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☆映画のことば、散文のことば (メモ46)

2008年05月07日 00時39分01秒 | 文学
フッサールはベルクソンよりも難しい。
たぶん、同じようなことを言ってるんだろうなと感じるのだけれど、難しい。
フランス語とドイツ語の違いか。
「超越論的」とか、何のことかよくわかんないし。たぶんこの「超越論的」が実感として分かったときがフッサールが判ったといえるときだろうな。ベルクソンも結局「持続」が判るかどうかなんだろうし。
まあ、それにしても難しい。翻訳の問題もあるのかもしれないけど、フッサールそのものに問題があるんだろうなあ。別の人が訳したものも読み易くはなかったし。
哲学書とは言っても、文章の流れというか文体というかそういうものがないとうまく読めないんですよ、結局。内容が正確か以前にそういうことってとても重要だとつくづく思う。
たくさん文章を読んできた人の書いた散文ってやっぱりいいものになるんじゃなかろうか。
ベルクソンの書いたものって一般週刊誌にも載せられるけど、フッサールのものって大学のみで読まれるもののような気がする。内容じゃなくて、文章として。
淀川長治が、黒澤明は「映画のことば」を知っていたと言っていたけど、そういうことって散文についても言えるな。ベルクソンは「散文のことば」を知っていた。
フッサールがどういう文学作品を読んでいたかに興味がある。ものすごく読んでいたら意外なんだけど。

プルースト「失われた時を求めて」8巻286ページまで。
・「ソドムとゴモラ」Ⅱ-Ⅱの第二章が終わる。
「ソドムとゴモラ」には副題が付いていないのでどういう章立てだったかが思い出せない。たぶん最初のころは語り手の祖母の死が描かれたんだったかな。懐かしいな。
・ヴェルデュラン家のラ・ラスプリエール荘でのパーティが終わる。
・シャルリュスはモレルから離れない。トランプの間も傍で見守る。ものすごくお気に入りだ。
・語り手はカンブルメール家のフェテルヌでのサロンにも誘われる。
それを聞きつけたヴェルデュラン夫人はあんな下品なサロンに行くのはおやめなさい、と語り手に忠告する。しかし、あなたが行くんなら、私(と、その仲間たち)も行きます、と言う。
・ヴェルデュラン夫人は次の水曜日のパーティにも来てね、と語り手を誘う。
ベルゴットも来るかもよ、と言う。しかしベルゴットの病状はだいぶ悪いらしい。
アルベルチーヌとサン=ルーも連れてきなさい、と言う。
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