好みのタイプで、・・

2010-02-13 00:00:19 | しょうぎ
最近だが、将棋の盤駒のセールがあった。関西に本社があり、その業界では有名な会社だ。関東のある町で開催。


実際に、趣味の世界では、釣り道具やゴルフクラブなどは、次々に新製品が登場し、巧く行けばベストセラーになる。なんとなく、道具を変えると結果が伴いそうな錯覚に陥るわけだ。

ところが、将棋の場合は、誰がどう考えても、高い道具を買って強くなる、とは思わないわけだ。さらに今はPC時代。盤駒なしでも将棋が指せるわけだ。もちろん、盤駒は値段にかかわらず嵩張る。

以前、中原誠16世名人は、二日制のタイトル戦に向かうときは、携帯用の磁石駒を持っていき、一日目の夜に翌日の検討をしていたそうだが、スーツケースの中に入れていたのだろう。それに、本物の盤駒で、深夜にパチパチしていたら、周りの部屋から苦情が出ていただろう。

話は飛ぶが、最近のタイトル戦では、対局者はパソコンとか持っていくのだろうか。夜の間に自室で、柿木さんとか金沢さんとかボナ氏とかに相談したりはしないのだろか。別に違法でもないのだろう。


さて話を戻し、実は、この盤駒の種類や良否というのには、かなり詳しいのである。ただ、詳しいから自宅にお宝があるというのではなく安物多数がゴロゴロしているのだが、話し始めたら1時間の口である。

が、ここに書く気はまったくない。実は書くのは、この有名な棋具屋さんが、昨年後半に起こしたある件のこと。ZAKZAKから。

囲碁・将棋用品製造販売会社社長、X容疑者逮捕 ホテル従業員の下腹部触る
2009-09-16 11:06:53
逮捕されたのは大阪市北区の「○●○●」社長、X容疑者。橿原署によると、9月10日夜、宿泊先の橿原市内のホテルの客室で女性従業員に抱きつき、スカートをめくって下腹部を触った疑い。「好みの女性だった」と供述しているという。

X容疑者は○○県出身。9歳で父親を亡くし、中学卒業後に単身○○へ。囲碁・将棋盤メーカーで働いていた1960年、23歳でキリスト教の洗礼を受けた。 そんな“人格者”が起こしたハレンチ事件。前出の関係者は「知名度が高く、尊敬されてもいたので、信者たちは相当ショックを受けている。魔がさしたのか…」と困惑を隠さない。

聖書にいう《求めよ、さらば与えられん》が心の支えだったというX容疑者。教えに従って“求め”たばかりに、許されざる過ちを犯してしまったのか…。


まったくナイスな締めだが、キリスト教会では許しを得たのだろうか。

実は、この1ヵ月後、キリスト教系Websiteの「Christian Today」に本人からの懺悔のコトバがあった。

【お詫び】 
2009年10月19日

此のたび私の不徳ゆえに全国の先生方やクリスチャンの兄弟姉妹にご心配とご迷惑をおかけしましたことを心からお詫び申し上げます。

事件後、先方にお詫びを申し上げ、和解が成立し、不起訴となりました。 私のような至らぬ者のために多くの先生方や信徒の方々が祈っていただき、また励ましの言葉やお手紙もいただき胸が詰まる思いをいたしております。神様の前に祈りと断食をし、悔い改めの日々をすごしております。 また謹慎のために全ての役を辞退させていただきました。

全国的に教会や特伝の集りの中で証し講演をしてきた私にとりまして、お招きいただき証しをさせていただいた教会、出張先で証しの時間をいただきました教会の先生と皆様に申し訳なく、躓きを与えることが一番の心の痛みであります。

皆様のお祈りを心からお願い申し上げまして、お詫びの言葉とさせていただきます。

X



事件の真相については触れずじまい。和解というには、何かが必要であったのだろうか。

<求めよ、さればさらに与えることになるだろう>だったのだろうか。触った後で払うのも、払った後で触るのも大差がないと考えたのだろうか。

忙しくてセールには行けなかったのだが、よく考えれば、「在庫換金大特売セール」だったのかもしれない。

しかし、社長は日本刀を使って、盤の升目の線を引くという特技を持っているそうだ。ということは、ご自宅にも愛用の品が何振りか揃っているのだろう。つまらないことを書いていると、突然の訪問を受け、「好みじゃないな」とか言われ、玄関先で低額ゴルフクラブや初心者用釣り竿セットで応戦しなければならなくなると、ちょっと困る。


さて、1月30日出題作の解答は、こちら


本日の問題。なにげなく落ちている金の取り方。やや意地悪な技が必要だ。



解けたと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ正誤判断。

最終手があっていても、手数が誤っている場合も考えられる。もちろんそれは不正解だ。

はっさくママレードの季節

2010-02-12 00:00:50 | あじ
hassaku1昨年に続き今年も親戚邸から“はっさく”が送られてきた。昨年の豊作以上の大豊作ということで、12キロである。となると、昨年同様、あちこちに配るものの、大量に残ってしまう。

ママレードを作ることにした。

まず、何から始めるかだが、「去年の作り方を思い出すこと」である。去年は、どこかの誰かのWebsiteから情報を得て適当にアレンジして作ったのだが、今年はもっといいWebsiteがある。

おおた葉一郎氏のblog、2009年2月13日「はっさくママレードをつくる」である。作り方と改善点まで書かれている。

つまり、去年自分の書いたブログをプリントアウトして、レシピに使うということ。あまり例はないだろう。

昨年の反省として、大玉4個では多すぎると書いたのだが、熟考の末、大玉5個にする。逆もありだ。ある秘策を考えていた。

hassaku2そして、解体作業。外皮をスポンジでこすったあと、包丁で、八等分して、肉厚におろす。さらに切り刻む。果実の方は薄皮を取り除き、さらに種を集める。昨年は、それぞれの作業を慎重かつ正確に行ったのだが、しょせんは薄皮と種以外は最後は一緒に煮込むのだから、つぶれてもちぎれても問題はない。やはり二回目は仕事が速い。たぶん三回目は指を切るのだろう。外側はヌメヌメしていて、結構危ない。

今回の作戦は、外皮の前作業。本当は、前日の夜に切り刻んで水にさらせばいいのだが、そういうことはやらない。前日に行ったことで翌日を束縛されるのが好きじゃない。だからジグソーパズルもやらない。パズルはやらなくても腐らないが、はっさくの皮は水に浸けたままにはできない。

そのかわり、外皮を茹でて苦味を抜く作業を三回行うのだが、そのつど指で絞ることにした。ただし、ママレードというよりもジャム的になる。まあいいか。

一方、薄皮と種に若干の水を足し、ペクチンの抽出を行う。どれだけ煮ればいいのかよくわからないが15分程度。ざるで漉せば、やや黄色のペクチン液が採取できる。

hassaku3そして、オレンジ色の外皮と黄色の果肉とペクチンを鍋に放り込んで煮込む。昨年は外皮が、きんぴらごぼう状になったが、今年はしぼっているので、そうならない。ぐちゃぐちゃである。さらに総量の3割の砂糖を加えると、今度は水分がでてきてどろどろになる。さらに煮詰めること1時間ということで、ついに完成。

狙い通り、苦味の少ないママレードが完成した。

問題は、通常市販品では1ビンが250グラム程度なのだが、1500グラムもできてしまったことだ。


さて、ママレード作りだが、世間の人に聞くと、大きく二種類の考え方があるようだ。

その1は、私と同じように、「手作り」の良さを生かして、一つ一つの工程を丁寧に行って、プロっぽい製品をめざすという考え方である。市販品は機械作りの大量生産であり、さらに製造規格に縛られるわけだ。職人の手作りにはかなわないだろう。

一方、その2としては、別の考え方がある。しょせんはアマチュアの遊びごととして、何でも食べられればいいじゃないか、という派である。

hassaku4ある方に聞いたところ、やはりジャムというかママレードというか、そういうものは、「適当に作ればいい」ということだそうだ。

別に“はっさく”だけにこだわらなくても、あちこちから集まる余った柑橘類を適当に集め、「皮をむいて線切り、細切れにしたもの」と「果肉は薄皮がついたまま、ザクザクと乱切りにして」砂糖と一緒に煮てしまえばいい、ということだそうだ。特に種はペクチンが出るので、そのままの方がいい、ということらしい。

しかし、

それでは、完成品の中に、種がいっぱい入ってしまうし、薄皮の塊りみたいなものが残りそうだ。

その種はどうするのか聞いてみると、「食べながら、ペッ、ペッ、ペッと口から出せばいい」ということだそうだ。

「ホタルイカを目玉を取らないで食べるみたいだ」と思わず言ってしまったのだが、あとで気がついたが、その人は富山出身だったのだ。(イカ風ジャム?)

チルドレン(伊坂幸太郎)

2010-02-11 00:00:18 | 書評
children昨年来、伊坂幸太郎を読もうかなと思っていたのだが、ついにチャンスがきた(でも、なんでこんな書き方になってしまうのだろう)。

先日、眼科に検診に行った。コンタクト屋の隣にある眼科医で度数チェック。いわゆる「白衣を着たセールスマン」だ。ところが、休憩中。30分以上待つことになったのだが、時間つぶしの小道具を何一つ持っていなかったので、隣の書店に。書店でうろうろしてしまうと、30分が過ぎてしまうので、文庫本の棚を端からみると、あいうえお順になっている。

「あさのあつこ」にしようかなとか思いながら次の「い」のところに伊坂幸太郎があるではないか。でも、何を読んだらいいのかわからないのだが、表紙の絵がちょっと気に行って「チルドレン」にした。こどもの連続誘拐事件かなとか勘違い。

実際に眼科に戻ると、すでに診療は開始されていた。というか、治療するわけじゃないので。以前は、眼圧検査とかやっていたが、厚労省の指導で無意味な検査がなくなった。

それで、読み始めたのは数日たってからだが、結構手こずった。たぶん、使用する50音の文字別比率が私の好みと少し違うのかなという感じだ。読めないということではないけど。

チルドレンというのは、こども(チャイルド)の複数形だが、こどもは複数で集まると、こどもではない怪物になるそうだ。家裁の調査官が主人公。

作者は文才が溢れているのだが、かなりの自信家で、大胆な設定で書き飛ばす。才気の方が勝っていて、なんでもできそうで、ちょっとあぶない。まだ自分の型が固まっていないのかな。といってもこの一作しか読んでいないのだが、野球でいえばイチローのような、パターンの確立した選手ではなく、「何をやるかわからない大型新人」というところかなあと思っていたら、巻末の解説で、香山二三郎氏が、「イチローのような」と書いていた。

そのうち、また。

電気スタンド建設中か?

2010-02-10 00:00:08 | 市民A
denki霞ヶ関から徒歩数分、虎ノ門2丁目に空地があった。以前、民家とジョナサンが並んでいたのだが、1年少し前に地上げされた。当然ながら、さらに地上げを進めてビルでも建てるのだろうと思っていたが、突然、工事が始まったと思ったら、地面に囲いができて、資源エネルギー庁の文字が現れた。さらにコンセントの絵。

細かな文字で、平成21年度電気自動車普及環境事業実証事業の文字が。21年度予算の年度末駆け込み工事のようだ。

目の前のバス停の位置がいかにも悪いが、おそらくは電気自動車の給電所になるのだろう。バス停は邪魔なので、前後のどこかに移動だろう。そして、省庁の公用車が電気自動車になる。黒塗り運転手付きのアイミーブとかリーフとかが朝の大臣送り迎えとかダムの視察とかの合間に補給するのだろう。

まあ、それ自体はいいのだが、勤務先だった前のビルに極めて近い場所だったので知っているのだが、この場所に元々あった民家の強制立ち退きのときは大騒ぎだった。

民家には老婆が一人で住んでいた。

ある朝、外で大騒ぎをしていたため見に行くと、パトカーや救急車が建物の周りを取り囲んでいた。そして、強制執行。

野次馬の取り巻く中、老婆は無理やり救急車に押し込まれ、どこかへ行ってしまう。そして数時間後から取り壊しが始まり、翌朝にはほぼ更地になっていた。

あとで近所の人から聞いたのだが、老婆が立ち退かなかった理由とは、経済的問題とか思想的な問題ではなかったそうだ。地元の路地に住み込んでいた多くの猫の世話をしていたからだそうだ。

飼い主同然の老婆がいなくなった後の猫の行方は近所の人たちにもわからないということらしい。

鍋島家の屋敷ってどの辺だったかな?

ショパンの謎(1)

2010-02-09 00:00:11 | 音楽(クラシック音楽他)
2010年はショパン誕生200年である。

ただし、一説には1810年ではなく1809年生まれともあるが、それではメンデルスゾーンと同じになって、将来ずっと生誕祭を一緒に行わなければならないから、一年遅れに我慢しているのかもしれない。

本題の前に、この二人の作曲家を比較してみると、ずいぶんとタイプが違う。

メンデルスゾーンの楽曲は、完全に理詰めの華やかさにあふれている。楽曲のすみずみまで計算され、その中に大輪の花が登場する。バイオリン協奏曲はまさに劇的に始まる。音楽の公式を極める。

一方、ショパンの調べは理性ではない。感情がまさる。次のメロディが予想できない。独創である。とはいっても実際には、かなり実験的なところもある。

メンデルスゾーンが左脳派でショパンは右脳派ということだろうか。

独創的だからこそ、ショパンは謎に満ちている。死因すらわからない。また、楽曲についてもいくつかの、よくわからない疑問を後世に突き付けている。

その一つが、『前奏曲集』作品28。

前奏曲だけ24曲を並べている。それで完成。

しかし、前奏曲というのは、「何か」の前に演奏される音楽である。オペラの前とか。だから、24の前奏曲を並べるというのは、フランス料理でオードブルを24皿頼むようなものなのだ。

一体、何のため。そして、それぞれ24曲は「何の」ための前奏曲なのか。


どこにも書いてないと思うが、思うにショパンの楽曲には大きく二種類があるような気がする。一つは、『ノクターン』を代表とする女性を落とすためと思われる情緒的なグループである。ピアニストの多くと同じように彼もプレーボーイだった。『ノクターン』は誰がどう聞こうがベッドインの前か後で聴くものだろう。

そしてもう一つのグループは、『革命』が代表するような、向う見ずなプロテスト曲。弱い心と強い心の葛藤みたいなところがある。悩みぬくような堂々巡りが続く。

だから、第一のグループは男が弾いた方がいい。第二のグループは中性的だ。『前奏曲集』は後者に近い。

chopin2アルゲリッチの『前奏曲集』を聴く。独創的な楽曲を独創的な女性ピアニストが弾くと新たな解釈が生まれるものだ。

なんとなく、ショパンが24の前奏曲を並べたのは、後世の無能作曲家のために24のヒントを投げかけて、後は好きなように料理したら、ということではないかと思っていたのだが、たぶん、そんなことではないのだろう。


アルゲリッチは24曲目を聴かせる。

ネクタイを締め直して聴くべきだろうか。23曲目までとは異次元の音が溢れる。『革命』とまったくつながっているような旋律が続く。時代的には、前奏曲集の方が数年早い時期に完成している。この24曲目から甘い調べをそぎ落として『革命』に至ったのだろう。

最後に、教会の鐘の音なのだろうか大砲の音をイメージしたのだろうか、唐突に低温が鳴り響いて終わる。これも謎っぽい。

この24曲目を聴かせたいがための、その前の23曲なのではないかと、感じる。


書店でポルノ小説を1冊買うために、哲学書2冊を上に重ねてレジのお姉さまの前に置くみたいなものだろうか。

世界でもっとも通勤距離の長い会社?

2010-02-08 00:00:07 | 市民A
2月2日、米国の国家運輸安全委員会は公聴会で、2009年2月13日にニューヨーク州バッファロー空港付近で墜落したコルガン・エアのボンバルディア機の墜落原因を「操縦ミス」と発表した。

順に報道を追うと、

アメリカでコミューター機が墜落・49人死亡

12日午後10時頃、アメリカのニューアーク発バファロー行きのコンチネンタル系のコルガンエアが運航する3407便・DHC8型機がバファロー空港から約8Km 離れた住宅地に墜落炎上しました。乗客・乗員48人は全員絶望とのことで、地上で巻き込まれた住民少なくても1人が死亡した、との報道があります。墜落してから約4時間しか経っていませんので、詳しいことは分かりません。当時、空港付近には強風が吹いていた、とのことです。


バファロー空港墜落事故機が直前まで自動操縦

米運輸安全委員会の委員は15日、記者会見でフライトレコーダーの分析から事故機が直前まで自動操縦で飛行していたことを明らかにしました。同委員会は「激しい氷結」が予測される場合には自動操縦を解除して手動操縦に切り替えることを勧告しています。これは、氷結による微妙な機体の動きをパイロット自らの手で感じる必要があるため、とのことです。しかし、同委員は事故時の氷結が「激しい氷結」まではいっていなかった、としています。また、フライトレコーダーの分析では、同機は墜落前の26秒間に激しく振動し、直前の5秒間に244mも急降下し、墜落時には進行方向と逆を向いていたことも明らかにしました。


バファロー空港付近墜落事故機が失速時に機首上げか?

アメリカのマスコミが18日に伝えた所によりますと、バファロー空港付近墜落事故機のパイロットが失速警報装置が作動したときに、本来なら速度を増やすために機首を下げなければならないのに、機首を上げる操作をした、と報じています。これが墜落の原因かもしれない、としています。


墜落当初より、「おかしな操縦」に疑問が集まっていたわけだ。
「自動操縦から手動に切り替えていない。」
「速度が落ちた場合、機首を下げてスピードアップしなければならないが、逆だ。」
「墜落時には進行方向と逆向きだった。」

公聴会の内容は次のようなもの

米国家運輸安全委員会が地域航空会社の安全性に危惧を表明

米国の国家運輸安全委員会は2日に開かれた公聴会で、昨年2月に発生したニューヨーク州バファロー空港付近墜落事故の原因がパイロットの操縦ミスであったことを明らかにしました。パイロットが失速警報が鳴った場合の操縦訓練を受けていなかったために、操縦桿を逆方向に操作した事を明らかにしました。また、副操縦士は低賃金で約3800Km 離れた実家から、貨物機などを乗り継いで徹夜で“通勤”していたことを明らかにしました。これらについて国家運輸安全委員会は地域航空会社の安全性について問題がある、としています。



つまり、緊急時の操縦訓練を受けていないパイロットが低賃金で働いていて。3800キロも離れた実家から、貨物機を乗りついて徹夜で通勤していたわけだ。貨物機なら通勤費ゼロだろう。

colganところで、このコルガン・エアだが大手数社の下請けで、近距離のコミューター便を飛ばしているようだ。

ホームページの中に、CAREERSというのがあって、読むと求人だ。この失業者が多い時代にパイロットを求人しているということは、裏を返せば劣悪職場でいつかないということなのだろうか。あるいは、1年前の欠員がまだ埋まらないのだろうか。

一方、これも1年ほど前にハドソン川に着水したB777の機長もアメリカ連邦下院の航空小委員会で「航空会社のリストラが安全性を犠牲にしている。」と述べ、同氏の給与がこの数年で4割も減っていることを明らかにしている。

機長の給料について、「妥当なレベル」が見つからないのかもしれない。

茂林寺のたぬき

2010-02-07 00:00:49 | 美術館・博物館・工芸品
tanuki群馬県の館林方面に行った時に、曹洞宗茂林寺(もりんじ)に寄る。

地元の大寺院であると同時に、ある動物で有名な寺である。

「たぬき」

分福茶釜の伝説はここから生まれた。たぬきが茶釜に化けていたわけだ。境内には、数多くの狸の像が並ぶ。鬼のような形相の狸はなく、すべてがコミカルな容姿である。たぬきに恨みを持っているわけではなさそうだ。

そして、拝観料を払い、靴箱に靴を入れてから、寺の奥の方に進むと、ガラスケースにおさめられた茶釜があるわけだ。そして、色々な能書きが書かれていて、この茶釜の由来がわかる。

とはいえ、あまり時間もなかったこともあり、拝観券の裏側に詳しく記載されていることもあり、後でゆっくり読むことにする。

すると、こんなことが書かれている。


分福茶釜

応永卅三年伊香保から来て代々の住職に仕えた守鶴和尚は、元亀元年夏七世月舟和尚の代に先人法会があり、喫茶の用に供する湯釜がなくて寺で困っていた際、一夜の中に何処からか一つの茶釜を持ってきて、茶道に備えた所が不思議に常に汲んでも湯は尽きなかったので、衆人は其の無尽蔵の妙術に驚かないものはありませんでした。和尚は自らこの茶釜を紫金銅分福と称しました。その後十世天南和尚の代まで161年茂林寺におりましたが、天正十五年漂然と寺を去って行方がわかりません。後生守鶴和尚は狸の化身だと伝えるものがあり、皆様ご存知のお伽話となったものでしょう。


chagama補足すると、応永33年(1426年)に開山した茂林寺に守鶴という和尚がいた。彼はナンバー2として代々の住職に仕えるのだが、開山から144年後元亀元年(1570年)に開かれることになった法会の時に、寺に湯釜がないことに気付く。

しかし、一夜のうちにどこからか一つの茶釜を用立てしたわけだ。さらにこの茶釜は、水の補充も燃料の追い炊きも不要で、いくらでもお湯が湧き出すわけだ。ガス湯沸かし器みたいなもの。

しかし、その17年後、天正15年(1587年)になり守鶴がうたた寝をしている時に、うっかり茶色の尻尾を出してしまい、「狸疑惑」が浮上。茶釜ごと、どこかに消えてなくなったそうである。


となると、当然ながら浮上してくるのが新たな疑惑である。

ガラスの中に納まって被写体となり拝観料を稼ぎ続けている茶釜は、どこからきたのか。

どこを読んでも、まったくわからないわけだ。


tanuki2で、普通なら、オチが完成したところで終わるのだが、書いていて、これらの年代に、ある仮説があることに気付く。

守鶴なる和尚が百数十年も闇将軍だったというのは考えられないとすれば、この茶釜がある人物とともに館林に出現したのは、1570年だが、この年、織田徳川連合対朝倉浅井連合の大決戦(姉川の戦い)が行われた。結果は織田勢の勝利であり、大量の落ち武者が発生したと言われる。

つまり、茶釜を持って館林に現れたのは、その時の落ち武者だったのではないだろうか。さらに、朝倉家も浅井家も武家にしては芸能に深い造詣を持っていて、茶道具の名品を数多く保有していたはず。

一方、守鶴が茶釜とともに寺を不意に去ったといわれるのが天正15年。この年、天下統一してほっと一息の豊臣秀吉は、北野で大茶会を開いている。数多くの茶道具が登場したといわれる。既に怖い信長も消え、そろそろ文化の風に当たりたくなったのではないだろうか。館林から京都へ。

Oversleeping

2010-02-06 00:00:10 | しょうぎ
将棋A級順位戦リーグ第8回戦が終わる。名人挑戦権をかけ、10人のトップ棋士が1年間9局のリーグ戦を戦い、トップになると名人戦挑戦者となる。9番目と10番目はB級に降級となる。最終局を残し、6勝2敗が三浦八段、5勝3敗に丸山、谷川、高橋の三人の九段が並んでいる。最終局は3月2日。三浦八段が負ければ同率決戦になる。

だが、・・

口には出さないものの、追いかける3人にとって共通の、巨大な気がかりがある。

三浦八段の対戦相手が、郷田九段であることだ。

事件は今年1月21日に発生した。

実は、郷田九段は、竜王戦1組1回戦の森内九段との対局で、寝坊のため、不戦敗を喫していたわけだ。対局開始時間は10時であり、規定により遅刻時間の3倍が持時間5時間から差し引かれるため、1時間40分を経過した段階で、時間切れ負けになった。

順位戦最終局で、再び郷田九段が対局室に現われなければ・・・

自動的に三浦八段が7勝2敗になり、3人の九段のいかなる奮闘も、むなしくなるだけである。喜ぶのは、三浦九段と羽生名人だけだ。

3人とも郷田宅に自主的モーニングコールをすることになるのだろう。


さて、寝坊の話に戻ると、郷田九段は、森内九段との対局ということで興奮し、朝の4時まで眠れなかったそうだ。危ないと思い、目覚ましを2台セットしていたものの、起きたときには既に11時を回っていて、もはや間に合わないむねを将棋連盟に電話連絡したようだ。

3年前の名人戦7番勝負で、当時の森内名人から「扇子の音がウルサイ!」と挑発されたことに今もって悶々としているのだろうか。

不戦勝で勝ったというものの、森内九段にしたって、来ない相手を待つのも辛い。ギリギリに相手が到着して、自分の持時間が5時間で、相手が5分であっても勝てる保証もないわけで、逆にプロ仲間で哄笑されることになる。「不戦勝でも対局料はもらえるのだろうか」とか、余計なことばかり考えてしまうだろう。

そして、将棋連盟は、1月27日に謹慎中の郷田九段に、3点の処分を発表した。

1.当該局の対局料はなし。
2.竜王戦出場の1年分の定額報酬100万円の半分、50万円の返納勧告。
3.指導対局などのファン奉仕活動1日。

ということだそうだ。

対局場に行かなかったのだから、対局料(40万円位?)が出ないのは当然だろう。また、実力次第の高額賞金が売り物の竜王戦にも、生活保障的な定額支給があったことを公開してしまったわけだ。

最も気に食わないのは、ファン奉仕活動をペナルティの一つにしたこと。ゴミひろい並だ。「ファン第一」とは口ばかりということだろうか。

さて、棋士にとって、「悪夢」というものの第一にあるのが、この「寝過ごし」というものではないだろうか。ほとんどの棋士は、「目が覚めたら、寝過ごしていたことに気付き、パジャマのままタクシーに乗ったら渋滞に巻き込まれてしまった」というような夢を見たことがあるのだろう。悪夢というのは、次々に悪いことが襲い掛かり、想像することのできないような不運に落ち込むことなのだが、今回の事例で、不戦敗した時の結果を想定することが可能になった。これからは安眠できるのかもしれない。もちろん1回目の寝坊の話だが。

ところで、不戦敗によるダメージ、郷田九段の場合は、「キツイお叱り」と「僅かな経済的損失」ということになったのだが、中にはもっと人生に重大な影響を与える場合もある。

奨励会三段リーグ。2004年後期の36回三段リーグ。年齢的に後が厳しい状況だったH三段は31回リーグの時に一度次点になっていた。迎えた13回戦。午前の対局で不戦敗を喫してしまう。その後、18回戦まで終わった段階で12勝6敗。不戦敗に「もし」を言ってもせんないが、もし、勝って13勝であれば、二度目の次点ということで、規定によりプロ棋士になっていたはずだ。

その後、H氏は年齢制限で退会し、かなりの大回りをしてアマ棋戦で優勝、三段リーグのアマチュア枠からの復帰を狙っているようである。

ただ、あの時一勝し、今も「先生」と呼ばれているのか、あるいは度重なる不戦敗を重ねた結果、鬼理事会から「辞職勧告決議」を突きつけられているのかは、よくわからないが。

さて、1月23日出題作の解答。



1題目。

▲5四金 △同玉 ▲6三飛成 △4四玉 ▲3三飛成 △5五玉 ▲4五竜まで7手詰。

無理やりに空中都詰にしたので、苦しそうだ。企画倒れの再建策みたいだ。

動く将棋盤は、こちら



2題目。

▲2五銀 △1七玉 ▲3七飛 △1八玉 ▲2七竜 △1九玉 ▲3九飛 △同香成 ▲5五角まで9手詰。

わざと6×6の枠いっぱいに作ってみた。6一の角は初手▲2六竜の余詰の防止なので、2一香に置き換えてもいい。

6×6の枠に入れても、すべて枠の外側で攻防が行われるようになっている。

飛車を「取る、打つ、捨てる」の3拍子という指摘もあったが、タイガーの趣味みたいだ。

動く将棋盤は、こちら


さて、本日の問題。



ヒントは「とどめの駒は?」。基本的には簡単な構造になっている。朝の4時まで考えて、寝坊する心配はない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

米欧回覧実記5、ついに完読

2010-02-05 00:00:19 | 書評
beio5全五巻の最終巻は、ウィーンの万国博覧会から始まる。1873年に開かれた万博に日本政府としては、初めて公式参加している。会場は広場西側に8棟、東側に8棟。そして中央に大ホールである。過年の名古屋万博でも同じような配置だった。地元オーストリアは3棟を使ったが、アメリカはに3/4棟が与えられ、運んできた展示品が入らなかったそうだ。イギリス、フランス、イタリアは各1棟で、オランダ、ベルギー、ロシアなどは1/2棟。初参加の日本は、東側第8棟をトルコと半分ずつシェアしていた。

そして、名古屋万博とは異なるのは、各国が競うように当時の先進技術を持ち寄り、「おらが国の自慢」をしていたこと。久米邦武によれば、アメリカ・イギリス・フランスと工業国を視察してきたので、ほとんどは見たことがあったということだそうだ。だからといって各国回覧をしないで万博だけにいけば事が済んだ、とは書いてない。もちろん、国家は科学技術だけじゃないからだ。

その後、一行はスイス旅行を楽しみ、南フランスを旅する。印象派の画家たちが登場するには、約20年早かった(なぜか久米の息子は画家になった)。そして、マルセイユを最後とし、日本への帰路についたわけだ。

ここで、久米の筆は、欧州の総括を始める。「政治・社会」「地理・輸送」「気候・農業」「鉱・工業」「商業」に各1章を与える。その中で、旅のまとめとして、「国の運命や未来を決めるのは、国民の意欲と熱意である」と結論をつけている。なまけものが増えるようなバラマキ政策を標榜する現代の二大政党とは対極的な考え方だ。なぜかアメリカのことは、ほとんど興味を失っていたようだ。

その後、一行は、スエズ運河を利用し、インド洋へ。セイロンに寄港し、インド大陸をイギリスがどのように利用しているかを、アヘン、茶、砂糖というような商品の三角貿易に見る。どうも、一行の乗った船にもアヘンが積み込まれたようである。久米は、日本も欧米ばかりみないで、このアジアに転がっている利益を手に入れる可能性もあるのではないかと、アジア友愛政策を説いている。

そして、シンガポール、香港、上海と辿れば、ちょうど本回覧記は百章になっていた。当時の中国は、もうほとんどアヘンで沈んでいたような書き方だ。

1973年9月6日、長崎。9日、神戸。そして9月13日朝、横浜に帰着。最終日の記載は、「天気、晴」である。1年10ヶ月の旅が終わる。


当初、わたしは、この本を読むと、大久保、伊藤といった日本の近代化を指導していった指導者が、この旅から何を感じて国づくりに進んだのか判るのではないかと思っていた。

しかし、読み進んでいるうちに、おそらくはこの書には、そういうことは書かれていないのだろうということが理解できたのである。久米邦武は、この書は岩倉使節の公式記録であり、公式行事以外のメンバーたちの経験とか、事件などには触れないというようなことを宣言している。

例えば、途中で用意していった旅費の過半が詐欺師に取られたことには触れられず、国内のゴタゴタで、一部のメンバーが途中で早帰りしなければならなくなったことも、ごくあっさりと片付けている。

とはいえ、記載事項は理工系の正確な分析と同時に、久米自身の感想や感動、そして解釈が、強く表現されているわけだ。そういうつもりで久米の気持ちに没入して読めば、それはガリバー旅行記として楽しめるのではないのだろうか。


1839年生まれの久米は、その後の政局、政権からは僅かに距離を置き、東京大学、早稲田大学と教職を歴任する。長命を誇り、亡くなったのは1931年。91歳である。日本が今のところ最後となる巨大戦争に突入することを予感していたのかどうか。それが、知りたくなった。

検察が陥穽に落ちたのは、なぜか

2010-02-04 00:00:58 | 市民A
正確にいえば、まだはっきりしないのだが、小沢一郎氏が逃げ切ったようだ。もっとも起訴しようが幹事長の椅子から下ろそうが、バッジを取り上げようが、どこかの檻の中にいれようが、結局は闇将軍化するに違いないわけだから大差ないということかもしれない。

ただ、今回の騒動の最初から、検察の捜査の方向に二つの疑問を感じていたのだが、結局わからずじまいになりそうだ。

一つは、仮にA建設、B建設、C建設・・・といったところが、帳簿操作をした上で、小沢氏あるいはその周辺に現ナマを渡していたと仮定したとしても、彼は野党民主党の実力者(一時は党首)であっただけである。野党の党首が公共事業(ダム建設など)に大きな権力を持っていると証明するには、どういう作戦だったのだろうか、ということ。巷間流れている説では、談合をするためのワクチンという説と、談合破りをするための下工作というような説があるが、談合破りの側に立っていたとしたら、そちらの方が社会的正義に近いわけだ。(もちろん、正義を金で買うというのも変な話だが)

もともと、A建設、B建設、C建設など、この手のアングラマネーは事業上つきものなのかもしれないし、小沢事件に便乗して、他のルートで使った資金も、全部小沢氏側に渡したことにしてしまえ、ということなのかもしれない。


もう一つの謎は、事情聴取の焦点が、土地の購入代金4億円弱の出所について集中していたようだが、使ったお金には出所があるはずで、その出所と建設会社が渡したとされる数千万円を結びつけたかったようだが、実際お金には色がついてなく、まして金持ちというのは、あちこちに秘密の財布があるわけで、今回も、親の遺産とかタンス預金とか他人から借りていた金とか、あちこちにポケットがあることがわかってきた。

そして、巧まずして偽装工作風に同額の銀行借り入れがあってくさいとか、いかにも穴を掘れば小判が出てくるように検察に対する誘い水があった。

しかし、要するに金持ちの行動様式って金持ちにしかわからないのだろうが、検察官は、あまり金持ちではなかったわけだ。常識的すぎる発想だった。


しかも、頼みのマスコミ各社は、総務大臣から新聞・テレビ株主分離案というキツイボディブローを喰らって音無しの構えになってしまった。週刊朝日は、検察の横暴暴露シリーズになっている。そういう雑誌は、日頃、無実の罪で交通違反の切符を切られたことがある多くの市民によく売れるわけだ

今思えば、民主党内からの批判というのも、前原国交相が少ししゃべっていたが、「疑惑の解明をしてほしい」と言っているだけで、かなり芝居がかっている。


さらに、このままいくと、石川議員他も一転して供述をひるがえすことも考えられる。なにしろ、仮にA建設とかB建設が裏金を払ったとしたら、その金はどこに行ったというのだろうか。最初から存在しないか、別の事件の分だったのだろうか。


本当は、もらったものの使い道を調べた方がいいのは、巨額な『こども手当』をもらい続けていた政治家の方ではないだろうかと思うわけだ。

初場所優勝は誰に変更?

2010-02-03 00:00:03 | スポーツ
「知らなかった」「覚えてない」というのは政権党の党首(形式的党首や実質的党首)の常套句と思っていたら、横綱まで言い出した。

もちろん、政治家が辞めないからモラルハザードが日本国内に蔓延してしまっているのも遠因だろうが、力士朝青龍がついに一線を超えた。民間人にパンチを食らわせて鼻の骨を折ったようだ。もちろん、鼻を復元し、あれこれ被害者の口をふさぐためには治療費が必要なので、初場所の優勝賞金以上が必要だったかのような報道がなされている。

空手や柔道の世界では、けんかで技を使えば「破門」と相場が決まっているし、ボクサーが人を殴れば、危険の認知があったとして、重罪になる。

相撲家が人を殴ることが、凶器になるのかどうかははっきりしない(パンチを鍛える練習はしていないだろうから)が、すくなくともプロの格闘家になろうとする新弟子に対し、「素人を殴れば犯罪になる」ということを教えていないとすれば、親方も失格だ。

ということで、予想されるのは、「サヨナラ朝青龍」ということになる。親方も「お家取り潰し」でもおかしくない。

事件が、初場所6日目の夜に起きたようなので、7日目以降の彼の記録はナッシングになるのだろう。つまり、初場所優勝も取消し。25回の優勝記録は24回に修正され、再び北の湖が歴代3位に復帰する。

では、誰が初場所の優勝者なのかというと微妙である。朝青龍13勝2敗に次ぐ12勝3敗が3人いる。横綱白鵬、関脇把瑠都、西前頭16枚目の豊響。ちなみに16枚目というのは、幕尻である。

仮に7日目から朝青龍がいないとすると、千秋楽に朝青龍を破った白鵬は1勝がなくなり11勝3敗。11日目に朝青龍に負けた把瑠都は1敗がなくなり、12勝2敗になる。ただし、把瑠都の12勝のうちには千代大海引退日にあたる不戦勝が含まれている(もっとも、対戦しても勝っただろうが)。豊響は12勝3敗で変わらないが、うち1勝は十両相手のもの。その1勝で優勝とは少し軽いか。

ところで、地位も実績もまったく違う3力士だが、誕生日が近かった。日本流に言うと同級生。

 白鵬:昭和60年3月11日
 把瑠都:昭和59年11月5日
 豊響:昭和59年11月16日


理事会の席で十人の理事が上位の方から意見を言っていくと、九人目までで三人に三票ずつが分かれ、最後に貴ノ花の意見が求められる。

「ここは、まあ無難なところで、暴行事件自体がなかったことにしてしまえば・・・」


ところで、貴ノ花が37歳の若さで理事になったのだが、きょうの冒頭に首相のことに触れたこともあり、首相の年齢の話。歴代の内閣総理大臣で、もっとも若くして就任したのは誰か。

伊藤博文である。実に44歳。明治18年12月22日である。

しかし、この明治18年12月22日というのは、日本に内閣総理大臣制度が確立された、最初の日なのである。つまり、歴代93代にわたる歴史の中で、ついに第一号を抜けないままということである。

現代での若年総理候補者の年齢を見ると、中田宏前横浜市長(45)、蓮舫仕分け人(42)、藤川優里八戸市議(29)、小泉新次郎ジュニア(28)である。一人はすでに年齢オーバーだ。

東京ラーメン事情

2010-02-02 00:00:03 | あじ
ramen12月1日の朝6時台にNYタイムズのWeb版を開いたところ、トップぺージで東京のラーメン店の特集をしていた。4ページにもわたっている。

 One Noodle at a Time in Tokyo

結構、この時間帯は米国人がネットを覗かない時間なのかもしれない。よく、日本についての記事が登場する(こぼれ話みたいなのが多いが)。

今回は、どうも日本にいる記者が揃ってラーメン好きらしく、あれこれと歩き回って取材をしたらしい。来年からNYタイムズのWeb版は有料になるらしいが、会員になると、ラーメンの割引券とか配ってもらえそうだ。

ramen2個人的には、Noodleといって、すぐにラーメンというのはちょっと違うんじゃないかな。「うどん」や「そば」や「きしめん」などもあるのだが、と思うのだが、だから「One Noodle」という表現なのだろうか。一方、お高くとまったミシュランにはいかなるNoodle屋も登場しない。

記事自体は日本人が読んでみて、驚くことはほとんどなく、いつものように、アメリカ人らしい「他国文化の早とちり的理解」に基づいて、軽薄な日本文化論になるようだ。

幸いなことに日本人がラーメン好きなのは、「中国文化のお流れ頂戴の歴史」によるものだ、とは断定されてはなく、日本固有の文化であるから、東京への旅行者はガイドブックを読んで、たくさん食べて帰って欲しいという話だ。(そんなこと英語で書いてあるわけじゃないが、あくまでも記事全体のトーン)

そして、米国紙らしく、記述はあくまでも具体的であって、ご推薦のラーメン店の一覧が添えられる。

Ganko,西早稲田
Gogyo,西麻布
Shinyokohama Raumen Museum,新横浜
Ikaruga,九段北
Basanova,羽根木(世田谷)
Chuka Soba Inoue,築地
Nagi,東(渋谷区)
Keisuke No. 4,本駒込
Mutekiya,南池袋
Jiro,東京各地

ちょっと「?」と感じたのは世田谷区羽根木にあるとされる『Basanova』である。取材陣の質問に対し、店長(経営者)は、彼の両親の出身地について、his parents came from opposite ends of Japanと言っているようだが、東京の反対側の端って一体どこなのだろう。沖縄?エトロフ島?あるいは、ブラジルとか?

味を一言で言うと、Basanova specialized in green curry ramen.だそうだ。

 グリーン・カレー・ラーメン

渋谷の西の方にあるらしい。胃腸の調子のいい時に行ってみなければなるまい。



ramen3ところで、話はずれていくが、先週の飲み会の一つだが、参加者の80%が団塊世代という不運に当たった。つまり団塊世代の男性が4人と私。

彼らと話すと、どうもコトバが通じないというか、基礎的な価値観が違うため、しょっちゅう意味の取り違えが起こるので、結局は適当に受け流して、後できれいさっぱり忘れてしまうことが多いのだが、ラーメン店の話になった。新橋あたりのうまいラーメン店の情報交換になる。

これが、結構詳しい話になるわけだ。無論、私もラーメン店にはいくこともあるし、ラーメン店が新橋に無限にあるわけではないので、話の中に登場する店の多くには行ったことがあるのだが、やはりちょっと違うなあと思ったのが、注文方法。

私には経験がないのだが、彼らの多くは、ラーメンを注文するときに、さらに「脂少なめ」とか「タマゴの換わりに海苔を増やして」とか、細かな注文をつけるようである。さらに、好きなラーメン店に入り浸って、週に3回行ったり、夜の会食もラーメン屋で、シナチクなどをつまむそうだ。

確かに、美味いものの少ない時代に育ったのだろうから、ちょっと美味ければ通い続けるというパターンになるのだろう。味に文句をつけるのは、ちょっといただけないが、ささいなことにうるさいのも世代の特徴か。ラーメンの値段の100円、200円にこだわるのもみっともないが、それよりもラーメンばかり食べていると、高脂質症となり、さまざまな病気の元になるし、大腸にポリーブが発生しやすいのではないだろうか。

ramen4しかも、そろって早食いである。たぶん、小学校の給食も一緒盛りかなんかで、早く食って「おかわり」にいかないと、自分の成長もままならないということだったのだろう。もちろん早食いは健康にとって大敵だ。

もっとも、日本は、年金、健保、介護保険という3分野とも、これから支出が増加して破綻の危機を迎えると予測されている。団塊世代への支出である。

しかし、幸いなことに、案外、不健康な食生活の結果、寿命が短く、最終的な国民負担の総額は小さくて済むのかもしれない。

移設先は、うるま市平安座島ではどうだろうか

2010-02-01 00:00:10 | 市民A
okinawa1普天間移設問題。米軍は沖縄に二つの大型飛行場を持っている。嘉手納と普天間。もちろん嘉手納は羽田空港の何倍もの大きさで極東最大の米軍基地である。沖縄本島の中部に位置する。そして、渦中の普天間は南部で、那覇市市街地より北へ約10キロである。市制城上は宜野湾市である。

普天間基地の移転先に決まっていたのは、北部のキャンプ・シュワブ沿岸部。市制上は名護市である。そして、鳩山内閣になり、予想通りの大混乱となる。

そしてむかえた名護市長選挙の結果、反対派の市長が当選したわけだ。

しかし、反対派の勝利と言っても、反対派17970票、容認派16362票ということで、かなりの僅差である。%でいえば、52対48である。沖縄の問題というのはこれに限らず、いくつもの複雑な意見があり、もともと多数決で決めるようなものではないことが多い。

しかも、市制上、辺野古は名護市ということになるが、名護市の市街地からは、かなり離れている。

okinawa2ところで、移設に反対する人たちの中には、「沖縄県内でも可」という人と、「沖縄以外なら可」という人、「米軍は日本に不要」という意見の人にわかれるようだ。沖縄の戦略な位置取りを考えれば、特に海兵隊について県外に移設することは、考えにくい。極東で緊迫が続いている二つのポイント(朝鮮半島38度線と台湾海峡金門島)へ24時間以内での到達がポイントだろう。

そして、イデオロギは別として、実際に嫌われ者になっているのが海兵隊である。なぜか。乱暴だからである。ではなぜ、そんなに粗暴なのか。

米軍、特に沖縄の海兵隊というのは、スイッチ・オン状態だからである。戦争中なのである。米軍の世界戦略の中で、いつでもどこにでもいって、上陸作戦を決行する可能性があるわけだ。とても平和な気分になってはいられないのだ。


そこで、沖縄本島を、あちこち探していると、あるポイントを見つけた。

うるま市、平安座島である。沖縄中部太平洋側の島である。本島とは「海中道路」といわれる海中大橋でつながっている。

ここには二つの石油系の企業が原油タンクを並べている。一つはI社系の沖縄石油。もう一つはC社系の沖縄ターミナル。沖縄石油は製油所であったが、数年前に閉鎖。石油製品の配送用の基地になっている。沖縄ターミナルの方は、もともと今はなくなった石油メジャーであるガルフオイルの製油所だった。現在は、C社の原油備蓄基地になっている。

width="320" height="260" border="0" alt="okinawa3" hspace="5" class="pict" align="right">もちろん石油基地や原油の備蓄基地は重要ではあるが、昨今の需要減少や環境問題を考えれば、何もここになければならないというものでもないだろう。先日の事業仕分けでも「備蓄基地」問題が俎に乗っていたぐらいだ。要はおカネの話だろう。

しかも、土地の所有者はこの2社だけなのだから、話は早いだろう。地図上に最低1800メートル必要といわれる滑走路を2本引いてみた。

東側に小学校があるので、滑走路の方向には制限があるかもしれない。