角田光代の世界(上)

2005-10-02 23:16:12 | 書評
0c7c682e.jpgここのところ角田光代を続けて読んでいる。「幸福な遊戯」「キッドナップ・ツアー」「空中庭園」「対岸の彼女」計4作。

実際に約3ヶ月前までは、角田光代という作家のことは、単なる普通名詞くらいにしか思っていなかった。まったく知らない作家だったわけだ。そして読み始めたにはキッカケがあった。

手元の手帳で確認すると、6月17日のことだが、朝9時頃、羽田空港にいたのだが、少し離陸までの時間があったので、搭乗ゲート近くのロビーで、呆としてテレビを見ていたわけだ。たまたまチャネルがNHKであり、作家の日常を訪問するという主旨の番組だったのである。そして登場したのが角田光代だったのである。

実は、知人に小説家もいるのだが、生活は不規則かつ乱脈で金銭感覚には乏しいにもかかわらず、原稿料には辛い。まあ、きちんとした人間の書く小説など面白くないはずだからと世間が許してしまうところもあるのだろうが、逆に、角田光代は、放送された内容の中ではマンションに一人暮らしの限りなく規則正しい生活を送るサラリーマンのような仕事ぶりらしい。以前付きあっていた男性がサラリーマンだったからとか説明していたが、それは関係ないだろうね。

彼女は9時ちょうどからパソコンで原稿を書き始め、12時少し前に自宅を出て昼食に行き、1時過ぎに戻ってきて5時まで書いて、後は食事をしてテレビを見て、たぶん風呂に入って・・・そして、眠る。

女性インタビューアーから、「規則正しくといっても、筆が詰まることはないのですか?」と質問され、「同時に6種類の仕事をするので、どれも書けないということはない」とのこと。やけに器用だ。山田詠美は逆に1作ずつ苦汁しながらやっつけると言っていたのに、全然違う。もちろんできた作品も全然違う。

そして、インタビューで面白かったのは、彼女の小説にでてくる人間関係の深層さなのだが、題材を考えるのにあたって非常に重要なのは、一人で食事に行った時、隣のテーブルで行われる会話の内容だそうだ。言いかえれば、「聞き耳」ということになる。だから一人で昼食を食べにいくわけだ。

そして、インタビューアーと一緒に実際に昼食を食べにいくのだが、行き先はちょっとした小料理屋なのだが、何と注文したメニューは豚生姜焼き定食。うーん。そして、隣の席の会話なんかが、何気なく耳に入ってくると言っていたが、たぶん耳をそばだてるわけだ。近くの席で生姜焼きを一人で食べる女性がいたら要注意だ。

そして、帰宅後、自分で食事を作ることがあるという話になり、「好きな料理は?」と聞かれて、その答えは、「肉料理。特に生姜焼きが好きでよく作る」、のだそうだ。何でも生姜焼きなのだ。まあ、生姜をすりおろして醤油をかければいいのだけど、いつも生姜焼きばかり食べているのだろうか?

そして、とりあえず2冊の文庫本を買ったのだが、読まずに長期在庫になりそうではあったのだが、またしてもキッカケがあった。小説「空中庭園」が映画化され、上映が近づいた段階で監督が薬物使用で逮捕。あやうくオクラ入りを免れる。

さらに1ヶ月半ほど前、夜の12時頃、テレビチャネルを変えていたら読売系のG+(ジータス)で作家の対談が放送されていた。石田衣良と角田光代が対談している。何か5月頃、六本木で公開対談があった時のもようだそうだ。これがまた対照的な二人なのだ。石田はもう空白の時間を埋めるのが自分の仕事と勘違いして、徹底的にしゃべりまくる。当然言ったことも碌に覚えていないだろう。対して角田光代の話し方は、きわめてゆっくりしているのだが、それは自分の口から発した言葉が、そのまま小説として記録されてしまうのではないかというような慎重なペースなのだ。つまり消しゴムをつかわない手書き原稿のような話し方になる。

石田衣良は、愛読書ということで大量の書物を会場に持ち込んでいるのだが、中に角田光代の直木賞小説の「対岸の彼女」も含まれている。調子のいい男だ。さすが元広告マンだ。一方、角田光代は小説を書くために大学の創作科に行ったそうだが、米国的だ。そして小説群はなんとなく「ニューヨーカー誌」に登場しそうな、都会の細かな人間関係を描くのだが、本当の書評を書く前の前振りがやたらに長くなったので、残念ながら、それは次回以降ということにする。