4.0島マイナスχで(上)

2010-02-17 00:00:32 | 市民A
北方領土問題が、さっぱりだ。ロシア側は、かつてロシアに有利な提案を持ち出した「鳩山一郎氏の孫」に期待したようだが、結局は「ユニークな方法」といういつもの話になり、さらに日本の批判をして、元のラインまで後退。

無理からぬと思うのは、日本側はこの5年で5人目の総理である。会うたびに相手の顔が変わるのだから、一人ずつに一歩だけ譲歩していても、5年で5歩も譲歩しなければならなくなる。だから、途中で、リセットにしなければならなくなる。

また、ロシア国民にとっての一般論とは異なる”漁業マフィア”と言われる人たちのロビー活動は激しい。ロシアにとり、こんな東の端といっても、実は、まともに漁業ができるエリアがほとんどない国なので、この地区の漁業は、かなり重要であり、結果として、漁業利益は大きな利権となる。

ところで、本題に入る前に、日ロ交渉の歴史的経緯を簡略に考える。


1.日魯通好条約 1855年(安政元年)下田にて
  日魯間の国境を北千島と南千島の間に決める。択捉とウルップの間が国境になる。合わせて、樺太については日魯どちらのものともせず、混住地区とする。

  *注:江戸末期には千島列島および樺太南部にはアイヌが居住していて、幕府は国後はがっちりと確保していたのに対し、択捉島の守備には不備も多く、再三ロシアの攻撃を受け撤退したりしていた。が、ロシアが恒久的に支配することもなかった。


2.樺太千島交換条約 1875年(明治8年)サンクトペテルブルグにて
混住地区とされた樺太の日本の権利をロシアに委譲し、逆に北千島を日本領とした。

  *注:この条約で、日ロ間の国境線が確定した。混住の樺太というのは、言わば樺太の半分=南樺太のようなものなので、千島列島は北から南まで日本、樺太はロシアとはっきりとさせた。


3.日露講和条約 1905年(明治38年)ポーツマスにて
  南樺太(北緯50度以南)を日本領にする。

  *注:日露戦争の結果である。


4.カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言
  1943年10月カイロ宣言、1945年2月ヤルタ(秘密)協定、そして1945年7月ポツダム宣言と続く流れの中で、米ソは樺太・千島のソ連帰属を秘密協定(ヤルタ)。日本が受諾したポツダム宣言は、領土問題はカイロ宣言に基づくとされ、カイロ宣言では千島問題は明記されていない。ヤルタ協定は秘密協定で、当事者の日本の知らない内容である。

  ソ連は、ヤルタ協定に基づき千島・樺太に侵攻した。

  このカイロ宣言での日本の領土規定は重要なので、原文と訳を置く。

"It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which are she seized or occupies since the beginning of the first world war in 1914, and that all the territories that Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and Pescadores, shall be restored to the Republic of China.

"Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed.

右の同盟国の目的は、日本国から、1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある。

日本国はまた、暴力及び貪欲により日本国が略取した他の一切の地域から駆逐されなければならない。


  *1914年以降の条項においては、南樺太、千島ともこれにあたらないのは明確である。ただし、次の条項の「暴力により・・」の中に南樺太はあたるのかもしれないが、少なくとも千島列島についてはあたらないと考えられる。


5.サンフランシスコ講和条約 1951年9月
  日本と連合国48ヶ国との終戦及び平和条約。この中で、日本は千島列島、南樺太の主権を放棄した。

  *注 この条約にソ連が調印していれば、おそらく国後・択捉問題はその段階で幕引きとなっただろうと想像される。冷戦による中国問題でソ連が調印をしなかったため、その後、現在に至るまで二国間には講和条約が締結されていない。


その後、日ロ間の長い交渉の末、「北方領土問題」が二国間の未解決の問題であるという認識には至っている。

現在のところ議論されている主な解決案は、

A.二島返還で決着・・・主にロシアの提案

B.二島返還後、平和条約そして残る二島の交渉継続・・・鈴木宗男案

C.三島返還

D.面積半分案・・・麻生案。3島と択捉島の一部に国境線を引く

E.四島一括返還・・日本側世論の中心

F.北千島を含む全千島の返還・・ある政党。樺太千島交換条約に基づく。

G.Fに加え、南樺太の返還も要求・・カイロ宣言の解釈による。

H.各案の変形として、返還後の領土について日米安保対象外地域にする。

I.同じく、ロシア側の失う利益の補填問題

などがある。


bouei交渉の元になる法的根拠としては、

「樺太・千島交換条約」「ポーツマス条約」「ポツダム宣言受諾(カイロ宣言の領土条項)」などが主流だが、過去の条約類のあいまいな表現について百人百様の解釈があり、結果として、議論の素材としては出尽くしていると思われる。

このように各種の案があるのに、なぜ国民の多くが、四島返還こそが決着案、と考えているのかは、本当はよくわからない。現実的には、戦後すぐの時代には、軟弱外交で二島決着案が大勢だったこともあり、せめて四島論でないと、いうことだろうか。個人的には千島列島全体の返還論なのだが、それでは平和的に解決することは困難、ということだろうか。

ちなみに択捉島よりも小さな都道府県は7つもある。東京都や神奈川県だって択捉より小さい。
(続く)