ショパンの謎(1)

2010-02-09 00:00:11 | 音楽(クラシック音楽他)
2010年はショパン誕生200年である。

ただし、一説には1810年ではなく1809年生まれともあるが、それではメンデルスゾーンと同じになって、将来ずっと生誕祭を一緒に行わなければならないから、一年遅れに我慢しているのかもしれない。

本題の前に、この二人の作曲家を比較してみると、ずいぶんとタイプが違う。

メンデルスゾーンの楽曲は、完全に理詰めの華やかさにあふれている。楽曲のすみずみまで計算され、その中に大輪の花が登場する。バイオリン協奏曲はまさに劇的に始まる。音楽の公式を極める。

一方、ショパンの調べは理性ではない。感情がまさる。次のメロディが予想できない。独創である。とはいっても実際には、かなり実験的なところもある。

メンデルスゾーンが左脳派でショパンは右脳派ということだろうか。

独創的だからこそ、ショパンは謎に満ちている。死因すらわからない。また、楽曲についてもいくつかの、よくわからない疑問を後世に突き付けている。

その一つが、『前奏曲集』作品28。

前奏曲だけ24曲を並べている。それで完成。

しかし、前奏曲というのは、「何か」の前に演奏される音楽である。オペラの前とか。だから、24の前奏曲を並べるというのは、フランス料理でオードブルを24皿頼むようなものなのだ。

一体、何のため。そして、それぞれ24曲は「何の」ための前奏曲なのか。


どこにも書いてないと思うが、思うにショパンの楽曲には大きく二種類があるような気がする。一つは、『ノクターン』を代表とする女性を落とすためと思われる情緒的なグループである。ピアニストの多くと同じように彼もプレーボーイだった。『ノクターン』は誰がどう聞こうがベッドインの前か後で聴くものだろう。

そしてもう一つのグループは、『革命』が代表するような、向う見ずなプロテスト曲。弱い心と強い心の葛藤みたいなところがある。悩みぬくような堂々巡りが続く。

だから、第一のグループは男が弾いた方がいい。第二のグループは中性的だ。『前奏曲集』は後者に近い。

chopin2アルゲリッチの『前奏曲集』を聴く。独創的な楽曲を独創的な女性ピアニストが弾くと新たな解釈が生まれるものだ。

なんとなく、ショパンが24の前奏曲を並べたのは、後世の無能作曲家のために24のヒントを投げかけて、後は好きなように料理したら、ということではないかと思っていたのだが、たぶん、そんなことではないのだろう。


アルゲリッチは24曲目を聴かせる。

ネクタイを締め直して聴くべきだろうか。23曲目までとは異次元の音が溢れる。『革命』とまったくつながっているような旋律が続く。時代的には、前奏曲集の方が数年早い時期に完成している。この24曲目から甘い調べをそぎ落として『革命』に至ったのだろう。

最後に、教会の鐘の音なのだろうか大砲の音をイメージしたのだろうか、唐突に低温が鳴り響いて終わる。これも謎っぽい。

この24曲目を聴かせたいがための、その前の23曲なのではないかと、感じる。


書店でポルノ小説を1冊買うために、哲学書2冊を上に重ねてレジのお姉さまの前に置くみたいなものだろうか。