湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/19 ポルト湘南の**さんと会って

2012-08-20 05:16:35 | 引きこもり
2012/08/19 記
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私たちが路上生活者と聞くと、熟年を過ぎた高齢男性の姿を思い浮かべる。しかし、特に都市部では年配者と同時に若者が目立つ。非正規雇用の雇い止めなどを経、アルバイトを転々とし、その間に借金と人間不信に陥るような経験を境に路上生活者になった者達だ。私が路上生活者のケアやパトロールを始めたのは、その若手の中に「引きこもりの者が路上におしだされてくる例」を見かけるからだった。しかも、もうひとつの特徴に障がい者手帳を取得するまではいかないが、知的・発達・精神・身体の軽度障がいを持った者がかなり混じっている。

私の担当した子の場合、高齢の家族の喪失を契機にした精神症の発症が、親戚の相続で追い出されるまで、私の担当だった。もともと大人しい青年だったが、発症した彼の孤立化は深刻な状態だった。彼の通っていた病院の精神保健福祉士(PSW)氏が、沼津の実家に転居するに当たって、彼を沼津に連れて行き、自分の就職した地元精神病院を受診させ、個人的に支えることを覚悟してくれた。公的支援が入らず、PSWの彼がいなかったら、路上生活者になっていたかもしれなかった。

この例があってから、私は路上生活者支援の活動に踏み込んでいったのだが。

私が塾を開いていた頃、低学力と取り組んでいた。彼のプロフィールを読み込むことから、生活環境の荒れ>独自体験の多様化(ゆとり教育の影)と、学習障がい(LD)の存在を踏まえた学習実践、自閉症スペクトラムから発達障がいへの取り組みというように、低学力をさぐる課題は広がっていった。当時不登校・引きこもり領域の教育運動で言われていたうつ病と神経症への関わりを、発達障がい領域にはみ出す形のかかわりへ。それはやがて、個人を社会関係の変容の中に見る「ケア・パートナー」という障碍への連携支援へと軸足を移した。いわば、ヒルギのような複数の樹幹が絡み合い枝葉を茂らせるように、そのどれもが、互いに関連づいたものなのだが、活動の質の深まりが関わりの多様化を生むという状態がたどれる。しかしそれが他者にはそうは見えない。

あるときは、教材を振り回していたり、あるときは鍾乳洞へ子どもを連れ出したかと思えば、社会参加PRGに熱をあげている。そして阪神淡路大震災のときは、FM送信機を担ぎ出し、有珠山噴火災害のときは、火山灰を学会ルートで学校に送り始めたかと思えば、交通事故を起こして2年、入院。入院生活レポートが始まったと思えば、引きこもり青年の就労支援窓口を作ろうと言い出して協力者の取りまとめに失敗、今度は路上生活者と社会復帰への模索、集中した就労支援を言い出した…というように、外観は取りとめもつかないばらばらのことをやっているように見える。今度は災害かいという通俗な眼差し、これには辟易とするところがある。物事は絡み合い確かに被災者支援が高齢者を取り上げている。何をやっているんだ。という呆れ顔である。

今朝、ポルト湘南という路上生活者の生活支援団体の**さんから電話が入った。辻堂駅南口にいる++さんの件で私が**さんの携帯に連絡を入れておいたので、その応答だった。夏場というのに、合成皮のジャンパーを着込み、脱水症状を起こして++さんが日なたのベンチに座り込んでいたので、応急に生理食塩水(経口補水塩)を作って飲ませた。私は糖尿病なので、いつもブドウ糖粉末を持ち歩いている。これに店のゆで卵添付の食塩をもらって目分量で作ったのだが、夏物の着替えを届けてくれないかという電話を**さんにしたのだった。辻堂は、茅ヶ崎と藤沢の境目にあり、両市の関連行政担当者にとっての谷間になっており、熱中症から命を落とすこともあると思えたからだった。

この電話を契機にして、**さんと会うことになり、彼と話したのだが、久しぶりで会った**さんの様子が、だいぶおかしいのだった。

昨年から私は東日本大震災に関わってきたのだが、それは私の稼ぎ仕事の授業のなかで、子どもと約束した被災ペットの救済の件と、震災ボラとして、「孤立死」の課題と向き合うことを始めたのだった。路上生活者の住環境整備の「舫(もやい・湯浅誠代表)」が各地で避難所管理運営に関わっていたり、地域福祉医療ネットワーク作りを始めていたりしたいた。舫出身者のひとたちは、やはり「生活困難者の支援」ということで関わっていた。私も、ひとつは「孤立死」、もうひとつは特に「外出困難高齢者の外出支援」を、いかに湘南と被災地を結び付け、そのひとつの外出支援の車付き送迎支援を実現するかというところなのだが。

おそらくは、私が、時流に乗って、ガレキ処理と、お祭り元気付けをやっているのだとレッテルをはったのだろう。路上生活者は日々の生存が脅かされている事態だ(それどころではない)という応答を受けた。私のQRカード提案が、路上生活者支援とは別個の話という具合なのだ。

福島の原発の件で反原発をやるという政治がらみの活動は意味があるが、もうボランティアはいいのだというのだった。たぶんここで言う「ボランティア」とは、環境整備と元気付け活動をしている者たちという意味だろう。葉と葉はつながっていない。しかし枝はつながっている。

それほどに今の路上生活者の状況は過酷な事態に陥っているが、そこから気まぐれに抜け出してという眼差しには、参ってしまった。私は既存組織に所属していない。私が社会活動に参加するには、その団体から生み出していかなくてはならない。その立場の差は、当たり前と見過ごすそのこと自身から障壁を生み出してしまう。

確かに私は学生時代同じような眼差しに晒された。私は学生運度の経験者であり、そこで私個人の名前を捨て、政治の歯車・働き蟻の一匹になることを求められたが、それを善しとしなかった。私の特技を活かして社会参加していく道から、はずれることはしなかった。そのときの誓約者集団の眼差しと同じものを**さんのなにげない行動に感じてしまっていた。

私は自分の立場をネットワーカーだと思っている。同一の目的があれば、その誰とでも実現への連携を探り、そこから先は個々人の責任において、自分を活かす最善の道を選ぶ。そういうことなのだが…

それならば、私の災害への関わりを路上生活者支援とのつながりにおいて、**さんに延々と話すかということだ。それはおそらくは徒労だろう。他者の意識の変遷を追認識するには、膨大な内的契機が聞き取り手に必要だからだ。レッテル張りには四つに組まないことにしている。社会活動は必要とされている者どうしが手を結んで活動し、いずれ散っていくからだ。私は引きこもり青年の可能性や、自閉症スペクトルのひとたちの個性を踏まえる連携、社会的弱者へのこだわりというところから身をひくつもりはない。しかし特定の思想信条を体現する活動をしているという発言には、馬鹿にしないでくれといいたい。社会の様々な活動はもっとインタラクティブな変容の中にあって、そのいぶきを私は活動に取り込み、満たしたいと考えるからだ。

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月曜日から後期の夏期講習が始まる。爺ぃは専任講師のように、朝から晩まで拘束されるのではなく、時間が短い。ただとことんねじれている軽度障碍の二次障碍を抱える者のもつれた糸玉に付き合うことになる。絡まった糸をほぐし知識を提供していく仕事だ。学習カウンセリングを伴う時間講師だから、持ち帰り仕事が多くなる。相模原や相模大野だから下手をすると往復の通勤時間の方が長くなることもある。だから時間がぶつぎりになるのが講習期間だ。通勤時間をどう使っていこうかと、大きな文字しか追えなくなった眼に問いかけている。


夜間傾聴>橋本3君(仮名・母親)
     中学生君(仮名)


(校正2回目済み)

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