飲酒運転(下)

2006-10-04 00:00:37 | 市民A
海の中道大橋の事故で、警察は加害者の福岡市職員に対して、刑法第208条の2「危険運転致死傷罪」を適用した。はしご酒をして時速85キロを出し、追突してワゴン車を海中に転落させ、3児が亡くなるという痛ましい事故なのだから、「適用が当然で、そうでなければいつ適用するのか」と思われるかもしれないが、そういうわけではなく、酩酊状態でなければ適用は難しかった。逆に酩酊していると高速運転はできないのだから、そのあたりがこの法律の問題だったわけだ。しかし、法律がおかしいからといって、世論に押され、拡大解釈して、疑わしきには適用というのもいただけない。

危険運転致死傷罪には罰金刑というものがなく、適用されると刑務所行きになる。そして刑期は非常に長い。殺人罪に準じた重さの罪なのである。それは、クルマというのが使い方によっては凶器になり、危険な運転は他者の生命を脅かす、という側面があるからだ。しかし一方、殺人の場合は「人を殺そう」という意思があるのだが、危険運転の場合は、「危険な運転をして、誰かにぶつけてみよう」と考えるわけではなく、「これくらいは安全の内だ」と思っているうちに事故になる場合なのである。つまり、全体としては危ないという自覚がありながら、事故を起こそうと思っているわけでもない、という状況で適用になるのだ。

それでは、この曖昧感のある法律について、少し検討してみようと思う。

1.危険運転致死傷罪そのもの

この法律は神奈川県での酒酔い且つ無免許運転で子供を失った遺族が署名活動を行ったことから国会が動き、法令の制定作業が始まり、平成13年に衆参両院を通過し、平成13年12月5日に交付、同月25日に施行となっている。


刑法第208条の2 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。

2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。


そして、衆議院でも参議院でもこの法案には法務委員会で付帯決議が行われているが、いずれの院でも付帯決議の第一番目は「拡大解釈しないように」という内容である。


衆議院 一 本法の運用に当たっては、危険運転致死傷罪の対象が不当に拡大され、濫用されることのないよう、その構成要件の内容等も含め、関係機関に対する周知徹底に努めること。

参議院 一 危険運転致死傷罪の創設が、悪質・危険な運転を行った者に対する罰則強化であることにかんがみ、その運用に当たっては、濫用されることのないよう留意するとともに、同罪に該当しない交通事犯一般についても事案の悪質性、危険性等の情状に応じた適切な処断が行われるよう努めること。

つまり、この法案は審議段階から、適用について「慎重論」が多い法案だったわけだ。さらに、法制審議会での論議もかなり変遷している。要するに刑法で罰金刑がなく、懲役刑だけで最高刑期30年となると、殺人罪に近いかなりの重罪だ。しかし、殺人の場合、「他人を殺そうと言う殺意」があるのだが、危険運転の場合は、「他人に直接ぶつけて傷つけようとしているのではない」わけだ。さらに、危険運転にもいくつかの類型的なパターンがある。もう少し考えてみる。


2.適用される類例

法律に規定されている類例は、主に四点である。

A.酒酔い状態の運転
B.高速あるいは未熟運転による制御不能
C.幅寄せ
D.赤信号無視

実際には、この他、居眠り運転も重大事故につながるのだが、議論のかなり初期に対象からはずれているようだ。居眠りを罰するのはかなりやっかいなことになるのだろう。居眠りすることは本人が予測できることではなく、運用上の困難さが予想されるのだろうか。

そして、条文を何気なく読むと気付かないのだが、この4つの類例が第1項と第2項に二つずつ分類されている。議論の末、二項にまとめられたようである。第1項の「酒」と「高速、未熟」というのは、クルマの運転行為そのものが危険な状態を指し、第2項の「幅寄せ」「赤信号無視」というのは、運転状態が危険とは言えないが、その行為を行うことで危険が発生する、という種類の分類なのである。

しかし、問題はこの第1項の「飲酒運転」と「高速運転」なのである。果たして、同じ範疇で論じられるのか、ということである。

どうも、かなり早い段階で第1項としてグループ化されてしまい、その後、「高速」の部分への適用に議論が集中している。


3.「運転し・・」と「走らせ・・」の差

この第1項と第2項を注意深く読むと、第1項では「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ」、「その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ」となっている。一方、第2項では、「人又は車の通行を妨害する目的で・・・・四輪以上の自動車を運転し」、「赤色信号又は・・・・で四輪以上の自動車を運転し」というようになっている。

第1項は「走行させ」で第2項は「運転し」と使い分けている。当初、この第1項も「運転し」と書かれていて、法制審議会の審議の中で「走行させ」と修正されているようだ。では、その意味は、・・

「運転し」、の場合はクルマの運転自体は普通に行っている状態で、「走行させ」というのは、的確に走行させることが困難な状態であり、そのような状態を認識していることが必要、ということになっている。

ところが、危険な運転を認識といっても、運転者自体は「だいじょうぶだろう」と思っているから運転(走行)しているわけだから、本来、めったなことでは適用されないわけだ。「クルマを走行させていたのではなく、運転していた」ということになれば適用されない。

実際は、加害者が酒酔い運転(酒気帯びでかつ酩酊状態)の場合には適用しているのだが、やや条文からいえば、濫用に近い可能性がある。

それでは、なぜ、「危険な運転を認識していたかどうか」というような主観的な基準になったのか、・・


4.高速度運転への適用の躊躇

法制審議会での議論も衆参の委員会での議論でも、多くの時間が、この第1項の高速度運転について費やされている。つまり、現状を考えれば、制限速度を多少超えて運転することは、避けがたい状態であるわけで、制限速度というのは、広い道でも30キロとか書いてしまえばそれが制限速度になってしまうのだが、別に科学的にそこまでだったら安全であるとか危険であるとかということではない。速度の規定のないところは60キロまでは違反ではないが、あぶない場所も多い。また周囲の視界が開けているところで制限速度40キロより30キロ早く走っても事故は起きないと考えられる。委員会での審議では40キロ制限のところを60キロで走っているときに横からこどもが飛び出して死亡した場合などは、危険運転致死傷は適用しない、と答弁されている。

要するに、ごく日常的に発生する速度違反と、ある確率で発生する交通事故を結んで、加害者を刑務所に長期間放り込むのは、「濫用」にあたる。という趣旨である。


5.法令の改正が先で、適用範囲の拡大は問題

考えれば、この第1項は、飲酒と高速度という二つの異なるものを同一条文にまとめようとしたところに無理がある。酒を飲むと絶対的に危険、というのは真理だが、高速で走ると危険というのは、かならずしも正しくないし、基準があいまいなのである。それこそ本人は危険を感じずに運転しているわけだ。項を別に分けるべきなのだろう。

以前、とりあげたのだが、2005年10月に横浜のサレジオ学院通学生徒の列に暴走車が突っ込んだ事件があった。高速でカーブを曲がりきれずに正門に突っ込み3名が亡くなった事件。2006年7月13日、一審では危険運転致死傷罪で懲役16年が言い渡され、被告は控訴した。読売によれば、

○○裁判長は、判決理由で「生命に対する配慮を欠き、極めて無謀で悪質」と述べた。争点だった速度については、「100キロから120キロとする検察側の鑑定に信用性があり、(レーシングカーのように高速でカーブを曲がる)『アウト・イン・アウト』と呼ばれる危険な走行をしていた」と認定。○○被告の弁解には「合理的な説明のないまま変遷を繰り返している」とした。

実は、現場を見ると、100キロというのが可能なのか、と思えるし、「アウト・イン・アウト」というのは、曲がりが大きい道では当然の走行方法で、私でもカーブはそうやって走る。運転の本を読めば、ごく普通に紹介されている。現場で何が起きたのかはよくわからないが、裁判長が判断の基準にしたのは問題があるのではないだろうか。それほど、コースを選べるほど太い道ではない。また、事故はカーブの頂点で起きたために、アウト・インの前に、インに入れずに突っ込んだわけだから、その後またインからアウトにコースを変えようとしたかどうかは、想像としか言えない。この事故ではカーブ侵入前の制限速度を30キロに設定しなければ、どこにでもある普通の40キロ道路と思ってしまい、いずれ事故が起きるのは予想できるところだ。


危険運転致死傷罪における酒気帯運転の適用が甘くなった経緯については、以上のように、

A.酒酔運転が高速運転と同様の項にまとめられた。
B.高速運転が主観的危険性の認識という必要条件になったため、飲酒運転も同様の扱いになった。
C.「濫用しないように」という、国会の議決にかかわらず、事故増大で拡大解釈が行われることになる。
という展開になっている。酒酔運転に甘くなった理由が誰かの故意なのか故意ではないのかはよくわからない。

いずれにしても、このまま適用範囲を広げるのではなく、まず、法令を改正し、飲酒運転と高速運転を別項に立て、それぞれ恣意性を排除したわかりやすい基準を規定すべきなのだろう。

飲酒運転天国から警察国家へ直結するのは、いかにも短絡すぎると思う。