タイレノール事件のようにやらなかったトヨタの“なぜ?”

2010-02-22 00:00:04 | 市民A
プリウス問題と縦長アクセルペダル問題を混同して論じるのは、少しおかしく少し正しいのかもしれないが、アクセル問題はまだよくわからないので、少しおいておく。

最近、トヨタの対応について、ジョンソン&ジョンソン社のタイレノール事件を引き合いにすることが多くなったが、「トヨタはタイレノール事件を参考にすべきだ」というような低次元の怒りの記事を書くつもりはなく、「なぜ、トヨタはタイレノール事件のようにできないのか」という観点で考えてみた。

その前に、タイレノール事件のおさらいからだが、wikipediaから引用してみた。

1982年タイレノール殺人事件

1982年9月29日、シカゴ近郊のイリノイ州エルクグローブ村の12歳の少女が「タイレノール Extra Strength (カプセル)」を服用したところ混入されていたシアン化合物によって死亡。以後計5瓶のタイレノールによって計7名の死者を出した。この他に毒物が混入された3瓶が回収された。事件は未解決で、この後シカゴ周辺では1986年エキセドリン殺人事件のような多くの模倣事件が発生した。

この事件でジョンソン・エンド・ジョンソンは「タイレノールにシアン化合物混入の疑いがある」とされた時点で迅速に消費者に対し、125,000回に及ぶTV放映、専用フリーダイヤルの設置、新聞の一面広告などの手段で回収と注意を呼びかけた(1982年10月5日タイレノール全製品のリコールを発表)。およそ3100万本の瓶を回収するにあたり約1億USドルの損失が発生。事件発生後、毒物の混入を防ぐため「3重シールパッケージ」を開発し発売。この徹底した対応策により1982年12月(事件後2ヶ月)には、事件前の売上の80%まで回復した。

ジョンソン&ジョンソンには「消費者の命を守る」ことを謳ったわれらの信条 (Our Credo) という経営哲学があり、社内に徹底されていた。緊急時のマニュアルが存在しなかったにもかかわらず迅速な対応ができたのはこのためである。



この事件は危機管理における対応策の定石として認識されている。
J&J社のHPには、タイレノールものがたりとして、詳しく書かれている。

しかし、この事件は、日本でも一流企業の部長クラスであれば、大半は知っている話である。今、米国でエクセレントカンパニーの代表と言えば、このJ&J社が挙げられるそうだ(私もこの会社の「ワン・デイ・アキュビュー」を長く使用している)。

そして、J&J社が、その地位を確固としたものにしたのが、このタイレノールに対する毒入り事件を解決したことによるとされている。

全国にマスコミ総動員でタイレノールの使用中止を呼びかけ、毒物の第三者による注入が困難なパッケージに変えていく。(1986年にも第二次タイレノール事件がおこる。)

(書いていて気付いたのが、タイレノール事件は1982年と1986年。日本のグリコ・森永事件は1984年と1985年。何か関係があるのだろうか。)

自動車の場合、ブレーキシステムに一瞬のトラブルがあるといっても、全車を回収するわけにはいかないだろうし、おそらくは、豊田章郎社長が出てきて、「ブレーキのシステム上の問題があって、一瞬利かなくなることがある。大急ぎでシステム変更をするが、変更が間に合わない場合、一瞬ブレーキが利かない場合でもブレーキを強く踏めば止まります」というようなことを言えばよかった。

だが、そんなことは、誰にだってわかることだ。技術担当の役員がでてきて、「ブレーキは感覚の問題で、設計ミスじゃない」というようなことを言っている場合じゃないだろう。

では、なぜ。

いくつかの要素を考えてみた。



まず、トヨタ自体が「自分たちが世界一のエクセレントカンパニーである」と思っていて、社員研修なんかやっていないのかもしれない。

しかし、J&J社の事例を知らなくても、こんな変な話にはならなかったはずだ。

思うに、社内に深刻な対立が発生しているのではないだろうか。


つまり、社長への情報量が少ない、とか、いくつかの派閥があって、多くの役員の意見がまとまらない、とかだ。

車の設計というのも、多くの相矛盾する要素を満たすために、いくつかのグループの妥協のもとに成り立っている。その調整の中で次のアイディアを得られるわけだ。

そういう調整機能が狂っているのではないだろうか。

そういえば、唐突に社長が豊田家の同族になったのも、少し早過ぎる感じだ。

社内抗争が燃え上がっているのではないだろうか。