萩原朔太郎の原稿発見

2011-03-21 00:00:09 | 美術館・博物館・工芸品
大正の自由の風を代表する詩人、萩原朔太郎の自筆原稿が見つかった。



読売より。

前橋市出身の詩人・萩原朔太郎(1886~1942年)の自筆原稿1枚が見つかった。1917年刊行の第1詩集「月に吠える」の冒頭に収められている「地面の底の病気の顔」の前半部分で、米国人学者が所有していたものが、同市に寄付された。前橋文学館(前橋市千代田町)によると「資料的価値は極めて高い」という。19日から展示公開する。

同館によると、自筆原稿は約50年前、日本文学の研究で慶応大学の留学生として日本に滞在、「月に吠える」の英訳も手がけた、米国・オハイオ州在住のアンティオーク大学名誉教授ハロルド・ライトさんが所有していた。ハロルドさんは当時、前橋市を訪れたこともあったが、どのように入手したかは同館もまだ確認していない。


>どのように入手したかは・・・

まるで社会部の記者みたいな書き方である。

それよりも、注目したい点がいくつかある。

まず、用紙である。原稿用紙ではない。ただの紙に万年筆で書かれている。こういうのが朔太郎の流儀なのだろう。マス目に文字をはめこむような詩とは縁を切ったということだろう。



次の問題点だが、私の持っている岩波文庫版の詩集と問題の個所を比較してみる。詩集「月に吠える」の冒頭の詩「地面の底の病気の顔」である。

1.原稿では第二センテンスの文末に読点「。」があるだけだが、岩波版では各行の末尾に句点「、」がすべて打たれている。

2.2行目の「さみしい」と「さびしい」に悩んだ形跡が見える。原稿では「さびしい」を選んだように見えるが、岩波版は「さみしい」となっている。

3.「萌え」に、原稿では「もえ」とルビが振られている。

よくわからないので、調べると、朔太郎のデビュー作「月に吠えるは」、大正6年2月、500部が自費出版で発行されている。この詩集で一躍有名になった朔太郎だが、初版の古本価格が暴騰し、当初の5倍になったと言われる。このため、5年後の大正11年、再版を起こしている。この復刻版を元にして、現在のテキストがあるのだが、初版と復刻版がまったく同一のものなのか、詩人の手が入っているのか、確認できなかった。翌大正12年、「青猫」を発表した。

いずれにしても、この原稿を書き終えた後、いずれかのタイミングで、さらに自身の手になる修正があったことになる。


そして、調べているうちに、この復刻版の序文に朔太郎が「月に吠える」に託した精神的なつぶやきが書かれていた。

過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。

月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。


犬は、月光の中の自分の影におびえる、というのは、近代日本が三つの戦争を経て、急激に走り始めた時期の文化人の多くが感じていた得体の知れない不安感を表現したのだろうか。実際は、得体の知れない不安は、得体が知れるようになり、真珠湾攻撃に至る。それから5ヶ月後、急性肺炎で56年の人生が終わる。