角田光代の世界(下)

2005-10-06 23:04:52 | 書評
8de10db8.jpg空中庭園

直木賞候補(ということは落選)。婦人公論文芸賞。この作家、とにかく賞を取る。そして評価が分かれるのである。好きな人と嫌いな人。基本は心理描写なのだ。ある意味で、コトバだけで心理を解き明かしていくという、まったく正しい小説家像ともいえる。登場人物はまたしても家族だ。そのメインスタジオは、一家のリビングルームであり、サブスタジオが、モーテル「野猿」である。変な名前のモーテルだが、確か実在している。八王子の方にある暴走族ご愛用の「野猿街道(やえんかいどう)」の近くに看板が出ている。

登場人物は、妻と夫、こども男女各1、祖母、夫の愛人で、また15歳のこどもを誘惑する20台後半の女性家庭教師。みんな揃っているときには、美しい家庭なのだが、それぞれ、個人的な事情を隠し持っていて、徐々に破綻に向かって進んでいく。氷山にぶつかったタイタニック号と同じように、元に戻ることなく壊滅に向かっていく。

ある時点で、ジグソーパズルがぴったりとつながっていたものを、それぞれのピースは成長したり、老化したりで大きさや形が少しずつ変化していく。妻の理想は、何も隠し事をもたない家庭であったのだが、結局、それはまったく無理な話だ、ということが明らかになっていく。

実は、この念入りに書かれた直木賞候補作についての最大の酷評は、「複雑な人間関係が良く書けていることはわかるのだが、だからどうだというのだ」ということだったらしい。確かに、この家族は永久に「一見オープンな関係」を継続していけるかもしれないが、そこから先、違う世界へ一歩も進んでいない。

そして、この短編集には6編が収められている。解説では石田衣良が公開対談の模様を書いている。私もこの対談をテレビで見たのだが、面白い発言があった。角田光代が男性の主人公を設定するときのことで、石田衣良から「男と女とどちらが書きやすいか?」という主旨の質問を受けたあと、考慮10秒くらいで発しられたのは、「お○ん○んのある人間の考えることはよくわからない」との大胆発言だったのだが、その「妙な単語」に驚いたのではない。彼女の小説を読んでいると、女性小説家もずいぶん種類が違うものだと思うわけだ。少なくても角田光代に似ている作家が中上健次と山田詠美のどちらかと言われれば、間違いなく中上だ。まあ、小説とは小説家が作るものだからどんなキャラクターを設定してもいいのだから、角田光代がいかに誤認していても構わないのだが。

そして、この小説は映画化され、小泉今日子が主演なのだが、運悪く映画監督が薬物使用でつかまった。高校野球で言えば、監督がマリファナ吸っていたようなものだ。しかし、映画は上映されることになった。大人はずるい。


対岸の彼女

最後は、「対岸の彼女」。直木賞受賞。実は、彼女の本を読むには時間がかかる。なにしろ文字が多い。本を開くと、白い隙間があまりない。辞書みたいになる。そして、そのインク代も多く必要となるため、ずっしりと重い。戯れに重さを量ってみると440g。山田詠美「風味絶佳」370g。

本作は、角田光代のタ-ニングポイントという評論もあるのだが、実際には今までの「堂々巡りの泥沼家庭風景」を一歩踏み出して、「次は、こう進む」と登場人物が宣言するような仕上げになっている。一つの物語の中に、時系列の違う別のストーリーが挿入されていて、そちらもドキドキする。女同士の友情物語のはずなのだが、別に女性でなくてもいいのだろう。そういう過去の思い出を引きずりながら人は生きていくのだ、ということが言いたいのだろうと解釈すれば、すべて理解に近づくのだろう。

そして、今回は直木賞受賞だが、芥川賞と直木賞の中間の賞があればいいのにとも思える。芥川賞を取り損ねた有名作家に出す賞だ(芥川賞選考委員の不明を恥じる賞)。初代受賞候補は村上春樹だろう(受け取るなら)。

4冊読んで

好きな小説家の文章はすらすら読めるものの、角田光代の小説は苦手だ。なかなか前に進めない。しばらくお休みにする。それは、自分の感性が、彼女ほど物事の一点を海底油田の探索のように掘り進むという方向には向いていないからだと思う。