美食のルーツ

2014-12-21 00:00:08 | 歴史
2014年11月2日に「大おにぎり展」の中でも触れたのだが、弥生時代になって米を農耕するようになっても、おにぎりを竹のかご(弁当箱)に入れて、半日かけて遠くまで行って、わが国の先祖たちは何をしていたのだろう。縄文時代なら貝や魚や獣の肉とか栗などの野生生物を食べていたのだからわかるものの、その時には、まだ米作りをしていなかったのだから、「いったい、おにぎり持って、何してたの」ということになる。


どうも、岡山県の赤磐市にある「山陽郷土資料館」に、ヒントがあるという情報があったので、わかりにくい場所だが辿りつく。

そのあたりは、古墳時代の遺跡として有名で、中規模の古墳が数多く存在することは知っていたのだが。といっても、なぜ、古墳がたくさんあるのかということは、よくわからないが、何らかの政治的権力がある場所だったことには違いない。

ただ、今知りたいのは、古墳時代の前の弥生時代とさらにその前の縄文時代の継ぎ目のあたりのことだ。

それで、この資料館を見学すると、ここの近くには、縄文時代の遺跡もあるし、弥生時代の遺跡もあるし、古墳時代の遺跡もあるようだ。

そして、それらの土器が、まさに調理に使われていた痕跡がはっきりわかるようになっていて、当時の食べ物の残りとか、土器についた火炎の痕跡で調理法なども推測できるようだ。

jomon


で、縄文時代にはドングリを食べていたようだ。熊みたいだ。そして、縦長の鍋で、なんでもぐつぐつ煮ていたのだろう。また、鹿や猪は今でも多すぎて困っているようなので、かなり豊富に食べていたのではないだろうか。

yayoi


そして、弥生時代の土器だが、かなり手が込んでいるようだ。蒸し料理が可能なものが発掘されている。

つまり、弥生時代には、米と肉と魚介類、野菜というようにかなりバラエティのある食材を使っていたと推測されるそうだ。つまり、美食のために貴重な白米で作られた「おにぎり」を持って食材集めをしていたのだろう。

kohun


そして、古墳時代だが、どうみても先住民族と違う人たちが古墳を作ったとしか思えない。

つまり、3種類の違うルーツの人たちが、やってきて覇権争いをして、では最後に勝ち残ったのは誰なのかということはよくわからない。というか、はっきり調べてはいけないわけだ。キリストの父親さがしみたいなことになるのだろう。

ところで、赤磐市ではかなりの時代を通して、人口の集積があったようなのだが、皮肉なことに、発見のきっかけとなったのは、近くにある山陽団地の建設だったそうだ。団地を作ろうと、山林に土地造成を始めたところ、そこはずっと前の時代に、たくさん人が住んでいた団地だった、ということがわかったようだ。

そして、現在、再び過疎化が始まっているようで、この分だと、あと2000年ほどして宅地がただの丘陵になり山林と化した頃、ふたたび住宅地としての発掘作業がはじまり、白い陶器の破片にわずかに残る放射線量から、平成後期のトイレで使われていたものに違いないと断定されたりするのだろうか。