今いる世界の外での失態が非難される

2016-02-09 00:00:24 | 市民A
kondou週末に千葉県の津田沼(つだぬま)で行われたパーティに行った。パーティの目的は、19歳の青年が、細き道を通って将棋のプロ棋士(四段)になったことの祝賀会。将棋専門ブログは毎週土曜日に書いているので、きょうはまったく違う観点から。

祝辞のこと。

実は数ヶ月後に、私が株主から社長を任命されている会社で、社内結婚する男女社員がいて、そこに出席して祝辞を述べなければならないのだが、社長なのでかなり順番の若い方で登場するのだろうと推測している(各種の「先生」と呼ばれる本物の先生ではない人たちがいると、そちらの方が先だろうが)。

となると、「本日は誠におめでとうございます。末永くお幸せに。おしまい。」というような長さではいけないだろうし、「五つの袋」とか下品なのもいけないし、「瀬戸の花嫁」を歌って終わりというようなのも無筋だろう(「瀬戸の花嫁」自体が、過疎の島からまた一人若い女性がお嫁に行ってしまった、という現代の過疎化の実態を表現した悲しい曲らしい)。

ということで、この新四段のパーティに招待されている、大物棋士達のスピーチを改造して使い回そうということなのだ。祝辞を聞きながら手帳にメモをとるという珍しい人間になってしまった。

もちろん、超有名棋士の場合、あっちでもこっちでもパーティだらけなので、おもしろいことはあまりなく「早くタイトル取れるほど強くなってください」と月並みだ。自分で取ればいいだろうに、と思ってしまう。

その中で感心したスピーチがあったのが、「自分の世界」論。あるベテラン棋士のスピーチ。

今年、さまざまな事件が報じられているのは、だいたい自分の世界を大切にしないで外の世界に出て行って不始末や失敗をしていることが原因、と断定されていた。

具体的事案は上げられなかったものの、ベッキーの掠奪愛、清原容疑者の覚せい剤とかまさに本業以外での失敗だ。金正恩の水爆やミサイルは、国際社会という世界の枠組みに入らずに独りよがりの論理を振り回しているわけだ。

ということで、社員の結婚式では、「今の世界」論を話そうかと思うのだが、「ベッキー」とか「キヨハラ」とか「キム・・・」なんていう単語を口に出すのはまずいような気もするので考慮中。

「社内で結婚した場合、扶養家族手当は、1円もありません」というネタもいいかな、と思うが、両家のご親族にジョーク(真実なのだが)が通じず、「なんとケチな会社だ!」と思われるのも嫌だし・・

pt


ところで、19歳の青年だが、祝辞に対しての謝辞を述べているうちに急に泣き出してしまった。会社でいえば新人社員に当たるわけだが嬉し泣きだろうか。涙は引退する日までとっておくべきなんじゃないだろうか。