現存天守閣の五つ目は宇和島城

2005-03-06 14:12:46 | The 城
f2d89c8b.jpg愛媛県に行ったついでに、現存天守閣に行くチャンスがあることに気付く。くしくも金曜の夜までで出張先での仕事は終わり。どうせ帰るだけなので、寄り道を画策。おどろくことにこの一年間で現存12城のうち、姫路、備中松山、彦根と行き、かつて行った高知と合わせ4/12。まだ全制覇などと考えていないのだが、なぜか近くに用ができ、ついでに寄るようになっている。単なる運命のいたずらなのか?こうなると、かつて、丸岡、松江とかに行った際に登城しなかったことが悔やまれる。また、あまり城にこだわって仕事を設定すると、”釣りバカ日誌”に登場する鈴木建設株式会社営業部のハマちゃんになってしまうので注意が必要だ。

さて、あまり時間もとれないので、宿泊地松山から早朝の特急で宇和島へ向う。予讃線は単線だが猛烈に飛ばす。1時間20分くらいで宇和島へ着く。そして、この城は極めて手付かずで商業主義に染まっていない。

駅の案内だと、徒歩30分となっている。地図を見るとあまり遠くではない。さては、登山道か・・・。タクシーに乗ると、案の定、山の入口で下される。駅からすぐだ。ビルとかアパートの立ち並んだ一角に無造作に石段の始まりがある。要するに山を上らなければならない。ほとんど城のできた400年前と同じじゃないのかな?折からの小雪混じりの海風が吹き上げてくる。眼下には入り江が広がる。備中松山城ほどではないが、石段は厳しく、まったく優しくない。天然ものなので一段が40センチくらいのところもあり、10センチのところもある。そして、苔で滑りやすい。それでも登りきればちょっといかつい天守閣があらわれる。一対のシャチホコが鬼の角のように見え、宇和島の町の背後に連なる鬼ヶ城連山から主が下りてきたようにも見える。

そして、この城は、城造りのスペシャリスト藤堂高虎による。ものの本を読むと、必ず城造りの名人として登場する。数多くの名城を作っているが、宇和島、今治、津、伊賀上野、二条、高知といったところだ。おそらく、人気者にはどんどんと仕事がまわってきて、作れば作るほど上達していったのだろう。よく「家は3軒建ててやっと満足なものができる」と言われるが、高虎はこれでもかこれでもかと新しいデザインを取り入れていったわけだ。ゴルフ場でもピート・ダイのようにいくらでも難しいコースのアイディアを持っている設計者もいて人気者であるが、それと同じだ。現代でも、仕事のできる人間には、どんどん仕事が集まり、できない人間はヒマをもてあましブログを書いたり・・・(冗)。

天守閣の周りで何枚か撮影してもまだ8時40分頃。9時のオープンを待つには寒すぎるので、受付の職員に頼むと快く時間前入場を認めてもらった。入口で靴からスリッパに履き替えるが、靴箱なんか無い。その辺にぬいでおくだけ。まあ、地元の人も何度もこの山を上ってくることもないし、なにしろ日本の中でも指折りの不便な場所だ。どこの城でもそうだが、天守閣内部は暗い。窓は小さく、現存の城にはほとんど電気もない。階段は急だ。そして板張りで冷たい。結局、山を降りるまで、誰にも会わなかった。

少し気になったのは、天守閣の前に巨木がある。若葉が美しいが、あまり見かけぬ広葉樹だ。名前はよくわからない(えんじゅ?)が直径が2メートルくらいなのだから、城ができた当時からのものかも知れない。しかし枝ぶりは立派なのだが、すでに地上50センチくらいのところに大きな洞ができてしまっている。断面積の70%位は空間になっているようにも見える。このまま放っておけば、そのまま強風時に折れるか、立ち枯れになるだろう。洞の中にはゆうに子供が入れる大きさになっていて、中にもぐっている時に折れたら悲惨なことになる。添え木もなければ、何も対策がない、もはや樹木としては手遅れかもしれないが、それなら安全策を考えなければならないだろう。

しかし、枝ぶりのいい巨大樹木が、たまたま訪れた団体客50名の上に一瞬にして覆いかぶさったとしてもまったく心配はいらない。樹木から天守閣までの距離の方が、樹木の高さよりも僅かに遠いように見えるから共倒れになることはない。

<追記>当初、宇和島城の俗称を鬼ヶ城と書いたが、現地の方から誤謬との指摘を受け、事実を調べなおした結果、その部分を修正(2006/02/02)。

しまなみ海道は未完成だった

2005-03-05 14:15:58 | 市民A
8a986462.jpg昨日も触れたが、名所といわれ、結構ガッカリするのは全国の有名な橋である。長崎めがね橋、高知はりまや橋、そして東京の日本橋がそうだ。しかしちょっと意味の違うスケールでの日本三大ガッカリと言われるのが、本四架橋といわれるものだ。何しろ3本ある。ガッカリを独り占め。ただしガッカリの理由は、将来的な経済的負担問題である。といってもキャッシュフロー的に言えば、建設費はすでに支払われていて、本四公団が借りた金額が返せず、最終的には郵便貯金が目減りするか、税金で負担するかのどちらかになると予想されるからだ。

なぜ三本あるかという一番合理的な説明は、向かい合った各県が我田引水をした結果であるというのが一番わかりやすい。兵庫・徳島(明石=鳴門間)、岡山・香川(児島=坂出間)、広島・愛媛(尾道=今治間)だ。山口県も橋が欲しかっただろうが、残念ながら対岸には県がなかった。実は、前の二本はすでに通ったことがあったのだが、3本目を通る機会を得た。というか通らなければいけなかった。何しろ船便は大幅に減便されたているので、福山駅からバスに乗る。いわゆる「しまなみ海道」だ。少し前に触れたが、今JR西日本がキャンペーンに使っているテーマ曲が「いい日旅立ち」なのだが、山口百恵に代わって、鬼束ちひろが歌っているが、作詞の谷村新司は、「雪解け間近の・・」を「遥かなしまなみ・・」と書き換えてしまったそうだ。西日本向けだ。そう簡単に自分から作詞を書き換えるとも思いにくいが、真相は不明だ。

しまなみ海道にかかる道は単純に「西瀬戸自動車道」と思っていたのだが、現地で知ったのだが、事情は複雑だった。鳴門の橋は明石との間に淡路島があるため、その両側に一個ずつ橋が必要になる。また児島ルートでは、一気に長い橋が必要になるわけだ。ところがこの尾道・今治ルートはその間に島が6つある。本州側から順に、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島だ。そのため、両サイドの尾道と今治を結ぶと、橋が7本必要となる。そして、すべての橋は完成し、片側2車線(合計4車線)の道路は完成したわけだ。とりわけ来島海峡は大型船の通航も多く、海の難所でもあり、橋も巨大である。

ところが、この西瀬戸自動車道が曲者なのだ。なにしろ3本ある。また問題の3本だ。しかし今度の3本は並列の3本ではなく、直列の3本だ。どうしてこうなったかというと、途中の生口島と大島ではまだ自動車専用道路ができていなく、普通の海岸道路を走ることになる。ということで、全体のうち、2ヶ所が分断されている。さらに言うと、両側の尾道と今治では高速道路にはつながっていない。もう一つさらに言うと、人口の多い、広島市と松山市はどちらもこの橋より数十キロ西側に向かい合っていて、今でも行き交いする場合は船を使っている。橋を使おうとすると「コの字」型に動かねばならず、高くかつ遅い。こういうところからしてイマイチだ。

で、未完成の状況だが、要するに島というのは、おおむね円形で真中が山になっているわけだ。それを繋ごうとすると島の真中の山の上に橋を架けなければならない。さらにインターが山の上なので、住民が生活している海岸線までのアプローチも必要となる。そういう大工事のため、まだ2つの島では工事が終わっていない訳だ。しかし、実際には、島の周回道路にはほとんど信号が無いので、バスはどんどん走っていく。

さらに、考え込むのは、この西瀬戸自動車道路は、片側1車線なのである。というか正確に言うと、将来の4車線道路のうち2車線だけが完成していて、それを対面交通で上下に使っているわけだ。つまり、このしまなみ海道は本州側の普通の道から6本の4車線の橋と3本の2車線の道路と2島の一般道で出来上がっていて、それでも通行車両はほとんどいないのに、未来のオール4車線道路に向って、着実に工事代金という郵便局の貸付金が膨らんでいっている現在進行形物件だったということだ。そして、どれくらい道路が空いているかというと、よく話題になる高齢者の高速道路逆走事件があってもたぶん何事もなく目的地に到着しそうな具合だ。

最後にもう一つ、ムカッとした話がある。実は福山、尾道といった広島県の駅から愛媛の今治駅行きのバスに乗ったのだが、愛媛県の島で下車したわけだ。そして所用をすませ、今治に向おうと、さっきのバス停から乗ろうとしたら、バスの運転手から乗車を断られた。愛媛県内の営業行為になり、広島のバスがお客を乗せると愛媛の業者から訴えられるというのだ。しょうがないので、もっと手前の「広島県所属の島からの料金を払うから」と下手に出たがムダだった。1時間に1本の愛媛のバスを待つこと40分。すっかり冷凍マグロになってしまい、いっぺんに愛媛県が嫌いになった。

日本橋の今昔

2005-03-04 14:17:10 | 市民A
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愛読ブログの「余丁町散人の隠居小屋-blog3月3日号」によれば、3月3日は江戸日本橋に橋が架けられた日だそうだ。時に慶長8年3月3日。新暦に換算して計算すると、1603年4月14日になる。なお、3月3日で有名なのは桜田門外の変だが、こちらは万延元年3月3日、新暦では1860年3月24日で大雪の日だった。さすがに新暦4月の中頃では雪は降らないか。日本橋はアーチ型の木造なので、雪が積もると、滑って危険だ。

実は、江戸幕府ができて早々の時期に、五街道の基点を江戸の真ん中に置いたのは幕府の見識だったのだろう、今年で402年だ。五街道といっても日光街道と奥州街道は途中まで同じなので、実際は日本橋発は四街道だ(大阪のニッポンバシは紀州街道の基点なのでこれを入れるとまた五街道に戻るが、そんな計算のはずはない)。

しかし、よく考えると橋というのは両端しかない。交差点状ではない。実際に、日本橋からは南北に二つに分かれ、南側が東海道で、北側が中山道と奥州街道ということはすぐにわかる。しかし、もう一つの甲州街道は橋の北からだろうかそれとも南からなのだろうか?これは難しく、ネット上で1時間も格闘してしまった。ようするに江戸城を北から回って四谷に出るのか、南回りで四谷に出るのか(四谷から先は新宿に向うことは間違いない)。結局よくわからないが、甲州街道ウォーク参加者の話とか丸の内線のルートあたりから推測すると、南回りの現在の内堀通りが甲州街道ではないかと思える。とすると井伊直弼が暗殺された桜田門外は甲州街道沿いということになり、3月3日の二つのエポックが繋がる。しかし、橋と言うのはそういった日本的なファジーさがあり、パリやマドリードやローマのような広場に八方から道が集まるといったドラマティックさはない。

しかし、余丁町散人ブログでは当時の浮世絵が見られるが、建造された橋は長さ67メートル、幅7メートルの木造の美しい姿だったわけだ。ところが、現代の日本橋は最悪だ。なにしろ、空がない。上空は高速道路にふさがれている。東京オリンピックに合わせて作られた首都高速という名前の低速渋滞道路が、土地収用費をケチるために、道路予定地を川の上にしたため、橋の上を道路が覆うという奇妙な風景を作ってしまった。江戸時代には日本橋と富士山の組合わせは浮世絵の定番的だったが、現代の封印され閉塞的な日本橋から見えるものは、三越のライオンと野村證券だけだ。


以前、九州長崎をバス旅行した時に、バスガイドさんが「日本三大ガッカリ」という観光地を紹介してくれた。「長崎メガネ橋」「高知はりまや橋」「札幌時計台」だそうだ。めがね橋を見る前に、バスの中で予防注射を打たれたわけだ。実際には最初の二つは同感だが時計台はそんなにガッカリはしない。

では現代の日本橋はなにかというと、もっとガッカリ度は上だろう。世界3大ガッカリクラスだ。マー・ライオンがその一つ、もう一つは何だろうか?好きに考えて欲しい。

と日本橋にがっかりばかりしてもしょうがなく、なんとかならないかと思っていたら、「日本橋みちと景観を考える懇談会」というのができていた。だいたい、首都高自体の構造が悪く箱崎を中心に渋滞が自然に発生するようになっているわけだ。だが、あのあたりは地下鉄やら配管とか相当深くまで地面が深く利用されていて、ニッチもサッチもいかないかもしれない。地下鉄が2種類あって、その上が隅田川で、その上が道路(日本橋)、その上が首都高。この懇談会の目的が、「中央区の高速道路の再構築」だそうだが、いずれにしても費用対効果とか考えると、無理かな?

橋の話ついでだが、明日、出張で大きな橋をわたることになっている。これこそ日本最大ガッカリと言う人が多い橋なので、本ブログに感想をUPするつもりだ。

会議中に眠った司会者の「運命」

2005-03-03 14:18:45 | 音楽(クラシック音楽他)
2b3c0fd0.jpgJTビルで時々開かれる、昼休みのミニコンサート。無料ということもあり、段々混んで来た。まさか私のブログを読んで、参加し始めた人がいなければいいのだが・・・

私がここに行くのは、主に花粉症の時期にはコンサートホールの予約をとるのが危険ということが原因なので、もちろん今が一番コンビニエントな時期だ。「期待の音大生シリーズ」だ。

東京芸術大学の古川貴子さんのピアノソロでバッハ「平均律クラヴィーア曲集から」とショパン「ノクターン7番」そしてベートーヴェン「ピアノソナタ第31番」だ。この3人の巨匠を同時にやっつけるとはエンターテイナーだ。

実はバッハはあまり好きじゃない。型にはまった優等生という感じで、どうも心を揺らさない。そのうち好きになるとかの予感も感じない。古川さんも、あまり感情移入しない。指の運動か?

ノクターンはまさにショパンのオハコだ。オハコ過ぎて、演奏家の腕が振るい難いのかもしれない。明るく軽快なノクターンもないし、憂鬱と哀愁に満ちたノクターンもない。映画「愛人・ラマン」のエンディングに突然流れるノクターンはまさに映画というジグソーパズルの最後の1ピースという感じだ。

ベートーベンは自由に演奏家が表現できる。古川さんは、いたって優しく、メロディを追いかける。かなりベートーヴェンの原曲に近く、憂鬱や歓喜といった感情を表現する。私は目を閉じて聞いていると、花粉症の予防薬「ジルテック」がじとっと脳に効いてくる。眠らないように意識を保っていると、ピアノを弾いているのがベートーヴェンそのもののような錯覚に落ちていく。ベートーヴェンの初演を聞くような至福の中で、必死に睡魔と戦う。そしてフィナーレを迎え、午後の職場へ帰るのだが、会議の司会者の役が待ち構えている。あまりに退屈な会議であって、司会者なのに眠り込むという信じられない大失態を演じてしまった。

CSRレポートの講演会へ

2005-03-02 14:20:55 | MBAの意見
86cc0676.jpg日本経団連の下部組織である(財)経済広報センターのモニターをしている関係で、ちょくちょく講演会にかり出される(という言い方は間違いで、自分で出席する)。先週は経団連会館で後藤敏彦氏の講演を聞く。まあ、難しすぎる話はおいて、彼の持つ現代の社会観に感心した。

経済システムを文明史的にとらえると、農業→産業革命→石油時代(1859年ドレークの油田発見)→CO2の増加(1973年に吸収<排出)→持続可能型への転換の必要、という構造だ。

そして、国家と企業の関係が渾然とした現代では、国家のみならず企業にも責任は重いと言うことを数値的に示す。国家のGDPと企業の売上げをごちゃごちゃにして順番をつけると、ベスト100の中に企業が53、国家が47になるそうだ。20位までは国家で、21位がエクソンモービル。39位のトヨタの売上げは38位のタイのGDPとほぼ同じらしい。

そして、世界の多国籍企業は60,000社位あるらしいが、トップ500の中に米系が185、日系が108、英、独、仏計で100社だそうだ。やはり日本の企業は、自ら気付かぬうちに大きくなり過ぎているのだろう。

CSRとはCorporate Social Responsibilityの略で、地球の持続可能成長のための社会的信頼性であるのだが、結局、それをレポートにして発表するのがはやっているわけだ。もちろんニセモノも多い。見抜ける力も必要だ。まあ、残りの話は類推できるだろうから省略するが、こういう講演会につきものは、質問タイムに飛び出す「筋違いの質問」だ。質問の形をとって、自分の勝手な主張を振り回す人間だ。それがいたのだが、思わぬ方向へ向った。

質問は50代後半とおぼしき男性からで、企業の取り組みの中に「少子高齢化対策」を取り入れるべきだ。との主旨で、このままでは日本がダメになるというような主張なのだが、あくまでもCSRとは筋が違う。講師が怒るかと思いきや、違うことを考えていた

後藤氏は、「自分が生まれたのが昭和16年で人口8000万人、その後、日本は人口が1億2600万人まで1.5倍も増えたわけで、それが50年後に1億人に減ること位、どうってことないじゃないか。」という楽観論。さらに驚いたのは、「日中韓が減少に転じるのと同様、これから世界中の生活水準が上昇していけば人口は減るしかないじゃないか。」と超越している。「だから人口減少はたいした問題ではない」と言い切っていた。ある意味、なるほどだが、少し異論はある。

人口増加率は年間2%ペースから、今は1%程度に落ちてきている。エネルギーの効率化で十分に対応できる範囲であると思うし、おそらく均衡するだろう。本来は海洋植物性微生物がCO2を吸収するメカニズムなども解明すべきかもしれないが、それでいいとも思えない。海水の95%は深層水という安定した状態にあり、あまり微生物は含まれていない。例えば海水を攪拌して表層水の量を多くしてやるとか考えられるのかもしれない。しかし、CO2を海水中の植物性微生物がすっかり取り込んでしまうと、大気中にCO2がなくなり、陸上に植物自体が生息できなくなる。これでは大失敗だ。ほどほどに。

ダイエー碑文谷店を見つけー

2005-03-01 14:22:55 | MBAの意見
548f479e.jpg日頃、ブログで書いたり調べたりしている一見関係なさそうなものが、関連していたりすることに驚くことがある。特にそれが偶然見つけたような場合だ。

忘れた頃にやってくるものと言えば、昨今は地震か(いや、忘れてないのにやってくる)。しかし、突然やってきて、嬉しいものの一つが株の「配当金」だ。不動産投資法人への投資の場合、特に権利日は意識していて、配当を取りに行くか、配当狙いで上がった株価で権利日直前に売るかとか意識をしているのだが、いずれにしても毎月あちこちの法人に乗り換えているので、配当のことをすっかり忘れた頃にユナイテッド・アーバン投資法人から郵便が届いた。そして一緒に資産運用報告書が同封されるのだが、いつもは読まずに捨てるのだが、何気なくぱらぱらとページを広げると、投資物件の中に、見慣れたビルがある。ダイエー碑文谷(ひもんや)店。目黒区にある7階建ての建物の写真だ。ダイエー問題の深層を探るために、何回か見に行っている。客層が異常に若い。小学生低学年が多い。渋カジ予備軍だけど、ダイエーは渋谷に店が無い、というようなことを書いた記憶がある。一階にはUFJ銀行のATMがある。

ところが既に、この土地(5,250平米)と建物(床面積27,033平米)はダイエーのものではなく、この投資法人のものになっている。ユナイテッド・アーバンはこの資産を153億円で購入しているが購入先は、目黒インベストメントという会社からだ。ダイエーではない。本当は登記簿を確認したいところだが、それほど暇ではない。実は、この投資法人の資産の20%がこのビルだ。結構リスキーなことをしている。なぜって、この店で営業を続けられるかどうか、よくわからない。そして誰か他の会社がこのビルの全部ないし大部分を借りることも考えにくい。

ダイエーの話はちょっとおいておいて、この投資法人のその他の資産を見ると、まさに危険だ。新宿ワシントンホテル212億円、ショッピングセンター数ヶ所(野田、芦屋、堺)都内ワンルームマンション多数、そして面白いのは太平洋セメントの社宅2ヶ所だ。最近社宅をやめる企業が多いのだし、太平洋セメントといえば、生産拠点を韓国に移しつつある会社で、社宅を買ってどうするのかと思って、地図をよく見ると、社宅のうち一ヶ所の浮間社宅は、先日温泉掘削現場から天然ガスが噴出した場所とどうみても同じ場所だ。セメント会社の作った建物ならば手抜き工事はないだろうが、ガス田のそばではまずいのではないかな。

さらに、大物が続く。新大阪セントラルタワー240億円。ダイヤモンドシティ熊本南111億円。川崎東芝ビル192億円。要するに、今のビル所有者がそのまま、居残ることを条件に売買するのだろう。中には、所定年数経過後に金利分上乗せでのバイバックが条件の場合もあるらしいが、それは実質的には高利の借金と同様の効果があり、グレー手法である。

しかし、少し気になるのは、ダイエー碑文谷や太平洋セメントなどの社員には自分のいる場所の所有権が第三者のものであることを知らされているのだろうか?不幸にもユナイテッド・アーバンに投資して運用報告書を見て、初めて知ってびっくりということはないのだろうかね。

ところでダイエー再建の問題だが、とりあえず三社に絞られたとの報道で、イオン、丸紅、キアコンの名前があがっていて、外資やヨーカ堂や不動産会社は既にいない。しかし、最近、イオンの熱が冷めたようだ。もっぱらヨーカ堂にとられないように運動していただけらしい。さらに丸紅は筆頭株主のマルエツの価値の下落を恐れているのと、売掛金が100億円近くあるらしく、ここも防衛的戦略らしい。キアコンもどうも小型店だけらしいし。と最初からうまくいかない。碑文谷店の行方もさっぱりわからない。

ところで、ダイエーには優良子会社が色々あるが、「フォルクス」(ステーキハウス)を「どん」が買収した。赤字会社の子会社の悲しい点は、優良会社になると、逆にカーブアウト(切り離し売却)されてしまう。「なか卯」も親会社の双日が「すき家」に売却。となると、ダイエー系牛丼店「らんぷ亭」は「松や」が買収するのだろうか?そうなると吉野家の競争的優位も、もうおしまいだ。

最近のサラリーマンは自分の責任ではなくても、突然、会社が売却される悲劇もある。特に会社がもうかっていても、内部留保に溜め込んで株価が低い場合などだ。突然、上司が30代のタイ人女性になって、週末ごとに大塚家具でのショッピングの日本語通訳として引っ張りまわされているのは、私の話ではなく、私の知人の話だ。

レオ様、アカデミー賞、逃す

2005-03-01 14:22:15 | 映画・演劇・Video
30歳、やっと回ってきたチャンスなのだが、失敗。まあ、大作、名作に出れば出るほど「大根」に見えてしまうところが、彼のパーソナリティなのだけど、まあ「アカデミー」という単語には、もともと似合わないのかもしれない。

振り返って考えると、同じようなスタイルのジェームズ・ディーンもオスカーとは無関係だったのだから、しょうがないかな。例の「エデンの東」がダメで、同じエリア・カザンの「波止場」が受賞(1955年)。もっとも彼は三本しか出演しなかったのだからしょうがない。

しかし、今回は「アビエーター」とか「レイ」とか伝記ものばかり。「ジミー・ディーン物語」にでも出演して、うさを晴らしたらどうなのだろうか・・・