深夜の脱出

2011-03-12 10:58:38 | 市民A
地震発生の時、港区のオフィスにいた。幸い、築3年なので安心できるのかどうか。姉歯設計士作ではないはずだ。猛烈に縦横に揺れる。窓から見ていると近くに建ち並ぶペンシルビルが勝手な周期で揺れていてぶつかり合っている。

それで、事務所内はメチャメチャで、応急処理をしてから、全国各地の関係先や親戚に連絡。といっても、ほとんど繋がらない。たまに、メールや、携帯にかかってくると、情報を紙に書いて、社内の臨時掲示板に貼っておく。東北方面は結構大変だ。臨時処置とか、安否確認とか。夕方に一段落する。

そういえば、少し前にいわき市で水族館に行ったことを思い出したが、海面から数メートルの高さだったはず。もっとも、魚は溺れないだろうが。

で、次に自分の都心からの帰宅。とりあえず、電車は動かない。都内に残るか、徒歩で横浜方面に脱出するか。慎重に情勢を見極める。脱出路は、以前、下調べをしていて、直線コースに近いのが246号線(青山通り)。渋谷を通り二子橋で多摩川を渡ることになる。安全性なら中原街道。五反田から丸子橋で多摩川を渡る。ただし、遠い。

まず、東京湾内の津波状況から、多摩川に逆流しそうもないことを確認。テレビでは官房長官が帰宅しないように勧めている。食料とか大丈夫なのだろうか。バスが動いているということで、渋谷駅に人が集まっているようだ。

で、中原街道ルートを選択し、距離を計ると約30キロである。時速5キロで歩くと6時間。途中、休憩などを考えれば7時間。

もし、電車が動き始めたことを考えると、山手線外に出た後は駅の近くを歩きたい。

ということで、必要最低限の荷物をコートのポケットに押し込んで、歩き始める。午後7時。

まず、自販機で飲料水を確保。(実際には、自販機はどこでも売り切れにはなっていなかった)

それで、食事をしなければならないのだが、歩くのだからヘビーは困るし、ソバ・うどん程度がいいのだが、軽食屋には長い列。コンビニもすぐに食べられるものは売り切れ。何となく都内飢餓状態になるのでは、と思い始める(実際、臨時非難所ではクラッカーしか配られなかったという話もある)。もう少し歩いてからと思い、空腹のまま日比谷通りを芝公園方向に歩く。

NECの本社(昔、焼き打ちされた薩摩屋敷跡)を右に曲がり、今夜も酔客でにぎわう馴染みの寿司屋の前を通り、慶応大学の敷地に沿って右折。そのまま五反田まで行く。予定では2時間だったが、2時間半。あまり早く歩いてスタミナ切れやケガをするとまずいのでペースを維持する。アップダウンも結構ある。実際に一回歩いて調べた道だ。

しかし、そろそろ食事をしなければと思うも、牛丼屋は列が長いので、あきらめて、大きなラーメン店に入る。運悪く、昼もラーメンだった。こういう状態で食べるものは何でも美味いはずなのだが、残念ながら、そうではなかった。

で30分使って再び歩く。しばらくして、ラーメン店付近で毛糸の手袋の片側を失くしたことに気付くが戻るわけにはいかない。

中原街道は、環七と環八を横切ってついに10時半前に、多摩川にかかる丸子橋に到達。下り車線は全く動かないが、さすがに歩道には余裕がでてきた。



ところが、ここで新展開。警察官が、「東横線」が動き始めたという情報をスピーカーで流している。実際、多摩川にかかる鉄橋を無人の電車が走っていく。

で、橋の先にある東横線の駅に辿りつくのだが、東横線沿線に向かっているのではないので、東横線だけが動いているのか、東急線全線が動いているのかわからず、実際、逆方向の電車に乗って、また逆走したり、時間調整で10分待たされたり、右往左往の結果、なぜか当初到着予定より1時間早く、午前1時ちょうどとなった。

途中で、電車に乗ったため、40,000歩の予定が、携帯電話付属の万歩計では25,000歩だった。