湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/6 やっと連休が終わった

2015-05-07 06:08:31 | 地震津波災害ボランティア

2015/05/06 記
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弟がまたひょいと現れた。母の日のギフト券を持ち込んできたのだった。普段は年数回しか顔合せしないために、これは想定外の出来事だった。同居している嫁さんの母親が腰椎ヘルニアで入院していたが、先日退院。ところが様子がおかしくなり、目を離すと歩行器を使って、家の外に出てしまうようになったという。急に始まったので戸惑っているが、今朝も転倒騒ぎがあり、母の日に届けることができなくなりそうだからと、実家にやってきたのだった。

もともと軽い認知症がある方で、入院を契機に徘徊が始まったというところだろう。共稼ぎなので、明日、包括支援センターに相談しにいくという。

母は近場に買い物にでかけていた。弟を残して出かけるわけにもいかず、包括支援センターとの仲介手伝いも、今日は休日で休みだ。渋谷で友人と約束していた時間が迫り、結局、友人も長い時間の余裕がなかったので、約束を取りやめにした。なんとも虚しい。昔、太郎次郎社の教育誌で「ひと」という月刊誌があった。そこに民間教育活動をしている団体が集まっていて、そこで私たちは「私塾の会」という学齢期の不登校・引きこもりの子を中心に、フリースクールっぽい塾屋の連絡会的な活動を立ち上げていた。そのころの友人のひとりが、重症の持病を押して塾を再建することになり、支援しようと元「私塾の会」会員有志が動き出していた。渋谷で会うことになっていたのは、その有志のひとりだった。電話で急に会うことが決まったのだが、それはシャボン玉のように、あえなく破裂してしまった。

1時間後、母が戻ってきて、弟の腰も座ってしまい、徘徊の驚きと、恒常サポートの重さの前で、定年迫る不安な心境を語っていた。

考えてみれば、一昨年の父の他界によって、家族の連続介護5人目が済んだわけで、母はまだこれからで余裕がある。その戦争が終わった後の空虚感、新たに始める仕事の手がかりなく、相模大野校講師は今期で定年。金銭的なこともあるが、それ以上に母の介護を見据えて、塾屋再建を考えていた。今日会うつもりでいた相手は川崎。親の家業を継ぎつつ、家庭教師を長年やっていた。先方の地元の武蔵小杉周辺で教室を開かないかと、相談するつもりでいた。

弟夫婦は、これから介護という障害物競走第二幕が始まるのだが、聞いていて心が取り残されてしまうような空回りを感じるのは、いかんともしがたい。

とにかく共通の話題がない。弟は私の社会活動をいますぐやめてほしい迷惑と感じている。亡き父の宗教活動と同列に見ている。馬鹿馬鹿しいが、強烈なレッテル貼りと時代錯誤は話にならないのだ。1時間、自分のことを封じられたまま、世間話をする息苦しさは、ただごとではない。

母が連休中の混雑の中、飲食店に出かけるのは嫌だと管をまくため、母と弟を追い出して、福島に行く際の書類作りをやる企ても、どうにもならなかった。

出前と自炊でもてなすのは私の仕事。なんとも虚しい連休が、こうして終わった。

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「わーくNo.054」原稿作りと、福島に持ち込む書類の一部作りをやっていた。

痛みかけていた牛乳にレモン汁と食塩を入れて、カッテージチーズを作って保存した。明日のサラダ用。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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