名人伝(中島敦著 小説)

2019-10-04 00:00:48 | 書評
中島敦を少し読んでいる。1942年に33歳で亡くなった夭折の小説家と言われるが、川端康成よりも10年後に生まれている。この亡くなった年に多くの作品を書いている。この『名人伝』は1942年の12月に発表されたが、12月4日に彼は慢性喘息で亡くなっている。

『山月記』や『李陵』とおなじように中国の古典に由来した作品で、弓の名人になった男の一生が書かれる。

簡単なあらすじだが、

主人公は紀昌という男。弓の名人になるために弟子入りしたのだが師匠は、まず「まばたきを止める」ことを求める。そのため、妻に機織りのアルバイトをさせながら、機織り機の下にもぐり機織り機の動きでも瞬きしないように2年間訓練。ところが師匠は、目の訓練をするように命じ、シラミを紐でつるして3年間見続けた結果、シラミが馬のような大きさにみえるようになる。努力の末、師匠の腕とタイになった紀昌は師匠を亡き者にしようと決闘を申し入れ実行されるが引き分けに終わる。

恐くなった師匠は彼を遠ざけようと、西方の高山に住む老師のもとを訪ねるように勧め、紀昌はこれに従い山に入るが、老師の使う技は、「不射の射」というもので素手で弓を引くような動きをするだけで空から鳥が落ちてくるわけだ。9年かけてその技を磨いた紀昌は、都に戻ると、「無敵の弓取り」の名誉を得るのだが、じっさいに弓を取ることもなければ、弓の形状さえ忘れてしまうのである。

この寓話的であるものの、著者はなんらかの真意を持っていたのか、解釈はすべて読者に投げたのかはわかっていないそうだ。

瞬きをせず、シラミが馬になった話は、かつてゴルフの名人だったタイガー・ウッドが視力回復(レーシック)手術を受けた後に、ホールがバケツのように大きく見えた、という話に似ている。

弓の名人といえば、日本では那須与一。源平合戦の時に活躍して平家の船の上に掲げた扇を弓で射抜いたといわれる。香川県のイサムノグチ彫刻美術館に行く途中に、その時に那須与一が乗った石というのがある。弓の極意は、不動の足場ではないかと思うわけだ。那須与一だって、扇を狙ったのではなく船頭を狙ったのが扇に当ったのかもしれない。ゴルフでも狙いと違う方向に飛んだボールが素晴らしく、「ナイスショット」と言われて「まあ・・」ということもある。

そして、『不射の射』といえば、まさに戦後の自衛隊。戦わずして強いらしいと言われている。