休みなので昼御飯を作る。
リゾットを作りながらベルクソンについて考えた。
ベーコンを炒めて米を入れて水を入れて弱火で炊くのだが、この弱火で炊くという行為がベルクソンの「時間」ということなんじゃないか。
リゾットから「時間」を取り除いたものはどんなものかと考えると、水に浸かった米とベーコンとみじん切りの玉ねぎの上にオリーブオイルと黒胡椒をかけたものだろう。
そこからはベーコンの旨みやごはんの膨らみが欠けている。
何のおいしさもない。
ベルクソンの「時間」とか「持続」というのは人生における、そういう、旨みのことなのだ。
もちろん、いつもこんな馬鹿なことを考えているわけではなく、ベルクソンの「思想と動くもの」という論文・講演集を読んでいるからなのだが、まあまあおもしろい。これまで読んできたもののおさらいといった感じなのだけれど。
これを読んでしまうと本当にベルクソンの本で、文庫で読めるものはすべて読んだことになる。あと「創造的進化」を読んでいないのだが、そのうち復刊するか新訳が出るだろう。だいたい内容は予想できる気もするので読まなくてもいいかな、とも考えている。
調べてみると、ベルクソン(1859~1941)とフッサール(1859~1938)はほんとに同時代を生きているようで、お互いの影響はなかったのだろうか、と気になる。
哲学に厳密さを求めているところとか、ほんとうに同じなんだけれど。
リゾットを作りながらベルクソンについて考えた。
ベーコンを炒めて米を入れて水を入れて弱火で炊くのだが、この弱火で炊くという行為がベルクソンの「時間」ということなんじゃないか。
リゾットから「時間」を取り除いたものはどんなものかと考えると、水に浸かった米とベーコンとみじん切りの玉ねぎの上にオリーブオイルと黒胡椒をかけたものだろう。
そこからはベーコンの旨みやごはんの膨らみが欠けている。
何のおいしさもない。
ベルクソンの「時間」とか「持続」というのは人生における、そういう、旨みのことなのだ。
もちろん、いつもこんな馬鹿なことを考えているわけではなく、ベルクソンの「思想と動くもの」という論文・講演集を読んでいるからなのだが、まあまあおもしろい。これまで読んできたもののおさらいといった感じなのだけれど。
これを読んでしまうと本当にベルクソンの本で、文庫で読めるものはすべて読んだことになる。あと「創造的進化」を読んでいないのだが、そのうち復刊するか新訳が出るだろう。だいたい内容は予想できる気もするので読まなくてもいいかな、とも考えている。
調べてみると、ベルクソン(1859~1941)とフッサール(1859~1938)はほんとに同時代を生きているようで、お互いの影響はなかったのだろうか、と気になる。
哲学に厳密さを求めているところとか、ほんとうに同じなんだけれど。