凧の博物館で見る多様性

2019-10-20 00:00:46 | 美術館・博物館・工芸品
日本橋の老舗洋食店である「たいめいけん」の5階に凧の博物館がある。たいめいけんの創業者であり、江戸っ子のコックであった茂出木心護氏(1911‐1978)は、終生を通し凧の愛好家であったのだ。世界中の凧、普及品や珍品などを収集したわけだ。

私の想像だが、世界の名画を集めるとか、古代遺跡を集めるという趣味の方もあるだろうが、洋食店の初代経営者にはそれだけの資産はなかったのではないだろうか。それに対し『凧』は、基本的にこどもの玩具である。さらに原料のほとんどは紙である。収集が過ぎて店の経営が傾くというような懸念がないのだろう。もちろん、洋食店を臨時休業し世界各地に凧の収集ツアーに行ったりすれば、店が傾いてつぶれるだろうがそういうことはなかったはずだ。なぜなら、洋食店の前には今でもお昼時間には列ができているからだ。



館内はまず、入るのに圧倒される。5階のエレベーターが開くと、ただちに凧が目に入る。たとえればドンキの店内のように空間のすべてに凧の展示がなされている。凧というのは、一般常識では、やっこ凧とか角凧というように平面的なもので、そのまま壁に吊るせばいいのだろうが、実はそういう形状でない凧がたくさんある。鳥の形のものや四角の箱のようなもの、帆船のようなもの。実に多彩だ。そういう立体的な形の凧は壁に張り付けるわけにはいかない。天井から吊るすしかないだろう。



そういうわけで、凧があちらにもこちらにもあって、ぐるぐると館内を回ると、同じところを何度も通ったりする。つまりドンキ的。日本の凧はいかにも機能的ということだろうか、これが中国と日本の文化の差なのだろう。多様化していく中国、簡素化していく日本。

ところで、最近、ほとんど正月に凧をみない。こどもの頃はよく広場で凧を揚げていた。しっぽの付け方が決め手で、まず仮のしっぽを付けて、その結果で修正する。それを繰り返して、やっとのことで空高く揚げることができる。こどもと父親のファミリービジネスとなり、家族対抗戦のようになるが、家庭内の父親の権威も凧と同じように上がったり落ちたりする。要するに、難しいのだ。さらに、親子間の技の伝承など、数十年前に崩壊したのだろう。親も子もゼロからの凧への挑戦ではうまくいかないだろう。最近の将棋教室もそういう気配なのだが。

ところで、初代経営者は凧を収集したのだが、二代目はスポーツカイト(スポーツ凧)に手を染める。三輪車を凧に引かせて陸上を疾走するパワーカイト、水上と空中を疾走するカートボーディング。要するに人間が凧に乗って空を飛んだり、水上でサーフィンをしたりだ。そして、世界最大級の翼面積のカイトを持ち世界中を渡り歩いている。

そして、現在、たいめいけんは三代目が切り盛りしているようだ。三代目が重要なのは日本史の教科書が教える通りだ。世界に羽ばたいたりせず、日本国内にとどまり、各種スポーツカイト類の輸入・販売を行うに留まっている。そして博物館の維持保全ということだろうか。