環礁-ミクロネシア巡島記抄-(中島敦著 紀行)

2019-10-24 00:00:37 | 書評
中島敦は、東京帝国大学を卒業している。それも大学院。病弱であり卒業までに時間はかかったものの、卒業後は文学に取り組みながらも仕事をしようとして、役人になる。南洋庁という省庁である。もとはというとドイツ領だった太平洋の北側の島々を、第一次大戦の戦果としてドイツから頂戴したわけだ。ひとことで言うと植民地。南洋開発といいながら、海軍の基地化を狙っていた。

中島敦にも、この紀行にも何の関係もないのだが、今でもドイツ人は第一次大戦で日本にしてやられたと思っている人が一定数いるようだ。第二次大戦の同盟も野合であったのだろう。

そして彼の勤務地はパラオ島のコラールという町。実は1万人以上の日本人がミクロネシアに住んでいたそうだ。その中心地である。南洋庁といっても実際の役人(日本人)は中学卒業者ばかりで、東大卒など雲の上の人。いきなりナンバー2で、給料は職員の3倍だったようだ。そして、パラオには肺の療養に渡ってきた日本人もいたそうで、中島敦も宿痾喘息との戦いを続けていたのだから、そのつもりもあったのかもしれない。

彼は、有名な英国の小説家であるスティーブンソンが同じく肺を病んでいて、南太平洋の島に住んだことを知っていたのだが、肺の回復に大きな期待を持っていたはずだ。

『環礁』は、実は彼が島を離れて1年ほど後に書かれる。そして発売されて一ヶ月ほどで中島敦は33歳で、東京で亡くなってしまう。『環礁』の中には、彼自身の家族も含め個人的な都合や理由はまったく書かれていない。そういう意味で本作には私情は感じられず、作品はまったくプロ的である。

巡島記と副題があるように、彼はコラールに着任すると、あいさつ代わりも含め、島々をめぐり始める。島々はそれぞれ独自の文化を持っていて、言葉も多くは異なる。島の自然についての描写、人々の民族的描写、文化・民俗学的描写、マリヤンという女性との出会いと別れ、そして美しい海や牛やヤギとの時間。

想像で書くのはほどほどにしたいが、彼が何とか生きながらえていれば、開高健のようになっただろうと私は思っている。

冗談ではなく、この『環礁』を読むと、いても立ってもいられないほど、パラオに行きたくなる。一ヶ月ほど滞在して、沈む夕日を楽しみながらスマホに青空文庫から中島敦の小説を無料で取り込んで読み耽るなど最高ではないだろうか。

中島敦は作品数が少なく、生涯も短いということから、何種類かの伝記や研究書があり、ざっと読んでいるところなのだが、困ったことに書かれている内容がそれぞれ少し異なっている。おそらく資料を掘り下げればそれなりに新しい中島敦像が浮かんでくるのかもしれない。

そして、パラオの島々は中島敦が去ってまもなく、太平洋戦争に巻き込まれていったわけだ。