シベリア鉄道9400キロ(宮脇俊三著)

2016-11-03 00:00:51 | 書評
シベリア鉄道について少しだけ興味がでてきた。一つは、先日、ユダヤ系の人たちが、杉原千畝氏の発行した日本通過ビザをもってリトアニアからモスクア、ウラジオストックを経由し敦賀、神戸、横浜経由で米国または上海に脱出した実話を読んだこと、そしてもう一つは、12月の日露首脳会談の日本のおみやげの一つがシベリア横断鉄道の日本延伸ということ。それで、ずいぶん前に読んだまま書棚の奥に隠れていた本書を探し出して読み直す。

sy9400


本書は文庫版で1985年の刊行だが、「野生時代」で1982年の9月から連載が始まるのだが、ブレジネフが亡くなったのが1982年11月なので、生前にシベリア鉄道に乗ったのだろう。冷戦の陰もあちこちに散りばめられている。ゴルバチョフが登場したのは1985年の秋だ。

ということで、純粋シベリア横断鉄道の終点のウラジオストックは軍事都市なので入れず、支線であるナホトカからの出発になり、横浜からナホトカまでの客船が旅の起点になる。

それから7日間の汽車旅になるのだが、時速100キロ以下で大型車両が走る。線路の幅は新幹線より広く、まったく別サイズ。最初の関門はアムール川を渡ること。

ここの記述が、現代では理解しにくいのだが、鉄橋には1本しかレールがなく、単線なので特急「ロシア号」が通貨したあと、他の列車がまとめて渡っていくというようになっている。道路工事の時の片側交互通行みたいな書き方になっているのだが、別途調べると、アムール川の川底には、当時でもトンネルがあり、モスクワ行きはトンネル、ウラジオ行きは鉄橋らしい。書かれているのはモスクワ行きで鉄橋を渡っているのだがよくわからない。著者が、川底トンネルのことを知らなかったことは間違いない。川の底にトンネルなんて、日本では考えられないから。

そして途中には二つの重要支線があり、まず東清鉄道。ロシアが清国を脅かして満州権益を得たときに敷設。満州を経て北京に向かう。次にモンゴル鉄道。ウランバートルを経由して北京に向かう。

そして、バイカル湖。南北に長い湖なので、南を通るのか北を通るのかが問題だ。シベリア横断鉄道は南岸を通るのだが、北岸を通るのが第二シベリア鉄道(BAM鉄道・バイカルアムール鉄道)1985年に開通。

で、問題は日露首脳会談の話だが稚内から樺太までの45キロを橋またはトンネルで結び、サハリンの南から北までの鉄道を整備し、サハリンの北端近くから大陸までの間宮海峡は7キロしかないのでトンネルでつなげるということらしいが、その先はBAM鉄道の終点よりもさらに北なのだ。で、その鉄道をつなげるのがBAMの方なのかシベリア鉄道なのかは大問題。

なにしろ、BAM鉄道はバイカル湖よりも西側、つまりシベリア鉄道の半分くらいのところから分岐するので、人のいる方は南側なのだが、そうなると間宮海峡からウラジオストックまでさらに敷くことになるが、まず札幌と間宮海峡の距離は東京と札幌よりも長いわけだ。そこまでウラジオまで戻るというのは青森までまた戻るような距離のわけだ。これだけで札幌から鹿児島までの距離になる。そして、南北に移動しただけで、まだシベリア大陸の内側には1メートルも進んでないことになる。さらにモスクワは9400キロ先だ。

で、もし仮にシベリア鉄道に乗りたいとか思うかもしれないので最新事情を調べてみると、それほどはっきりはわからないのだが、ブレジネフの時代とあまり変わらないようなものらしいのだが。