苗字の歴史(豊田武著)

2016-11-09 00:00:53 | 歴史
苗字は、名字とも書かれるが、氏名という場合は「名」は名字ではなく名前の方になる。姓名という場合は「姓」で名字の「名」は名前だ、この疑問だらけ状態は、たぶんほとんどの人が感じていながら、「まあ、そういうことになっているから」と、なんとなく割り切っているだろうが、突き詰めればおかしな話だ。苗か名か姓か氏か。場合によっては「家」名を汚すというような使い方もある。先日横領発覚により捕まったMS銀行の某副支店長は、四文字のかなり構造の珍しい苗字であり、家名を守るため、自分だけ苗字を変えていた。(役所にいって理由を記載するときには、「逮捕予測」とは別の理由を書いたのだろうが)

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また、勘違いしている人も沢山いるかもしれないが、「一般の国民が苗字を付けてよくなったのは、明治政府のおかげだ」と思っている人は、何重にも間違っている。

そもそも今は世界のどこにもないほど桁違いに種類の多い苗字は、ルーツが何種類もあって、それぞれのルーツごとに専門研究者が必要なほど複雑なようだ。考えてみれば、日本列島に最初に来た人間は、一握りの数だったのに・・

ということで、本書の著者の豊田武さんも、そのルーツ探求家ではないので、日本の苗字のルーツの全貌をさらっと書くというスタイルである。

古い方から書くのがいいのだろうが、手っ取り早く明治政府の政策から。一つは帯刀禁止、もう一つは苗字の解禁。帯刀禁止は内乱防止と武士階級の壊滅のためで簡単な話だが、苗字には二つの意味があった。一つは武士階級の廃止で武士の特権(氏を名乗っていい)を撤廃するためで、もう一つは戸籍を作るためだった。なんのための戸籍かというと、帝国軍をつくるために徴兵制を導入するためだった。苗字も、明治5年には、「苗字を名乗っていい」だったのが明治8年には「名乗らなければならない」というようになる。

そして、もともと人口の8割は苗字のない農民だったはずなのに、大半の農民は苗字を持っていた(厳しく禁止していた藩もあり、そういう地域は明治になり名前探しに苦労し、珍名を付けることが多かったようだ)。それは、屋号であったり、氏を認められた庄屋と同じだったり、あるいは名乗ることを禁止される前の苗字であったりする。

苗字公称の禁止は、実は江戸時代の最初からではなく、江戸時代が始まってから100年後位に全国に拡がったようだ。だから基本的には各戸は、それぞれ親から子へと代々引き継いでいったのだろう。

そして、ずっとずっと前にさかのぼると、奈良時代の頃には、全国の土地は有力者に分割されていて、その領民は、○○氏の土地の○○さんということになっていて、奴隷制とは言えなくても土地の所有者に属する集団ということで、そのグループの名前がついていた。公家とか貴族とかだ。さらに帰化人も日中の中間的な苗字を選ぶ。

そのうち、武士の時代になり、所有地の支配者は武士になるのだが、源とか平というのが先にあるのだが、さらに一門の中に別の苗字が現れる。源頼朝は「みなもとのよりとも」、平清盛は「たいらのきよもり」というように、「の」が入るのは、苗字というより一門の名前だった。彼らの子孫は、それぞれ千葉とか足利とか領地の地名を選んだので。「の」はつけなくなった。

この段階で、また領民も貴族の名前を捨て、本格的な苗字を選んだり、屋号とか住んでいる川とか山とかにちなんだ苗字を選ぶ。

さらに平安末期から鎌倉初期には、東国武士が大移動をすることになり、あちこちに苗字を持っていき、かなり混じりあっていく。当時の武士、大名は一夫多妻制でなんとか自分と同じ苗字のこどもを沢山作ろうとしたので、家を継げない子供は、在野に拡がり、苗字が拡散することになる。

さらに江戸時代には偽系図が流行し、それらは子孫には本物として伝えられるだろうから、さらに複雑化した。

ということで、苗字には色々な種類があって、研究するのはきわめて根気がいる反面、一利なしと思われることもあり(差別の遠因でもある)、ややあいまいなまま現状に至るということのようだ。


紙頁は少ないが、夫婦別姓についても書かれていて、現代の感覚と異なる話は、平安時代までは、公家においては家というのは男系ではなく女系であり、女性の家に男が入婿することになっていたので、女性の家の姓が引き継がれる。一般的な現代の姓とは逆だ。

そして、日本では長い間、女性は結婚後、夫の姓を名乗らず、実家の姓を名乗ることが一般的だった。現代の中国はそうだ。それが変わったのは明治9年なのだが、これは明治政府が家長制に突き進んでいくためだった、ということではなかった。明治のかなり早い時期は帝国主義というよりも脱封建制という思想があり、「結婚しても旧家の所有物のように姓を変えられないのはおかしい」という論理だったそうだ。

そして、戦後は、夫妻のどちらの姓を名乗っても構わないが、同一にするように、という形になっているわけで、夫婦別姓もいかにも民主的なようで、一面、娘を実家の支配下にとどめるという封建的な側面もあるという観点にも考慮が必要なのだろう。