予防接種で「お大事に」とは

2016-11-11 00:00:24 | 市民A
インフルエンザの予防接種を近隣の医院で受けたのだが、注射が終わって診察室を出るときに、「お大事に」と言われ、代金を支払って医院から外に出るときにも「お大事に」と言われた。

医院に来るほとんどの人は、患者である。体調が回復した人は、自分で「治った!」と判断する。医者に来てお礼を述べたりしないのだから、結局、医院に来る人は、ほとんどが患者であると言える。精神科でも同じで、精神的問題を抱えているから精神科に行くのであって、正常か病態かわからないので判定してほしいというような人が来るわけないのだが、ゆっくり診断する時間もないほど患者が多いので、「まあ、正常でしょうね」と言ったりして問題を残すことになる。

話を戻して、予防接種を受けに来る人は、唯一、健常者と言っていい。病気だったら予防接種してはいけない。それなのに、病気の状態と同じように「お大事に」と言われると、大いに戸惑う。

よく考えると、予防接種を受ける人って、病弱な人が多いのだろうか。病気ばかりしているから予防接種を受けるのだから、いつでも「お大事に」と言っておけばいいということなのだろうか。あるいは、単に「職業的口ぐせ」で、看護師や医師の口から考える前に言葉が出て行ってしまうのだろうか。


ところで、同じような言葉で「ご安全に!」ということばがある。製造業では普通にあいさつ代わりに使われていて、こんにちは、とかお疲れさまでした、という場面に登場する。私は商業系の企業を出発点としていたので、あいさつは夕方でも「おはようございます」と芸能界みたいなパターンだったので、最初に「ご安全に!」を聞いた時、かなりの違和感があった。

ストレートに解釈すれば、「いつも事故ばかり起こしているのだから、事故を起こさないように」と言われているように感じたのだ。予想接種のお大事に、と同じ感じだ。

とはいえ、いつも安全に!なんて言うのは、しょっちゅう工場がトラブルで止まっている会社とか、次々に社員を病院送りにする大手広告代理店会社が対象であって、基本的にはほとんど事故を起こさない会社にとっては、言われれば不快なことばではないだろうか。

類似の話としては、新年の安全祈願で神社に行って「今年も安全操業できますように」なんて虫のいい祈りを捧げる行為なんて、受ける神様の方だって門前払いにしたいところだろう。あえて言うなら、「去年は一年間、事故を起こさないようにこれこれしかじかの努力をしましたので、神前に報告します。あとは神様のご随意に」というのが妥当な態度なのだろう。

とはいえ、日本では古来より戦争が始まる前には武将たちは神社に必勝を祈願し、結果として勝った場合は、味方のみならず敵の側の死亡者の霊を慰めるために、今度は寺院によってお経を上げる。後で慰霊するぐらいなら、最初から戦わなければいいのだが、まあ、しかたない。順番を変え、先に寺院に行って、これから起こる戦いの結果、敵味方双方で失われる人数について、先にお弔いをするというわけにはいかないだろう。