向かった。今回は危うく参加できなくなるところだったが、協力者の登場で切り抜けることができた。家族の見守りは日程の不確定要素がつよすぎる。
主催者のKHJ(全国ひきこもり家族会連合会)との再会は10数年ぶりとなる。会の活動の経過は知っていたが、着実に成長してきたことを感じていた。引きこもりは、社会的要因の強い身の軋みであり、社会とのつながりを最小限に絞り込むことによって、身を激変から身を守りつつ自律再起の契機が熟するのを待つ状態のことだ。人間関係の破綻や挫折を経過するものだけでなく、無力感や喪失感の蓄積が閾値に達したものもあり、ニート(無職者)よりも「苦しみの結果」という色彩が伴う
だから学生の延長上に登場するものと同時に、就労・結婚挫折者や、疾病治癒後の社会復帰困難者も含んでいる。よって年齢幅が大きく、個々人に適した変容可能性を孕んだ生活様式作りが手探りされているが。社会の多様性許容度の硬さによって、長期化が起きている。
学生時代からの延長にある方が多数を占めているが、後期の若年層からの方もおり、いっそう「引きこもりの高齢化」が問題になっている。背景には生活資金確保継続困難や、同居両親の生命の限界が迫る中、家計の自立が火急の課題となりつつある。現在最大のピークは30代にあるが、単純に就労先を決めれば解決するというものではない。さらには、引きこもり者は未婚のまま高齢化することが見込まれるため、単身高齢者の予備軍として、社会の課題となりつつある。
一方、支援活動はもうひとつの裏の課題を認識しつつある。それは自閉症スペクトラム等の発達障碍や、鬱病や統合失調症等の精神障碍、高次脳機能障碍、軽度身体障碍が対人関係や就労継続を困難にそていることが高率で、引きこもり者の社会参加や対人関係を困難にさせている場合があり(私のお付き合いする方はこのタイプの方が多いが)、いわゆる障碍者手帳をしていない、社会保障が得にくく、いわゆる障碍者畑の年金保障や未就労ゆえの年金保障も使えない立場に置かされている。
こうした社会的支援の不安定さゆえに、引きこもり畑の支援活動は、家族当事者の自発活動によって、相互協力したり情報共有を進める「家族会の活動」が必要となる。そこに生まれたのがKHJ(全国ひきこもり家族会連合会)だ。引きこもり者のプロフィールは、前述のとおり千差万別、多様性に満ちており、狭義の生活資金確保能力に社会的要請が、障碍者・高齢者不要論に通じる生活観に至る社会的転換が望まれている。
この問いに答える鍵が「地域」であり、いわゆる「ソーシャル・ファーム」的コミュニティの拡張版の生活共同体作りが試みられている。
KHJの講演では、伊藤正俊氏(KHJ共同代表)の基調講演の後、地域の取り組みが紹介された。
●KHJ宍栗市支部 ひまわりの家家族会 代表 松本むつみ氏(兵庫)
●NPO法人 おーさぁ 地域コーディネーター 赤星講平氏(熊本)
●NPO法人 暮らしづくりネットワーク北芝 尼野千絵氏(大阪)
●社福 総社市社協 事務局次長 中井俊雄氏(岡山)
いずれも交流活動から派生した生産活動(就労継続支援B型)や、食事会や共同娯楽活動等さまざまな活動コロニーが生まれ、ネットワーキングしていくという生活共同体作りと社会参加的就労の紹介が行われていた。
私は、ふたつの目的でシンポに参加していた。ひとつは本業の教育屋からつながる「不登校・引きこもり」伴走型支援情報収集であり、もうひとつは、熊本の赤星氏らの事例紹介に含まれていた社会復活としての災害ボランティアの実例収集だった。この災害ボランティアとの関連は、後日、再度検討するが、家族会ならではの地域連携との重なり、開放された生活共同体志向が読み取れた。活動の成長の動学を探りたい。既存の社会団体の株から新規活動が生まれてくるケースが多いようだが、一個人が社会活動の芽となり、新規活動へと広がる可能性はないのか、既存の活動の中からしか新規の活動は生まれないのかという問いが私の中にある。
会場内ブースに目をやると、10年ぶりの友人丸山君(ヒューマン・スタジオ代表)がいらした。おそらく会えるだろうと予測していたとおりになった。SSWの熟練でもある。私は母の件があるので、総括報告を聴く前に退席し、丸山さんと後日の再会を伝え、帰路についた。
私は2011.3.8に炭谷茂氏の茅ケ崎講演を行い「ソーシャル・ファーム」作りに踏み出したが、数日後の3.11東日本大震災発災によって、軸足を災害弱者支援の災害ボランティアにシフトした。引きこもり青年たちの社会参加体験の基礎もここにおき、彼らとの陸前高田行・被災ペットの引き受け活動、中古自動車提供活動、鶴嶺高校ボラ塾参加を行って現在に至っている。講演会は古巣の香りとともに、手帳を持った障碍者団体の活動と重なる活動の台頭を見た。その印象が薄れないように、次回もこの続きを書いていく。(続く)
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夜間傾聴:ひとり(3/18)、ひとり(3/19)
(校正1回目済み)