茅ケ崎城再訪

2018-02-06 00:00:59 | The 城
茅ケ崎城は自宅から歩いていける二つの城のうちの一つだ。もう一つは荏田城といって、個人所有の土地を完全封鎖しているため詳細不明。茅ケ崎城も前回行った時には整備中ということで中に入れなかった。ということで出直して再チャレンジ。

その前に、茅ケ崎という地名だが、多くの人が知っている有名な茅ケ崎は東海道線の茅ヶ崎駅のあたりで、有名人の別荘が多く並んでいる高級住宅地だが、茅ケ崎城のある茅ケ崎は、横浜市の北部である。奇妙なのは、東京の五反田から荏原を通って神奈川県に入る道路の中原街道というのがある。川崎の中原区を抜け、横浜市に入ってまもなくで、この茅ケ崎城になる。荏田宿という宿もあり大山街道と中原街道が合流し分岐する場所だ。この中原街道は終点が茅ケ崎市になっている。つまり、同じ道路に2ヶ所同じ地名があるというのは、なかなか理解しにくい。

そして、戦国時代というのは一般に北条早雲以降、武田、上杉、北条、今川といったところが争うように歴史小説は教えるのだが、関東では、上杉家の内輪もめが大きなポイントになる。その他、茨城の結城氏や千葉の里見氏が陰謀をこらして勢力を伸ばしていた。

で、14世紀後半のスーパーヒーローが太田道灌。山吹の和歌をよんだことで文武両道と評価は高いが、実際には近く訪れるつもりの小机城では、敵に勝ったあと、捕虜1000人以上を皆殺しにしている。

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その太田道灌にも縁のあるのが茅ケ崎城。14~15世紀の城だが、当時の戦い方は広い関東平野を遊軍的に部隊が移動して戦っていた。ということで、立てこもって籠城するような守備力はなかったのだろう。城の乗った丘陵は高さが40mである。その位置から丘の下を眺めても、今も昔も一流感のない家が並んでいる。

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城郭整備後は空堀が通路になっていて高台が三か所に分かれている。兵士たちは城の周りに住んでいたそうで、住居があったという証拠はない。

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発掘された礎石が意味するのは、倉庫群が立っていたということで、それ以上のことは判明していないようだ。


そして、大問題が城内の井戸。茅ケ崎城は城郭の外側に居住地区があるのだが、それでも
城内に井戸がないと、いざ戦いという時にどうにもならない。どこかにあるはずと探してみると、やはり井戸の跡は見つかったのだが、通常の古城では「古井戸」というのは、重要史跡として貴重に扱われているのだが、茅ケ崎城ではそうではないわけだ。「トイレ」のすぐ横なのだ。