2018/03/04 記
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奈良***MLの方たちと、今回の常総市訪問の件で小さな対話をした。豪雨水害の経験の中から、震災共通の課題を私がどうとらえていたのかが話題になった。市の3分の1が浸水した常総市。家屋流出の激甚災害地域と裾野に広がる床下浸水地域の様相が違う被災に対し、何を求めて訪問したのかということだった。私が被災災害弱者の声を聴きたかったのは、実はベタ被災というべき軽度被害の地域の声だった。一般(今回は教員だが)の方の津波災害の海抜イメージは、静水浸水のイメージが強く、それを引きずるために、床下なら大したことがないという偏見があり、私の軽度被害地域への着目は見事に空転した。この「軽度」とは、環境ダメージの評価であって、人的被害の視点ではない。
市街が浸水したとき、側溝やマンホールなどが見えなくなる。ある程度の深さを超すと車のエンジンに水が入って動かなくなる。勿論、二輪車が使えなくなる。私が気になったのは、水が引くまでどの位時間が経ったのかということだった。豪雨水害の場合、危険は浸水だけではない。悪天候による避難の必要性が高まっているという背景だ。
避難の移動手段が使えなくなるという事態の中で、浸水した屋外を徒歩で移動する危険。視覚障碍者・車いす利用の身体障碍者・歩行機能が衰えた高齢者・幼児が浸水地帯を歩くことを予想してみると、ぞっとするのだ。日常生活の場面では、保護者がいない場面で分断されることとなる。この事態では家屋内の垂直避難を試みて、外に出ないということになるが、浸水の持続時間は、救出までの時間に影響する。この調査は激甚災害重点の視点のきめを細かくするために、周辺の様相をつかんでおこうと思ったからだった。
論点は、この論議が発災時(急性期)のものであり、見落としているものがあるのではないかという探りを感じるが、労多くしてではないかという忠告だった。私の脳裏には、被災障碍者の困難は、避難生活の細部に至る多様なもので、被災体験は丁寧に拾っていかなくては、次の災害の時、また一から出直しのようなことは避けていきたいと思うのだと説明した。
話は段々脱線していったので、まとまりはつかないが、発災時の孤立という事態に対する知恵はうまれないだろうか。
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他の話も紹介しておこう。発災時、携帯が使えなくなるとき、衛星通信を臨時契約することはできないのかという話があった。この衛星通信機は、自治体・避難所レベルの公共利用に道を開けという話だった。しかしこれは、現在の携帯回線業者は、災害対策として、回線強化しており、車両などの中継車派遣を行っているが、「定時ドローン中継機」を運用して、メールと、周波数帯の異なるトランシーバの中継局を立ち上げられないかというものだった。技術者がいれば議論が発展したかもしれないが、ここはここで終わった。
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今日は四肢麻痺の身体障碍の方に、次回の懇話会への参加を依頼したが、反応は、いまいち。次の手をうてないでいる。どうしたものか。
今日は逗子で、引きこもり青少年たちの上映会を兼ねた会合があった。参加したかった。母の見守りがまにあわなかった。悔しいが。連日電話見守りにすると、風呂にひとりで入ったり、外出しかねないのだった。最近も風呂場転倒(軽度)を起こし、夜間の空嘔吐(ダンピング)があったりと、安定しているわけではないからだった。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)
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奈良***MLの方たちと、今回の常総市訪問の件で小さな対話をした。豪雨水害の経験の中から、震災共通の課題を私がどうとらえていたのかが話題になった。市の3分の1が浸水した常総市。家屋流出の激甚災害地域と裾野に広がる床下浸水地域の様相が違う被災に対し、何を求めて訪問したのかということだった。私が被災災害弱者の声を聴きたかったのは、実はベタ被災というべき軽度被害の地域の声だった。一般(今回は教員だが)の方の津波災害の海抜イメージは、静水浸水のイメージが強く、それを引きずるために、床下なら大したことがないという偏見があり、私の軽度被害地域への着目は見事に空転した。この「軽度」とは、環境ダメージの評価であって、人的被害の視点ではない。
市街が浸水したとき、側溝やマンホールなどが見えなくなる。ある程度の深さを超すと車のエンジンに水が入って動かなくなる。勿論、二輪車が使えなくなる。私が気になったのは、水が引くまでどの位時間が経ったのかということだった。豪雨水害の場合、危険は浸水だけではない。悪天候による避難の必要性が高まっているという背景だ。
避難の移動手段が使えなくなるという事態の中で、浸水した屋外を徒歩で移動する危険。視覚障碍者・車いす利用の身体障碍者・歩行機能が衰えた高齢者・幼児が浸水地帯を歩くことを予想してみると、ぞっとするのだ。日常生活の場面では、保護者がいない場面で分断されることとなる。この事態では家屋内の垂直避難を試みて、外に出ないということになるが、浸水の持続時間は、救出までの時間に影響する。この調査は激甚災害重点の視点のきめを細かくするために、周辺の様相をつかんでおこうと思ったからだった。
論点は、この論議が発災時(急性期)のものであり、見落としているものがあるのではないかという探りを感じるが、労多くしてではないかという忠告だった。私の脳裏には、被災障碍者の困難は、避難生活の細部に至る多様なもので、被災体験は丁寧に拾っていかなくては、次の災害の時、また一から出直しのようなことは避けていきたいと思うのだと説明した。
話は段々脱線していったので、まとまりはつかないが、発災時の孤立という事態に対する知恵はうまれないだろうか。
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他の話も紹介しておこう。発災時、携帯が使えなくなるとき、衛星通信を臨時契約することはできないのかという話があった。この衛星通信機は、自治体・避難所レベルの公共利用に道を開けという話だった。しかしこれは、現在の携帯回線業者は、災害対策として、回線強化しており、車両などの中継車派遣を行っているが、「定時ドローン中継機」を運用して、メールと、周波数帯の異なるトランシーバの中継局を立ち上げられないかというものだった。技術者がいれば議論が発展したかもしれないが、ここはここで終わった。
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今日は四肢麻痺の身体障碍の方に、次回の懇話会への参加を依頼したが、反応は、いまいち。次の手をうてないでいる。どうしたものか。
今日は逗子で、引きこもり青少年たちの上映会を兼ねた会合があった。参加したかった。母の見守りがまにあわなかった。悔しいが。連日電話見守りにすると、風呂にひとりで入ったり、外出しかねないのだった。最近も風呂場転倒(軽度)を起こし、夜間の空嘔吐(ダンピング)があったりと、安定しているわけではないからだった。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)