大垣城で武器を手にする

2018-02-21 00:00:22 | The 城
東海道線を西から東へと移動中に「そうだ、関ヶ原に行こう」と思ったのだが、ちょうどJR関ヶ原駅に着く数分前に、急に天は暗くなり、大粒の雨が降り始めた。なにか、私に見せたくないものがあるのだろうか。となると、代替案として二駅先の大垣にいって駅から近いところにある大垣城にでも行くかということにした。

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有名なのは、駅から徒歩10分ほどと行きやすいこと、それに平地だ。関ケ原の戦いの時に西軍出陣の本拠地となったことが有名だ。残念ながら終戦まで半月という時期に空襲により焼失。もう一つ残念なのは昭和三十年代に鉄筋コンクリートで再建された折、観光上の理由で元の大垣城ではない別の城のデザインが参考にされたのだが、「それはないだろう」ということで平成時代に、焼失前の大垣城に近づける改修が行われた。一方で木造再建の声も大きいようだ。

小ぶりな天守の意味は、平地の城なので籠城することは考えられてなく、したがって武器庫の大きさも大きくなかったからだろうか。奇抜なデザインではなくシンプルな感じである。西軍は、大垣城だけではなく石田三成の本拠である佐和山城でも激しく戦い、そして壊滅した。この城にも佐和山城にも「お宝」は発掘されていない。大垣-関ヶ原-近江佐和山のラインのどこかに埋められているのかもしれない。

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特筆すべきは、城内の武器の展示。いずれも持ち出せないように紐がついているが。まず、弓。思いのほか思い。弦を引くのに相当の力が必要だ。弓の名人として名高いのが那須与一。源平合戦の中の屋島の戦いで活躍。彼が平家の舟に立てられた扇を射抜いたとされる場所に行ったことがある。彼が乗った石も現存している。

そして源為朝。そして東海一の弓使い徳川家康。実際に弓を引いてみると家康の見方も変わってくる。腕力に自信があり、かつ長身だったということになる。狸オヤジのイメージとは矛盾する。

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そして鉄砲。これも本物らしく、重い。武士は大変だ。

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さらに槍。これは大変だ。凶器になり得る。展示品の先には刃は付けられていないが鉄の板がついているだけだが、もともと何人もが一緒に突いて使うのだから恐怖の武器だろう。弓と鉄砲と槍。どれがもっとも惨忍かというと、槍なのだろうか。