湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/3~5 累積した日録です すみません

2010-05-07 15:10:07 | 引きこもり
2010/05/03 記
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茅ヶ崎のジャズフェスティバル出店は無事終わった。集合時間が11時半で、開場が15時半というのは、昼食を作る者としてしんどいので14時半に遅れて参加させてもらった。

前々日に貼り出し用の広告ファイルを作っておいた。あとあとも使えるような中身にしておいたので、次回からは楽になる。その貼り紙と、東京事務所から持ち帰った最新号のビッグイシューを抱えて、Eさんが先に出店準備を終えていた。だから私は野次馬的に覘きに行っただけ。Eさん、お疲れ様。

会場の茅ヶ崎市勤労市民会館は出入り口通路が狭く、エレベーターが1つしかない。百数十名の参加があったのだが、観客の移動する動線沿いに店をたてるわけに行かず、観客から見える窓側の端に、翔の会ブルーベリーのクッキー販売と一緒に2店並んで、ビッグイシューを販売した。

こういう娯楽の場というものは、社会運動が参加するのには、場違いなところがある。曲に酔いたいのに醒めさせられるような構想接ぎ木の感覚のずれである。それでもチャリティのような感覚で、ブルベリーとともに、Eさんが会場で挨拶する機会を与えていただいたし、案内資料に湘南あすなろ会の紹介チラシを挟ませていただいた。実行委と仲介のさぽちがMさんには感謝している。しかし、ビッグイシュー販売の知名度があがってきているのに、生計自立・社会復帰の自主活動の本来の意義の希薄化が、お客さんではなく出店する側の事情として問題になるのは、どうしたものかと思っている。

バップ系のジャズなので、観客に若手は少ない。しかも夫婦連れの多い客層なので、どの位売れるかは疑問だったが、それでも20部ほどの販売をさせてもらった。会館関係者の方にも買っていただいた。

しかし、販売の意義や、活動の中身はチラシに託されている。Oさんのチラシは明快。だから会の活動の様子がよくわかるので、家庭に帰ってからの持ち帰り効果が、次回からの路上販売のときにどう出てくるかが楽しみである。

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父の見張りというか介護留守番時は、連休中も手伝って電話が入るので、父の枕元の電話が頻繁に鳴るので、その都度、父が目覚め、排尿に立ち上がろうとしてベッド上で倒れる。冷や汗をかいていたら、ついに頭をベッド柵に打ちつける事件が起き、更に私の帰宅前には、父が下半身の衣類を落としたまま立ち上がってベッド下に崩れて立ち上がれないままでいるという、以前の転倒事故の勢いとは違う、萎えた動作の結果の事故も起きていて、父をベッド上に押し上げる、丁度サンドバッグか水袋をうっちゃるような力技が必要になってきた。困った状態が続いている。

しかし落ちてから時間が経っていなかったので、びしょ濡れのベッド上に紙の作業シーツを敷いて母にシーツを押さえさせ、そこに父を押し上げることで、排泄物の拡散は何とか抑えられた。しかしベッド上のシーツを押さえるという前かがみの姿勢は、胃を取り去った者がしてはならないと医師から止められていた姿勢なので、母の就寝時、上半身の圧迫感と痛みに悩まされた。母が介護するというのは、本来無理なのだ。在宅という理想論が家庭に過剰負担を与え、その上に介護が成り立っている。介護は本質的に社会的なものなのである。

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翌日は辺野古と徳之島で揺れる沖縄の情勢下の憲法記念日。私は老健の申請書類を複数箇所集めて歩いていた。その申請巡回地の近くの知人にビッグイシューを届けようと思っていたのだが、電話に出た家族の方から旅行で留守だと断られた。私は相手がいないことが瞬間理解できないでいた。彼は沖縄に行っていた。彼は退役寸前の三流(失礼)フリーカメラマンである。私は政治畑から意識的に離れている人間である。しかし、瞬間、留守の意味がわからないほどに、感覚の距離が出来ているのがわかった。政治活動は私を量の一粒にする。私の残りの時間を思えば、匿名から退き地域に自分の特技を活かしきることの方が私のスタンスと思う。一市民、一有権者という抽象のスタンスを私はストップしている。この名前を失わない現場にこだわるという発想には異論が出る。彼はその異論の持ち主のひとり、昔の論敵である。彼の沖縄行になるほどねえと、勝手にうなづいていた。

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月曜日は、父のデイサービスの日である。父の階段途中の転倒事故寸前だった前回のショートステイからの帰りの階段事件が尾を引いていた。父の足は弱まったままなので、階段サポートは冷や汗をかいた。片足は脚を前に押し出す力が全く無くなっているので、連続歩行の背後に潜んでいる物理力、振り子の力を使えないものかと父の身体の誘導にアクセントをつけるが、重心の微妙なずらしにも恐怖感があるのか、すぐに刺激を拒否するように姿勢が崩れてしまう。

階段を降りるときは、悪い方の足から降りる。その順番を誘導するために、利き足が次の下の段に、反対足より先に降りられないように、私の足を段に残して足がぶつかるように妨げる。その仕掛けを維持したまま、父と一緒にシンクロして足を降ろしていく。このリズムを持った連続場面が、不安定に腰が砕けて続けられなくなっていた。連休中ということで、10分も早くホームの迎えが早々と玄関先で待っていた。父は焦るわけでもなく、集中しきれない眼差しで、不規則に2回足がもつれ、1度座ってしまった。階段介助ヘルパーさんと私の様子をホーム職員さんは心配そうに見ているが、手をださない。担当が違っているからだが、2度目の足のもつれは、足が滑り落ち、落下寸前だった。巻き込まれて落ちる寸前だった。彼らに動きは無かった。ちょっと制度の違和感を感じた瞬間だった。

夜間傾聴:なし
     大森海岸君(仮名・連休明けに鎌倉合流決定)

2010/05/04 記
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母が起きてこない。腰から下が異様に冷えて、加えて目の裏の痛みで目が開けていられないと言い出した。父の入所見通しが立たないことが、母の憂鬱の種になっている。昨日も「(父に人生が)つぶされる」と繰返していた。

明日から新しく関係を作った特養ホームのテスト入所が始まる。1泊2日だが、父が暴れないといいがと話していた。迎え時間の確認電話が入って、提出の書類やら、微妙な所持品規則の違いを手直しする準備があって、その間すら食事を盆ごとひっくり返している父の様子に、母は、ため息をついていた。シーツ交換を手伝わせた後遺症かとも思ったが、この半年、肩こりと頭痛、目の異常を母は頻繁に訴えていたので、ストレスだと思う。しかし内科兼外科と眼科の別々の主治医も、自分の診療科の範囲では問題は認められないとしており、いわゆる自律神経失調症(わけわからんが病気)として処理された。そこで神経眼科と神経内科の両方ともある専門病院を探すことになった。

父が明日からテスト入所なので、訪問看護師さんに来てもらい,浣腸実施。慢性便秘と水便漏らしの併存という状態では、浣腸の結果もはっきりしない。しかし固形物が少ないので、腹に溜まっているのは事実だ。危ないから便座から立ち上がるなと指示されても、父は手を振りほどいて立ってしまう。慣れた看護師さんでなければ、格闘になってしまうところだ。

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連休中は講師も交代で休む。その関係でJR相模原の方の塾の授業を臨時に請負うことになっていたが、母がこのような調子では出て行くのも気がかりだった。

橋本2君と会った後、相模原まで出て行く。今回は教科を離れた1回ものを、つなぎに、やってもいいとの話なので、画像認知と学びの話のつぎはぎ版を中2に語った。教科は何?と生徒に問われ、知らんと答え、その子に金返せと迫られた。もちろん彼の冗談だが、中学生はレスがある。高校生は寝るか消えるか、マニアックな奴だけが突っ込んでくる。不登校の子たちではない一般中学生クラスは久々だった。こういうときは、怪しい世界を語るに限るのだ。授業後生徒と立ち話をしていたので、近くの終バスに乗り遅れて落胆していると、Bさんの助っ人が入った。彼の車に乗せてもらって、直接南橋本に。肝を冷やし救われた。Bさん、感謝。

(略)

夜間傾聴:□□君(仮名・明日会うことに)




2010/05/05 記
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昨日は母の不調で、私が仕事から帰宅した我が家は、出掛けと同じ状態のままだった。母が家事放棄をした。母に茶を出し、症状確認。ダンピング(胃の逆流)が起きていた。幸い七分粥のレトルトがあったので、洋風芋粥を準備。父のベッドにいくと、父の掛け布団がベッド下に落下したままだった。

朝、父の送り出しはひどい状態だった。新しく契約した特養の職員の方が不慣れだったのだ。父はベッドから起き上がることが困難になっていた。父は普段から利き腕の力に頼って起きていたのだが、そのとき麻痺側の手も、何とか利き手の動きを補助していた。姿勢の体軸回転を防止していた麻痺側の手が全く動かなくなった。これが理由で、片腕の人がベッドから半身を起こすことが回転してやりにくいのと同様の事態が起こっていた。次にベッドを降りて立ち上がるまでが、動作がつながらなくなった。このことが、下半身脱いだままの父の習慣と相まって、排尿のとき間に合わずに、じかにベッド上に排尿する状態となった。

職員さんがベッドから起こそうとした。ところが父が起きない。私が見越して紙パンツをすぐに履かせるようにと指示。履かせている最中に排尿が始まった。指示はぎりぎりのタイミングだった。

パンツを取り替えて再出発。このとき、対面リードを受持つ職員さんが肩や腕をつかませる方法ではなく、父の両手を持って腕を引いた。素人の誘導である。たちどころに父の腰がひき、バランスを崩して倒れそうになり、横から歩行器の補助を入れて転倒を事前に防いだが、今度は階段誘導で、また父の両手の自由を奪ってしまった。結果、階段で転落の危機1回、尻餅2回、なんとか車椅子に移ることが出来た。ここは不慣れというより、対面誘導経験が浅いという印象。事務方かなと思わされた。

結局、予定より20分遅れて出発。不調の母に炊事の始末を頼んで家を出た。

紅葉坂の県立図書館は、「図書館海援隊プロジェクト」に参加している。「海援隊プロジェクト」を茅ヶ崎市立図書館に移殖する提案の準備で、県立図書館に立ちよった。馬鹿である。休日があまり関係ない仕事をしているので、休日であることを忘れていたのである。バックヤードの担当者不在。結局職員の方に伝言をお願いして空振りのまま、関連資料を物色して紅葉坂を下りた。神奈川労働局の精神関連の企業就労の関連相談企画の用事もダメ。

この勘違いは、神奈川医科歯科大附病院横浜センターに母が検査を受けるための予約にも影響。母から預かった紹介状を再び持ち帰ることに。隣の県民サポートセンターで、取り置きになっていた県立図書館の図書を回収するだけで終わったのだった。土日休日は、曜日無縁の私にとっては日干しの日に化けてしまう。

母は来客があり、調子が悪いのに茅ヶ崎駅前まで客を送った。この日、18時半からは湘南あすなろ会の定例会があるので、私は喫茶店で資料を作成、サポセンに飛び込んだが、そのごたごたの最中に、母が「駅前で外食をしよう」と、私の携帯に留守番電話を入れたりメールを入れたりしていた。それは時間的に不可能だった。しかし母はレストランで私を待っていて、その場でダンピングを起こしてしまった。

定例会を終えてOさんが車で家に送ってくださったが、結局そのレストランの従業員控え室で母はソファーに横たわっていた母を迎えに、タクシーで駅前まで再び戻り、母を乗せてから、連絡しておいた主治医に安定剤を打ってもらって帰宅した。個人用携帯、救急対応の当番日ではないのに対応してくれたので助かった。

折角父が外泊しているというのに、母はさんざんな一日だった。しかし、介護度が実質上った父の介護は、母には無理である。入所先探しを再開せねばと思いつつ、活動の立て直しは手が抜けない。長期戦のガタが来たなと思っている。あすなろ会の人間関係のもつれは、一応は回避、18日の懇談は形が出来てきた。

あとは、「わーく」の就労支援当事者懇談の連続企画の端緒を切ること。ここである。リカバリーキャラバン隊の方から、進行具合の問い合わせが入っているが、私の抱えている地元引きこもり青年ふたりは、まだ私と会えないままでいる。関連団体ではリカバリー当事者の地元関係者は、応答が無い。IPSの意味が伝わっていない状況に愕然。関係者に会わねばならない。7月15日の就労報告映像と懇談(サンシティ平塚・勝田氏講演)は、スペアちがさきの6月総会までお預け状態。静岡の就労支援取材も私の身動きが取れない状態でペンディングとなっている。7月に私の網膜色素変性症のセカンドオピニオンを求め京大附病院に行くが、その足で釜が崎に寄って、公園プロジェクトの取材をする件も、母の容態次第に後退している。予定が立たない。どうしたものかと、はやる気持ちを抑えている。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず、明日大船合流)


(校正2回目済み)

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