軽いつづら(丸谷才一著)「六七三五」

2011-03-24 00:00:17 | 書評
tuzura丸谷才一著のエッセイ集。彼の小説は、とても素敵である。「笹まくら」「たった一人の反乱」「女ざかり」「裏声で歌へ君が代」。ある意味、村上春樹よりも読みたい作家だが、残念なことに作品が少ない。なんとなく、没後に全集を作りにくいような気がする。

エッセイなんか書かない方が大作家風になるのだが、つい読んでしまう。書名の軽いつづらだが、最近の人はつづらという意味を知らないというようなイヤミも書かれている。ただ、辞書を見ると、「つづら」は「葛」という植物を指し、くねくねと曲がりくねった蔓状の形態から、「つづら折りの道路」というように使われる。一方、その蔓を使って編んだ小さな籠のことも意味するようだ。どちらの意味で使っているのか、よくわからない。

で、取り上げたかったのが、冒頭の一話。「六七三五」。

少し前には1週間のトップニュースだった京都大学の入学試験に関することが書かれている。

京都大学数学科の事務所の電話番号のことだそうだ。

局番の後に続くのが、「6735」ということだったそうだ。これを口に出して、「ろくななさんごお」と読むのが普通の人なのだが、元数学教授だった森毅氏の話だと、「ろくしちさんじゅうご」と呼ばれているそうだ。

そのため、実際九九で、6×7=35と計算する人が沢山いるそうだ。森氏の話だと、「だから京大の数学の入試は寛容だ。九九の間違ひくらゐちつとも咎めない」ということだったそうだ。

ずいぶん、変わったものだ。


ところで、京大のカンニング事件だが、ずいぶん遠い過去になったような気がする。事件の通称もあったようだが思い出さない。「京大知恵蔵事件とかだったかな」

忘れ去られた第二の事件が「大相撲八百長事件」。震災の後の日本人の行動を見ていると、なんとなくわかってきた。「助け合い」なのだろう。「大きな社会」ということだ。だいたい、相撲のルールにもあいまいな点は多々ある。立合いの仕切りだって、手をついたかどうか、かなり疑問な点もある。きちんと平等にやるなら、陸上のスタートラインのように手をついてからピストルの音で立ち上がればいいのだが、そうは行かないのだろう。


小向美奈子氏釈放。証拠不足のため、嫌疑不十分となり、無罪放免となる。時節柄、少しは明るい話題かな(大いに微妙?)。しかし、何だったの?