向井さんちのこどもたち

2006-10-11 00:00:42 | 市民A
向井亜紀さんのこどもなのか高田亜紀さんのこどもなのか、というところからしてよくわからないが(判決を読めばわかるのだろうがとりあえずその部分はどうでもいい)、一審では出生届不受理、二審では逆転して受理、そして品川区が再抗告して最高裁の判断に委ねられることになりそうだ(許可抗告)。一審では「出産した女性=母」という日本の慣例が基準であり、二審ではネバダ州の裁判所での親子認定を覆してまでこどもの福祉に問題を残す理由はないと、少し角度の違う判決になっている。

この件をネット上の日本5大quantity paperで読むと、10月10日段階では、いずれも「白でもない黒でもない」あいまいな記事になっている。核実験に対する社説のような自明の意見ではなく、こういった「本質の難解な問題」に自社の意見がすぐでてこないということにガッカリしてしまう。

私も問題の本質をよく理解できないところもあるのだが、まず、今回は夫婦が有名人だったということにあるようなのだが、これはとんでもない人権問題のわけだ。既にネバダ州で代理母を利用した日本人夫妻は数十件あり、出生届が受理されなかったケースは2例目ということだそうだ。1例目は母親が50代と高齢であるところから受理されなかった、ということらしいが、では受理されるのは、網を潜った場合だけなのか、という大変嫌な話になる。

ある意見は、こどもは金持ちでなければ産めないのか?と、また違った角度の指摘もするのだが、費用は1000万円強ということらしい。早い話が、金額は一見高そうだが、実際にこどもの養育費はもっともっとかかるわけだ。さらに双子だ。金額は、あまり大きな問題にはならないだろう。

そして、この2審(高裁)の考え方は、視点を親の方ではなく子の方へ移しているのが、特徴なのだ。つまり、「代理母とか海外出産とか色々と大人のほうには法的解釈の問題があったとしても、こどもの側の人権を考えれば日本国籍を取得させるべきだ」という主旨である。同様の例は、シングルマザーのこどもの父親の認知問題でもあり、認知というのは、母親の権利ではなく、こどもの権利であるといわれている。

したがって最高裁が高裁判決を支持したとしても、それは代理母をおおっぴらに許可したというわけでもなく、単に子供の権利を確保したということなのだろうとは、思う。行政が「裁判所に判断を委ねる」というのも、一見スマートではあるが、無責任のような感じも強く残る。

0ab35286.jpgところで、夫妻が治療を行ったのはネバダ州といわれるのだが、おそらく「卵子提供・代理母出産情報センター The Nevada Center for Reproductive Medicine,Japan Office」が仲介したのではないだろうか、と思う。

ホームページを読んでみると、代理母だけではなく、卵子提供(つまり他人の卵子を使用して自分で出産する)、精子提供(他人の精子を使う)ということもやっている。また、体外受精も行っている(念のためだが、代理妻はやっていない)。日本人向けに35人の代理母がいることも読み取れる。

そして、このネバダ不妊治療センターの医師(ドクター・フォーク)のプロフィールを読んでいると、ユタ州のブリハムヤング大卒業後、宣教師として韓国で布教活動していたとか、1990年代の多くは、動物保護活動をしていたということが書かれている。大学でも動物学を学んでいる。種付感覚なのだろうか。実際、人間だってそんなものなのかもしれない。