ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆クリストフ・バラティエ監督「コーラス」感想

2008年05月18日 01時30分53秒 | 映画
コーラス メモリアル・エディション最近は音楽を題材にした映画に目がなくて、テレビで放送するもので気になるものは一応片っ端から録画している。(すべて見ているわけではないが。)
クリストフ・バラティエ監督の「コーラス」も録画していたので見た。
ヨーロッパ映画はたまに見るといつも話が一直線でないと思って、そこが最近は魅力だ。アメリカ映画の、そして日本のテレビドラマの、なりふり構わず結末まで一直線に進んでいる様子を見慣れているので、そういう千鳥足に癒される。
この映画は物語の中心となる少年の、声の美しさにほんとにやられてしまって、結局二度も見てしまった。最近あんまり続けて二回見た映画はない。
いい声してるなあ。
それと才能のある生徒を見つけて、その子の成長を見て喜ぶ先生の気持ちも、最近はわりと共感でき(年とりましたねえ)、そこもおもしろかった。
とても良い映画です。
コメント (3)

☆村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」読了

2008年05月15日 22時31分03秒 | 文学
中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)村上春樹の初期の短編集「中国行きのスロウ・ボート」(中公文庫)をすべて読み終えた。
以下は、後半の三つの短編のそれぞれの感想。

「午後の最後の芝生」
語り手が芝生を刈りに行く客は、浦沢直樹の漫画「MASTERキートン」に登場しそうな、ドイツ風の太ったおばさんを想像した。低い声を出しそうな雰囲気。
具体的にイメージさせる。
(恐らく)死んだ娘の部屋の雰囲気もよく伝わってくる。
うまいなあ。

「土の中の彼女の小さな犬」
彼女のなかで犬はまだ死んでなくて、語り手に手の匂いを嗅がれたことでやっと死ぬ。
この短編に限らず具体的な数字が(机が四十個並んでいたとか)書かれていて、そういう風に具体的にイメージすることは読者にとってよりも、どちらかというと作者にとって必要なことなんだろうな、と思う。書き手が具体的にイメージできていることが大切なことなんだろう。

「シドニーのグリーン・ストリート」
羊男(ひつじおとこ)が登場する。
挿絵のせいか宮沢賢治の童話を思わせる。特にひらがなで書かれた私立探偵の看板のあたり。
しかしこういうものを読むとフロイトの心理学は万能ですばらしいと思ってしまう。(もちろん嘘です。)
コメント

☆「失われた時を求めて」メモ48

2008年05月15日 01時20分58秒 | 文学
プルースト「失われた時を求めて」8巻372ページまで。
・できるだけ毎日感想を書くべきだ。よしっ!
・自動車でアルベルチーヌとドライブを毎日のようにしている。
列車での移動と違って自動車では目的地がだんだんと見えてくることが違う。
・シャルリュスはモレルと食事。
・アルベルチーヌはバルベックのレストランのボーイと目を合わせる。語り手は疑い、アルベルチーヌとはそのレストランに行かないことにする。
・母親にアルベルチーヌに毎日会っていることを非難された語り手は、「ママが何にも言わなかったらもうやめようと思ってたのに、言ったからやめられなくなっちゃったよ」というようなことを言う。(お前、いくつだよ?)
この理屈は祖母と母親にきちんと働けって言われたときに「言われたからやんなっちゃった」と言っていたのと同じ理屈。しかし、たとえ言われなかったとしてもきちんと働いていなかっただろうと語り手自身も分かっている。
コメント

☆カンガルー通信、みみずく通信

2008年05月14日 22時13分21秒 | 文学
村上春樹の短編集「中国行きのスロウ・ボート」を読んでいる。妻が読み終えて僕にも早く読めと言うので読んでいる。
「中国行きのスロウ・ボート」
「貧乏な叔母さんの話」
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」
「カンガルー通信」
の四つを読んだ。
「中国行きのスロウ・ボート」に登場する二人目の中国人の話で、山手線を逆回りに乗せてしまう話はなんだか悲しくなる話だった。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」に登場する、ウォーレン・ビーティーとエリザベス・テイラーの出演する映画は「この愛にすべてを」というタイトルのようだ。少し調べれば何でも分かる時代になった。この映画は見ないだろうな。
最初の三作品で何か感じたのはこの二箇所だけ。あまりおもしろくない。
村上春樹って成長してるんだなー。(えらそう)
「カンガルー通信」はおもしろかった。なんだろう。試みました、という作品なんだろうか。「不完全さを志した」と言わせているけど、確かによく分からない作品だった。おもしろいけど。
太宰治的というのかな。
そういえば、と思い、タイトルも似ている太宰治の「みみずく通信」も読んでみた。こっちもおもしろかった。
太宰治ってたまに読むといいこと言ってるんだよね。

P.S.
「カンガルー通信」の初めに載っている絵は何だろうと思ってたけどいま分かった。
カセットテープのケースにタイトルとかを書いて挟んでおく紙だ。
ずっと見てないものだから忘れてた。
コメント

☆「失われた時を求めて」メモ47

2008年05月14日 00時19分16秒 | 文学
昨日は妻が見ていたので、僕も横から木村拓哉主演のテレビドラマ「CHANGE」を見ていた。
パソコンをやりながらだったのでそんなにちゃんと見ていないのだが(と言い訳をしておいて)、富司純子の台詞の方言のイントネーションを聞いていて、映画「フラガール」と同じ場所が舞台なんだと思い妻に確認すると、福岡らしい。(「フラガール」は福島)
「フラガール」の母親役でも同じようにしゃべってたと思ったんだけどなあ。
松本清張の「砂の器」で、島根県の一部が東北弁に似た方言であるという話があったがそんなものかな。(絶対違うだろうけど)
最近たまたま富司純子の出演作品をよく見ていて、結構好きになりつつある。
これはNHKの朝ドラ「こころ」を見ていて、(不覚にも)岸惠子が好きになったことと同じ現象だ。
おそらく僕には台詞回しの独特な女優に惹かれる癖があるのだ。加藤治子も好きだし。
「CHANGE」ですか? 積極的には見ません。

フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」はまだ最初だが読んでいてわくわくする。おもしろいし読みやすい。同じ人のものを三冊読むと呼吸がつかめてくるということかもしれない。ほぼ同じことしか言ってないし。
竹田青嗣の「言語的思考へ」を図書館で借りたので少しずつ読んでいる。フッサールの参考になるかと思って。
竹田青嗣の本はもっと簡単かと思っていたけど、この本は案外難しい。きちんとした本を書いてるな。
僕はポストモダンと言われる思想の本は全く読んでなくて、竹田青嗣の本による批判的な紹介からの知識しかない。この本でもジャック・デリダのことが書かれている。以前の印象ほど批判はしていない。

プルースト「失われた時を求めて」8巻326ページまで。
・時間についての考察で、ベルクソンの名前が登場する。
やっぱりプルーストを読むときはベルクソンも必読だな。
・シャルリュスがバルベックのレストランで働くエメに手を出そうとしていたことがわかる。手紙を書いていた。
・語り手はアルベルチーヌに自動車の手配をする。
馬車では一日で行くことのできなかった二つの場所に自動車でなら行くことが可能。
距離感は移動手段に左右されるものだ。
・読んでみると最近読んでいるもののなかで、プルーストがもっとも読みやすいことがわかる。もっと読もう。
コメント

☆フッサール「デカルト的省察」感想

2008年05月13日 00時05分24秒 | 文学
デカルト的省察 (岩波文庫)会社の通勤時に読んでいたフッサールの「デカルト的省察」(岩波文庫)を読み終えた。
「間主観性」の話のあたりから面白くなった。
しかし今日はもう寝るので詳しい話はまた今度。
どうせ次もフッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」を読むので、同じような内容なんじゃないかと思っている。この本は昔読んだらしいのだけど、まったく覚えていない。覚えてないけど間違いなく読んでいると分かるのは赤線を引いているから。いまはそんな習慣はなくなったけど、一時期赤線を引きながら本を読んでいた。
コメント

☆スティーヴン・キングの短編集「骸骨乗組員」

2008年05月12日 22時02分45秒 | 文学
スケルトン・クルー〈1〉骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー)スティーヴン・キングの短編集「骸骨乗組員」(扶桑社ミステリー)を読んだ。映画「ミスト」(フランク・ダラボン監督)に興味があったので、原作の中編「霧」が収録されているこの短編集を読んだ。
最初の短編「握手しない男」はよく出来ていてたいへん面白かったのだが、他の短編は中途半端と言うか物語が途中で終わってしまっている感じだった。短いし。
で、映画の原作の「霧」なのだが、予想とは違っていた。
もうちょっとさらっとしたサスペンスものを予想していたのだけれど、いわゆるホラーだった。
あまりホラーは好きじゃないんだけど、やっぱり何がおもしろいのかよく分からなかった。それとアメリカものによくある、隣人との主張合戦もあまり好きじゃないんだよね。生きていくのは戦いなんだなあ、と思ってたいへんだと感じる。疲れる。
スティーヴン・キングの小説はしばらく読んでいなかったけど、またしばらく読まないだろう。(これまで読んだ中では「グリーン・マイル」がもっとも好きだ。)
でも唯一読んで良かったことは、映画を見ないことに決めることができたことだ。何かの間違いで見てしまったら嫌なもん見たなって思っただろうから。

口直しにマイクル・クライトンを読もうか、という気分になった。
コメント

☆黒澤明監督「虎の尾を踏む男達」感想

2008年05月11日 15時44分44秒 | 映画
虎の尾を踏む男達<普及版>録画していた、黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」を見た。短いので気楽に見れた。
弁慶役の大河内傳次郎はほんとうに、絶望的に、何を言っているのか分からない。
強力役の榎本健一は動きがいい。なるほど、これが噂のエノケンかあ。小さくて動きの良いコメディアンって昔からいたんだな。
この映画は「勧進帳」で、だいたいのあらすじは知っている。だから大河内傳次郎が何を言っているか分からなくても楽しめた。他の人の言っていることはよく分かったんだけど、大河内傳次郎のしゃべっているのは唸り声にしか聞こえない。「うーうー、あーあー」って言ってるのと変わらない。NHKの教育番組「できるかな」のゴン太くんのようなものだった。
榎本健一の軽快な動きと表情を楽しむ映画なんだろうなと思う。
コメント

☆「淀川長治、黒澤明を語る。」

2008年05月11日 03時25分21秒 | 映画
淀川長治、黒澤明を語る。淀川長治が黒澤明の映画について書いたり語ったりしたものを集めた「淀川長治、黒澤明を語る。」(河出書房新社)を図書館で借りて読む。
この間の、淀川長治が黒澤映画を語っているNHKの番組も見たので、わりとこのひとの黒澤映画に対する評価はわかった。
ほとんど同じ歳の黒澤明のことは評価もしていたけど、結局は同年代の親友といった感じだったのだろう。評価している映画もあれば評価していない映画もある。印象としては半々くらいかな。
いい映画も作ったけど、そうでないものもあった、でも黒澤のことは友達だ。というふうなことはよく伝わってきた。そんなのは批評じゃないと言ってしまえばそれまでだけど、まあそれでもいいじゃん。機械じゃないんだから、って僕なんかは最近思いますけど。
大林宣彦が、黒澤明の「夢」の撮影のときにメイキングを作ったらしいけど、できればそれを見てみたい。NHKが放送してくれないかな。
あと、ジョン・フォードがすごいらしいということがわかった。

そういえば「羅生門」をもう一度見たのでした。
あまり初見の時と印象は変わらなかったのだが、思ったことがふたつほど。
三船敏郎が森雅之を縛って京マチ子のところに走っていくのだが、そのとき馬鹿笑いしている(だいたいいつも三船敏郎は馬鹿笑いしているわけだが)。このシーンは伊丹十三の「マルサの女」で宮本信子がマルサへの異動が決まって馬鹿笑いしながら走るシーンに似ている。
それと、泣いていると思っていた京マチ子が笑いながら顔をあげるシーンがあるのだが、これは岩井俊二の「Love Letter」で柏原崇に振られた鈴木蘭々が泣いていると思ったら顔をあげると泣いてなかった(笑ってはなかったと思う)シーンを思い出した。
映画鑑賞ってほんっとに引用を確認する作業なんだなあ。
コメント

☆黒澤明の「羅生門」を見た。芥川龍之介の「藪の中」も読んだ。

2008年05月09日 00時52分31秒 | 映画
羅生門黒澤明監督の「羅生門」も見た。
見れば見るほど合わないな、と感じてしまう。
これまでのところ、「椿三十郎」だけは文句なくおもしろいと思った。「用心棒」もまあまあ。
他のはあまり面白いと思わないなあ。
退屈なのはまだ許せるが、黒澤明的ヒューマニズムが耐えがたい。堪らない。
今回も最後の赤ん坊の話って必要なのかな、と感じた。

原作である、芥川龍之介の「藪の中」を読んでみた。
映画では最後に志村喬の目撃談が語られるのだが、原作にそれはなかった。
志村喬の目撃談では、京マチ子が何か言うと、三船敏郎と森雅之が争いはじめるのだが、この京マチ子の台詞が何を言っているのかいつものように聞き取れなかったのでよく意味が分からなかった。
にしても、志村喬の目撃談は不必要なんじゃないかと思った。これって正解を語ってることになるんじゃないかな。
三船敏郎と京マチ子と森雅之のそれぞれの話は誰が正解か分からないということになるけれど、志村喬の話は正解になってしまうんじゃないのかなあ。

芥川龍之介の「藪の中」は久しぶりに読んだけれど、面白かった。(と言うと結局原作のほうがいいってことになって、お前は結局映画よりも文学が好きだからな、と言われそうなのであるが、否定はできません。)
二人の男と一人の女がそれぞれ、男の死の真相を語るのだが話が食い違って誰の言っていることが真実か分からない。それぞれが自分が殺したと言う。
今回読んでみて、確かに三人の言い分は食い違うのだが、しかし有りようは違っても結局女が悪いというところは変わらないんだ、ということに気付いた。
コメント