2018/03/09 記
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ママプラグの「子連れアクティブ防災講座」に参加した。乳幼児・学童を抱えた母親たちの防災研修。参加人数は予想どおりだったが、参加者は活動の主導者だろうなと感じさせる方ばかり。保育室も準備され,そつなく準備されたレディメイド講演会だった。それが別に、いいの悪いのという話ではなく、私のような部外者は、長年の安全避難指導活動の**さんの2人だけのようにみえた。世間の災害に対する関心の状態は、ここにも影響しているのがわかった。
子どもは非常食を食べてくれないことや、慣れない避難所では、大声で泣いたり、排せつ特に和式トイレへの違和感から、半壊・全壊した我が家に戻っての避難生活に追い込まれることがあること。配給食や他の避難者からもらった食品に、アレルゲンがあり、アナフィラキシー・ショックを起こし、命の問題になることもあること。夫が職場にいたために、なかなか合流できない例や、子どもの持病の常備薬が補充できない事態が起こりうることなど、発災時は母親ひとりが子どもを守ることになることや、個別準備が強調されていた。そして防災グッズの説明に入ってしまう。たしかにそうなのだ、だがしかし…。
私は教化主義が嫌いなこともあって、なおさらに地域性や共助の育て方が語られない教科書を読んでいるのを聴いているような窮屈さを感じていた。
東日本大震災のとき、地域集落の避難所ほど、子どもの保護を同居祖母が分担していた。また小学校教員が学校や、公民館に顔をだしていた。漁業村落など同一業の集落などでは、仮設の一室を茶話会の場として、そこで子どもの一時預かりなどがたちあがっていた。モノカルチャーならではの様相なのだが、これを湘南と比べてみた時、母親が家族のすべてを抱え込むことが前提になるだろうか。同居祖父母のファクタも見えない。そういう個別の視点が一切見えないところに、核家族若夫婦の立場が見えてくる。
在宅避難生活を始めると、情報と物資が枯渇する。上下水道の問題や、照明の問題がのしかかる。自分たち家族が自宅に帰って生活していることを避難所管理者に伝えておかないと孤立する。つまり、子育ては共助の上にたてていかないと実際はパンクするのだ。事前準備と避難生活練習が不可欠なのと同時に、子育て世代のご近所さんの相互扶助(共助)が不可欠であり、その活かし方こそ論じ合う価値があると思う。
避難時の危険と抱っこ紐の重要性まで語りつつ、ひとの連携へのまなざしが薄いのは、極論すれば防災担当の男性のマニュアルを鵜呑みにしているように見えた。関係者が話題にしてきた知恵のことや、自分の事情から何が必要かを求めるような未消化な論議が反映されていない。多くの防災論議が安全避難に収斂し、避難後から始まる避難生活サバイバルを論じないのは、お仕着せスタイルに気が付いていないことが、活動の想像力を奪っているように見える。祖母の参加がないことも、じんわり,硬いなあと思わせるところだった。母子避難活動は、それでも高齢者や障碍者の場合と比較して、自由度が高い。核家族の安全に閉じてしまいやすい傾向があるがゆえに、地域避難生活の議論がなりたちにくい。
チームテーブルに分けられたところで、自由着想に基づいた結果をまたいつものパターンで、記入シールを白紙に集約していく。ところが集約したところで見えてくるものの論議はない。形式だけが市民活動に蔓延している。あれは目的を見失っている、今回の会に限ったことではないが意味が薄い。
硬いなあと思いつつ、災害弱者のくくり自身がきしみをあげるほどに、共通項(在宅避難率が高いことなど)が見えにくい。逆に言うと高齢者・障碍者などの課題への関心が薄いことは、懇話会を立ち上げた当初から悩んでいたところだ。だからこれは通じないなというあきらめのようなものが、ああ落ち着くつ会の終了の時点で払拭できないものになっていた。
会の終了後、代表の**さんにお時間をいただいて、自己紹介を兼ねた懇話会の紹介と、関連課題があったときなどに是非出席してほしいこと、次に「地元ティーンズ防災絆教室」立ち上げへの協力要請を行った。
懇話会立ち上げの頃、母子関連の団体をめぐり、会長さん宅を訪問して呼びかけ資料を手渡そうとしたとき、防災ボランティアであることを名刺で明かしたが、資料を叩き落とされて「警察を呼びますよ」とどなられたこととか、その後、家にもどったら駐在さんが家にきていて、母が混乱した話を例のはじめに、いりません、関係ありませんの連発を食った話から、年齢層の違う者の接点のなさをつい愚痴って、ともあれ読んで下さいと資料をわたして、相手を
不快にさせてしまった。反省である。
発災時の安全緊急避難活動の**さんとは、会えるとは思っていなかったが、偶然同席できたので、「防災教室立ち上げ」の件の5月、実行委の件を話し合うことができたのが収穫ではあったが、母子防災の件は交流失敗となるだろう。営業マンにはなれないなと常々思うのだ。
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母は昼前、迎えの車に乗って、地域の自営業者の元おかみさん食事会に出かけて行った。少しでも食欲がでればいいのだが。帰りも車に送られたようで、途中の鍼灸院で下ろしてもらったと、首筋の置き針を見せて、すぐに寝床にもぐってしまった。
午前中の企画は私は苦手だ。夜間傾聴が終わって日の出とともに就寝なので3時間寝たかどうかの状態なので、茶の間で爆睡。明日の大田区の東京直下型震災対策の議論の準備の資料を慌てて藤沢ジュンク堂書店に取りに行く始末。橋本の花瓶窓割り騒動の##君の母親から、明日の午前中の指導は日送りとなった。
朝食具材を仕込んで、これで就寝。
夜間傾聴:開店休業
(校正1回目済み)
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ママプラグの「子連れアクティブ防災講座」に参加した。乳幼児・学童を抱えた母親たちの防災研修。参加人数は予想どおりだったが、参加者は活動の主導者だろうなと感じさせる方ばかり。保育室も準備され,そつなく準備されたレディメイド講演会だった。それが別に、いいの悪いのという話ではなく、私のような部外者は、長年の安全避難指導活動の**さんの2人だけのようにみえた。世間の災害に対する関心の状態は、ここにも影響しているのがわかった。
子どもは非常食を食べてくれないことや、慣れない避難所では、大声で泣いたり、排せつ特に和式トイレへの違和感から、半壊・全壊した我が家に戻っての避難生活に追い込まれることがあること。配給食や他の避難者からもらった食品に、アレルゲンがあり、アナフィラキシー・ショックを起こし、命の問題になることもあること。夫が職場にいたために、なかなか合流できない例や、子どもの持病の常備薬が補充できない事態が起こりうることなど、発災時は母親ひとりが子どもを守ることになることや、個別準備が強調されていた。そして防災グッズの説明に入ってしまう。たしかにそうなのだ、だがしかし…。
私は教化主義が嫌いなこともあって、なおさらに地域性や共助の育て方が語られない教科書を読んでいるのを聴いているような窮屈さを感じていた。
東日本大震災のとき、地域集落の避難所ほど、子どもの保護を同居祖母が分担していた。また小学校教員が学校や、公民館に顔をだしていた。漁業村落など同一業の集落などでは、仮設の一室を茶話会の場として、そこで子どもの一時預かりなどがたちあがっていた。モノカルチャーならではの様相なのだが、これを湘南と比べてみた時、母親が家族のすべてを抱え込むことが前提になるだろうか。同居祖父母のファクタも見えない。そういう個別の視点が一切見えないところに、核家族若夫婦の立場が見えてくる。
在宅避難生活を始めると、情報と物資が枯渇する。上下水道の問題や、照明の問題がのしかかる。自分たち家族が自宅に帰って生活していることを避難所管理者に伝えておかないと孤立する。つまり、子育ては共助の上にたてていかないと実際はパンクするのだ。事前準備と避難生活練習が不可欠なのと同時に、子育て世代のご近所さんの相互扶助(共助)が不可欠であり、その活かし方こそ論じ合う価値があると思う。
避難時の危険と抱っこ紐の重要性まで語りつつ、ひとの連携へのまなざしが薄いのは、極論すれば防災担当の男性のマニュアルを鵜呑みにしているように見えた。関係者が話題にしてきた知恵のことや、自分の事情から何が必要かを求めるような未消化な論議が反映されていない。多くの防災論議が安全避難に収斂し、避難後から始まる避難生活サバイバルを論じないのは、お仕着せスタイルに気が付いていないことが、活動の想像力を奪っているように見える。祖母の参加がないことも、じんわり,硬いなあと思わせるところだった。母子避難活動は、それでも高齢者や障碍者の場合と比較して、自由度が高い。核家族の安全に閉じてしまいやすい傾向があるがゆえに、地域避難生活の議論がなりたちにくい。
チームテーブルに分けられたところで、自由着想に基づいた結果をまたいつものパターンで、記入シールを白紙に集約していく。ところが集約したところで見えてくるものの論議はない。形式だけが市民活動に蔓延している。あれは目的を見失っている、今回の会に限ったことではないが意味が薄い。
硬いなあと思いつつ、災害弱者のくくり自身がきしみをあげるほどに、共通項(在宅避難率が高いことなど)が見えにくい。逆に言うと高齢者・障碍者などの課題への関心が薄いことは、懇話会を立ち上げた当初から悩んでいたところだ。だからこれは通じないなというあきらめのようなものが、ああ落ち着くつ会の終了の時点で払拭できないものになっていた。
会の終了後、代表の**さんにお時間をいただいて、自己紹介を兼ねた懇話会の紹介と、関連課題があったときなどに是非出席してほしいこと、次に「地元ティーンズ防災絆教室」立ち上げへの協力要請を行った。
懇話会立ち上げの頃、母子関連の団体をめぐり、会長さん宅を訪問して呼びかけ資料を手渡そうとしたとき、防災ボランティアであることを名刺で明かしたが、資料を叩き落とされて「警察を呼びますよ」とどなられたこととか、その後、家にもどったら駐在さんが家にきていて、母が混乱した話を例のはじめに、いりません、関係ありませんの連発を食った話から、年齢層の違う者の接点のなさをつい愚痴って、ともあれ読んで下さいと資料をわたして、相手を
不快にさせてしまった。反省である。
発災時の安全緊急避難活動の**さんとは、会えるとは思っていなかったが、偶然同席できたので、「防災教室立ち上げ」の件の5月、実行委の件を話し合うことができたのが収穫ではあったが、母子防災の件は交流失敗となるだろう。営業マンにはなれないなと常々思うのだ。
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母は昼前、迎えの車に乗って、地域の自営業者の元おかみさん食事会に出かけて行った。少しでも食欲がでればいいのだが。帰りも車に送られたようで、途中の鍼灸院で下ろしてもらったと、首筋の置き針を見せて、すぐに寝床にもぐってしまった。
午前中の企画は私は苦手だ。夜間傾聴が終わって日の出とともに就寝なので3時間寝たかどうかの状態なので、茶の間で爆睡。明日の大田区の東京直下型震災対策の議論の準備の資料を慌てて藤沢ジュンク堂書店に取りに行く始末。橋本の花瓶窓割り騒動の##君の母親から、明日の午前中の指導は日送りとなった。
朝食具材を仕込んで、これで就寝。
夜間傾聴:開店休業
(校正1回目済み)