湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/5 お盆ちかづいてかなあと…

2024-07-07 03:21:00 | 地震津波災害ボランティア

2024/07/05 記

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ハッカーさん、おはようございます。外出の翌日というのに、母は寝床から出てきて、趣味仲間の集まりに出かけると言い出しました。更には、帰りに茅ヶ崎イトーヨーカ堂に寄って、お中元を買うという。この暑気の中だというのに、ぬ反対してもいうことをきかないので、やむを得ず、趣味の会合終わりに合わせて、買い物の同伴をすることにした。


しかし、無理は無理。案の定低血圧を起こし、日高屋の裏からタクシー。こうして、玉突き式に夕食は23時となった。


母の持病の「めまい」は、前置きなく、すとんと気絶する。低血圧は、にぶい頭痛や動悸があって、じわり気を失う。だから、今回は低血圧。タクシー会社に事情を伝えないと、駅前は、乗り場に向かえといわれその場にきてくれない。乗車後、わざと駅前ロータリーをまわって、陸橋を越えて南口に出た。茅ヶ崎は南北がJRに分断され道がない。一中通り地下道をぬけると、道を回り込めずおおまわりさせられるのだ。災害の時の大渋滞と、地下道の冠水、陸橋の破損は都市機能の麻痺につながる。救急車が救急病院と連携がとれなくなる。茅ヶ崎のアキレス腱だ。

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低血圧対策は慣れている。冷房は除湿に弱め、少量のワインを含ませ、仮眠をとらせる。回復を待つ。


回復した後、母は異様な話題を語りだした。「茅ヶ崎"銀座"に、うなぎやが出来た。見てきてくれた?」というのだ。なんで今?


確かに頼まれていた。母を趣味仲間に預かってもらっている間、ビッグイシュー配達がてら、うなぎやを覗いてきた。だから報告すればできたが、言葉に詰まってしまった。低血圧と疲労でようやく帰宅した人間が言うことではない。こういう違和感に引きずられて、故人の記憶が蘇ってきたのだ。

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祖母が長い寝たきり生活の果てに、レビー小体型認知症が始まり始めた頃、幻視•妄想が混じりはじめていたが、その時、意識は馬鹿に明瞭に、私に、いじわるな義母に対し、妹が義母の下駄の鼻緒を傷つけたと、唐突にいたずらっぽく語ったのだった。明治末期の話だ。びっくりしたが、笑い話として、夕食の匙を止めて聴いていたが、祖母はその翌年から、坂をころげるように、意識を悪化させていった。


祖父は私が幼いころ、私を墨田区側、厩橋の近くのうなぎやに連れて行ってくれたのだが、行くたびに、うなぎを食べたとき、三ツ矢サイダーを飲んではいけない、腹を壊すと、口癖のように言っていたのだが、祖父の臨終1週間ほど前に、息をあえがせつつ、うなぎとサイダーはだめだと、点滴をゆらして、私に説いたのだった。死の影が垣間見えた気がして、家族に厩橋の話は封印した。


そんなわけで、母のうなぎや話は、ぞっとさせられたのだ。語ってはいけないことかもしれないが。


(校正1回目済み)



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