愛媛県に行ったついでに、現存天守閣に行くチャンスがあることに気付く。くしくも金曜の夜までで出張先での仕事は終わり。どうせ帰るだけなので、寄り道を画策。おどろくことにこの一年間で現存12城のうち、姫路、備中松山、彦根と行き、かつて行った高知と合わせ4/12。まだ全制覇などと考えていないのだが、なぜか近くに用ができ、ついでに寄るようになっている。単なる運命のいたずらなのか?こうなると、かつて、丸岡、松江とかに行った際に登城しなかったことが悔やまれる。また、あまり城にこだわって仕事を設定すると、”釣りバカ日誌”に登場する鈴木建設株式会社営業部のハマちゃんになってしまうので注意が必要だ。
さて、あまり時間もとれないので、宿泊地松山から早朝の特急で宇和島へ向う。予讃線は単線だが猛烈に飛ばす。1時間20分くらいで宇和島へ着く。そして、この城は極めて手付かずで商業主義に染まっていない。
駅の案内だと、徒歩30分となっている。地図を見るとあまり遠くではない。さては、登山道か・・・。タクシーに乗ると、案の定、山の入口で下される。駅からすぐだ。ビルとかアパートの立ち並んだ一角に無造作に石段の始まりがある。要するに山を上らなければならない。ほとんど城のできた400年前と同じじゃないのかな?折からの小雪混じりの海風が吹き上げてくる。眼下には入り江が広がる。備中松山城ほどではないが、石段は厳しく、まったく優しくない。天然ものなので一段が40センチくらいのところもあり、10センチのところもある。そして、苔で滑りやすい。それでも登りきればちょっといかつい天守閣があらわれる。一対のシャチホコが鬼の角のように見え、宇和島の町の背後に連なる鬼ヶ城連山から主が下りてきたようにも見える。
そして、この城は、城造りのスペシャリスト藤堂高虎による。ものの本を読むと、必ず城造りの名人として登場する。数多くの名城を作っているが、宇和島、今治、津、伊賀上野、二条、高知といったところだ。おそらく、人気者にはどんどんと仕事がまわってきて、作れば作るほど上達していったのだろう。よく「家は3軒建ててやっと満足なものができる」と言われるが、高虎はこれでもかこれでもかと新しいデザインを取り入れていったわけだ。ゴルフ場でもピート・ダイのようにいくらでも難しいコースのアイディアを持っている設計者もいて人気者であるが、それと同じだ。現代でも、仕事のできる人間には、どんどん仕事が集まり、できない人間はヒマをもてあましブログを書いたり・・・(冗)。
天守閣の周りで何枚か撮影してもまだ8時40分頃。9時のオープンを待つには寒すぎるので、受付の職員に頼むと快く時間前入場を認めてもらった。入口で靴からスリッパに履き替えるが、靴箱なんか無い。その辺にぬいでおくだけ。まあ、地元の人も何度もこの山を上ってくることもないし、なにしろ日本の中でも指折りの不便な場所だ。どこの城でもそうだが、天守閣内部は暗い。窓は小さく、現存の城にはほとんど電気もない。階段は急だ。そして板張りで冷たい。結局、山を降りるまで、誰にも会わなかった。
少し気になったのは、天守閣の前に巨木がある。若葉が美しいが、あまり見かけぬ広葉樹だ。名前はよくわからない(えんじゅ?)が直径が2メートルくらいなのだから、城ができた当時からのものかも知れない。しかし枝ぶりは立派なのだが、すでに地上50センチくらいのところに大きな洞ができてしまっている。断面積の70%位は空間になっているようにも見える。このまま放っておけば、そのまま強風時に折れるか、立ち枯れになるだろう。洞の中にはゆうに子供が入れる大きさになっていて、中にもぐっている時に折れたら悲惨なことになる。添え木もなければ、何も対策がない、もはや樹木としては手遅れかもしれないが、それなら安全策を考えなければならないだろう。
しかし、枝ぶりのいい巨大樹木が、たまたま訪れた団体客50名の上に一瞬にして覆いかぶさったとしてもまったく心配はいらない。樹木から天守閣までの距離の方が、樹木の高さよりも僅かに遠いように見えるから共倒れになることはない。
<追記>当初、宇和島城の俗称を鬼ヶ城と書いたが、現地の方から誤謬との指摘を受け、事実を調べなおした結果、その部分を修正(2006/02/02)。
さて、あまり時間もとれないので、宿泊地松山から早朝の特急で宇和島へ向う。予讃線は単線だが猛烈に飛ばす。1時間20分くらいで宇和島へ着く。そして、この城は極めて手付かずで商業主義に染まっていない。
駅の案内だと、徒歩30分となっている。地図を見るとあまり遠くではない。さては、登山道か・・・。タクシーに乗ると、案の定、山の入口で下される。駅からすぐだ。ビルとかアパートの立ち並んだ一角に無造作に石段の始まりがある。要するに山を上らなければならない。ほとんど城のできた400年前と同じじゃないのかな?折からの小雪混じりの海風が吹き上げてくる。眼下には入り江が広がる。備中松山城ほどではないが、石段は厳しく、まったく優しくない。天然ものなので一段が40センチくらいのところもあり、10センチのところもある。そして、苔で滑りやすい。それでも登りきればちょっといかつい天守閣があらわれる。一対のシャチホコが鬼の角のように見え、宇和島の町の背後に連なる鬼ヶ城連山から主が下りてきたようにも見える。
そして、この城は、城造りのスペシャリスト藤堂高虎による。ものの本を読むと、必ず城造りの名人として登場する。数多くの名城を作っているが、宇和島、今治、津、伊賀上野、二条、高知といったところだ。おそらく、人気者にはどんどんと仕事がまわってきて、作れば作るほど上達していったのだろう。よく「家は3軒建ててやっと満足なものができる」と言われるが、高虎はこれでもかこれでもかと新しいデザインを取り入れていったわけだ。ゴルフ場でもピート・ダイのようにいくらでも難しいコースのアイディアを持っている設計者もいて人気者であるが、それと同じだ。現代でも、仕事のできる人間には、どんどん仕事が集まり、できない人間はヒマをもてあましブログを書いたり・・・(冗)。
天守閣の周りで何枚か撮影してもまだ8時40分頃。9時のオープンを待つには寒すぎるので、受付の職員に頼むと快く時間前入場を認めてもらった。入口で靴からスリッパに履き替えるが、靴箱なんか無い。その辺にぬいでおくだけ。まあ、地元の人も何度もこの山を上ってくることもないし、なにしろ日本の中でも指折りの不便な場所だ。どこの城でもそうだが、天守閣内部は暗い。窓は小さく、現存の城にはほとんど電気もない。階段は急だ。そして板張りで冷たい。結局、山を降りるまで、誰にも会わなかった。
少し気になったのは、天守閣の前に巨木がある。若葉が美しいが、あまり見かけぬ広葉樹だ。名前はよくわからない(えんじゅ?)が直径が2メートルくらいなのだから、城ができた当時からのものかも知れない。しかし枝ぶりは立派なのだが、すでに地上50センチくらいのところに大きな洞ができてしまっている。断面積の70%位は空間になっているようにも見える。このまま放っておけば、そのまま強風時に折れるか、立ち枯れになるだろう。洞の中にはゆうに子供が入れる大きさになっていて、中にもぐっている時に折れたら悲惨なことになる。添え木もなければ、何も対策がない、もはや樹木としては手遅れかもしれないが、それなら安全策を考えなければならないだろう。
しかし、枝ぶりのいい巨大樹木が、たまたま訪れた団体客50名の上に一瞬にして覆いかぶさったとしてもまったく心配はいらない。樹木から天守閣までの距離の方が、樹木の高さよりも僅かに遠いように見えるから共倒れになることはない。
<追記>当初、宇和島城の俗称を鬼ヶ城と書いたが、現地の方から誤謬との指摘を受け、事実を調べなおした結果、その部分を修正(2006/02/02)。