「沈黙の声」を振り返って

2005-10-22 22:16:05 | 美術館・博物館・工芸品
終わってしまった展覧会のことを書くのは気が引けるのだが、何か解釈できなかったこともあり、のそのそと綴ってみる。竹橋の近代美術館の常設展の2階の一角で行われていた、この「沈黙」アートは、3人のアーティストの作品。

0cf8e69a.jpg最初は遠藤利克の「欲動-近代・身体」。奇妙な赤っぽい色の長方体。欲動というより浴槽というべきか。素材は何か石質のようなゴム質のような感じで、内壁には水が出るようになっている。底の方は少し水がたまると回収される循環システムになっていて、微かな水音が聞こえている。まあ、解釈しようと思わないほうがいいのだろうが、水音はもっとも再生しにくいファジーな音の一つであり、一方、人間を落ち着かせることのできる音でもある。大きなマスにほんのわずがな水量が意味するのは、人間のはかなさなのか、単に水音を聞かせるだけのつもりなのか。

0cf8e69a.jpg次に、キム・スージャの「針の女」いわゆるビデオアート。世界の4都市(メキシコシティ、ラゴス、カイロ、ロンドン)の町の中で後ろ姿だけが映る「針の女」を前にして通り過ぎる人たちの様子がそれぞれ4つの画像として、同時に映し出される。約10分。人々が「針の女」のところに集まってくる都市もあれば、無関心な町もある。技法的によく見ると、都会の雑踏の中に「針の女」を後で組み入れたような感じにも見える。そのあたりの無体積感と無存在感が、「針」と表現されたのだろう。芸術とは関係ないのだが、4都市とも多国籍人種都市であることがよくわかる。

0cf8e69a.jpg最後がビル・ヴィオラの「追憶の五重奏」。この「沈黙の声」という総合タイトルにもっとも近いのだろう。5人の男女が何かを言いたそうで言わない。表情からすると、声が出ないことによる苦しみを感じさせられる。一体、何を?政治的発言の抹殺であれば、独裁政治の国あたりの話かもしれないし、もっと人間の根源的な所作に起因しているのかもしれない。


ところで、終わってしまった展覧会を記載したおわびとして情報提供。重要文化財である横山大観の「生々流転」が近代美術館で公開される。しかし、作品の大きさから、一度に公開することができないため、前期(10/08~11/13)と後期(11/15~12/18)に分割して展示するそうだ。ついでに書くと420円の入場料は前期に一回来ていると二回目の分はタダになるということだ。前期最終日に観覧して、目を閉じたまま家に帰り、後期初日に作品の前に立ち直してから、ゆっくりと目を開くと霊験新たになることだろう。0cf8e69a.jpg