斗南先生(中島敦著 小説かな?)

2019-10-15 00:00:52 | 書評
『斗南先生』は中島敦の小説である。小説という言葉をどこまで広く使ってもいいということにおいてのみなのだが。最近、中島敦の小説を読み始めたのだが、おそらくあと何篇かを読めば、おおむね終わってしまうのではないだろうか。作品数は少なく、ほんの1年か2年の間に多くの作品を発表している。

もう一つ、奇妙なのは彼の人生の中で、大家の小説や詩集を読んでいる中で江戸時代の将棋指し(史上最強ともいえる天野宗歩)の棋譜を全部並べたこと。何を考えていたのだろう。

あと何篇か読んだら、評論や伝記も読もうと思っているのだが南太平洋を放浪したり、それなりに自分なりの予想はあるのだけど。


さて、斗南先生にはれっきとしたモデルがある。中島敦(本作中で三造という主人公と思われる)の伯父である。小説中では三造が22歳で、斗南先生が72歳(伯父にしては年が離れているが)。斗南先生が癌に侵されて亡くなる最期の1年が時制になっていて、主に過去の思い出を含んだ記述で、伯父との関係を濃密かつ分析的に書いている。

といって日記ではないわけだ。日記だったら、二人の関係だけでなく様々な世の些事を書くのだが、それはない。

いかにも実在の話のようにも思えるし、小説なのだからかなり脚色もあるのかもしれないが、基本的には斗南先生は漢学者である、超堅物であり、世間を気にしない老人で、少し貧乏でケチで粘着質ということになっている。嫌われる要素があふれている。しかし、甥の中で特に三造を目にかけていて、暇になると呼び出して将棋を指したり、社会学の説教をしたりしていたり。

そして臨終に際しては安楽死を望むも、医師に断られ、「二度と眠りから覚めない睡眠薬」を三造はじめ数人の近親者の前で飲み、そのまま数日後に亡くなる。遺書に基づき、遺灰は熊野灘にまかれ、来るべき米艦隊来襲の時には、海の怪物、鯱(さかまた)となって戦うことになった。

また、周囲からは、三造は斗南先生とよく似た精神構造であると言われていて、年齢を重ねた時に、そうなっては嫌だと思っている。

中島敦は33歳で早世するので、彼自身も彼の読者もその結論を知ることはないが、生きていれば平成時代にいたわけで、鯱となって米軍と戦う気持ちにはならなかったのは確かだろう。

将棋の話だが、あくまでも本作で窺えるのは、「伯父に呼び出されて将棋を指すことが多かったが、自分の方が一枚半弱い」と書いてある。一枚半とは飛香落ち。天野宗歩の棋譜を並べるには最低初段の実力は必要なので、伯父は四段程度だろうか。かなりの強豪だろう。また伯父との会話の中では、「支那(原文)からきた少年棋士」、「新聞将棋の話」が話題になっているという意味のことが書かれている。50歳年上の老人に勝とうと勉強したのだろうか。そうだとしたら、すごい精神構造だ。あるいは将棋が強くなれば、呼ばれずに済むと考えたのだろうか。
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