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☆判断中止

2008年05月24日 17時45分48秒 | 文学
Wiiのゲームソフト「マリオカートWii」はやるたびに腹が立って、罵詈雑言とともに電源をブチっと切って終わる。こんなゲーム二度とやるか! って。
僕にもしアメリカ人のママがいたら「そんなこと言っちゃダメよ、ボーイ」というジェスチャーで諭されそうなくらい、ひどいことを言ってる。
やっとドリフトの意味が分かりかけてきた。

この間自転車に乗っていて、「ゴゴゴゴゴーッ」って音がして、見上げると飛行機が飛んでいた。
それで、ああそうか、と思ったことがある。
この場面で、飛行機を見上げたあとに、隣からラジカセを持った少年が登場したら、この「ゴゴゴゴゴーッ」はラジカセからの大音響なのかも、と一瞬迷うと思う。
つまり飛行機があって、飛んでいるから私たちに「ゴゴゴゴゴーッ」が届いているように思うのだが、私たちに現れる順序としては、初めに「ゴゴゴゴゴーッ」があって、そして飛行機の画像があって、そして飛行機という轟音を出して飛んでいる物体がいる、と思うわけでしょう。
原因と結果を逆にしている、というフッサールの本でよく言われるようなことはこういうことだろうな。
で、ここからはフッサールの悪口なんだけど、とにかく前置きが長すぎるよ、このおじさん。
「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」ってタイトルも長いけど、本も長くて600ページくらいあるんだけど、半分くらいまでは自分がこれからやることの素晴らしさの前置きっぽかったな。
「俺はやるぞ、やってやる、すごいぞー、だってこれまでの人たちぜんぜん駄目だもん、俺はやる、これからやることはすごい、でもその前に……」というようなことが半分くらい続いた。(私の言うことは半分くらいは嘘ですよ。)
やっと超越論的判断中止のお話になった。
でもまあ、これまで読んだフッサールの本の中ではもっとも判りやすい本です。

本屋で内田樹の「レヴィナスと愛の現象学」の最初のところを立ち読みする。
「周知のように」というような言葉で書き始められた部分が、読んでて全く理解できない場合は、自分に宛てて書かれた本ではないので読まない、という部分に深く共感する。しかし、この方式でいくと、江藤淳の本は八割方読めないのではないかと危惧する。江藤淳が「言うまでもなく」と言うとき、私には聞いたこともない話がほとんどだった。
(あ、そっか、)江藤淳の本は私に宛てられた物じゃなかったということかもしれんな。納得。
本の選び方については、吉本隆明の「自分の得意な分野のところを真っ先にめくって、ぜんぜん駄目だ、と思ったら全体を通して読む必要はない」という発言(正確な引用じゃありません)とともに参考にしていこう。
「レヴィナスと愛の現象学」は面白そうなのでそのうち図書館で借りて読もう。この本は私に宛てられていると思う。
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