日本最初の新書

2006-10-17 00:00:09 | 書評
14bc4d4c.jpg日本に最初に新書が登場したのは、岩波新書とされる。2006年5月に配本された「岩波新書の歴史」は、その最初の事情について、詳しく書かれた岩波新書であるが。果たして、自らの歴史のことを悪く書くこと(自虐)はないと思うので、若干は割り引いて読まなければならないだろう。ただし、著者の鹿野政直氏は特段、岩波書店とつきあいが深いわけでもなさそうなので、事実についてはそれなりに客観性があると考えて読んでみる。

1.創刊の時期そして創刊号は
 1938年(昭和13年)11月20日一挙20冊が同時発行される(旧赤版)。20冊同時である。当時は、出版社の数も少なく、岩波が配本すれば、ある程度売れることはわかっていたわけだ。11年前の1927年には「岩波文庫」を立ち上げていて、その延長線上ということで、販売力にはある程度の自信があったものと考えられる。日中戦争がはじまった時期であり、問題は、新書の内容と傾向である。既に言論統制が始まっていた。岩波新書は、この1938年から、順にナンバーをふっているのである。では、その20冊にふられた順番は・・

 1.奉天三十年(上) クリスティー
 2.奉天三十年(下) クリスティー
 3.支那思想と日本 津田左右吉
 4.天災と国防 寺田寅彦
 5.万葉秀歌(上) 斉藤茂吉
 6.万葉秀歌(下) 斉藤茂吉
 7.家計の数学 小倉金之助
 8.雪 中谷宇吉郎
 9.世界諸民族経済夜戦 白柳秀湖
 11.人生論 武者小路実篤
 12.ドイツ戦歿学生の手紙 ヴィットコップ編
 14.神秘な宇宙 ジーンズ
 15.科学史と新ヒューマニズム サートン
 16.ベートーベン 長谷川千秋
 17.森鴎外 妻への手紙 小堀杏奴編
 18.荊棘の冠 里見弴
 19.瘤 山本有三
 20.春泥・花冷え 久保田万太郎
 21.薔薇 横光利一
 22.抒情歌 川端康成

 まず、10番と13番が抜けているが、原稿が間に合わなかったものと思われる。いつの世にも編集者泣かせのご仁がいる。この後、12月に3冊刊行され、翌1938年3月から2年間は、毎月数冊ずつ出版されるのである。しかし1940年以降は、もはや言論の自由は存在せず、さらに紙そのものが存在しなくなってしまい、1943年1冊、1944年2冊、1945年0冊、1946年3冊、1947年、48年0冊といった状態で、合計101冊をもって赤版は終了する。

 この第一回配本のトップの「奉天三十年」というのは、どういう書物かというと、スコットランド人の宣教師が奉天でみた時局を本国にリポートしているものを翻訳したものである。やや、日本のやり方を批判的に書いているそうだ。つまり、日本人が正々堂々と反戦を書くわけにいかないので、「外国人がやや批判的に書いた、実録物」をトップに置き、当局に僅かな抵抗をしたということらしい。そして、万葉集というのは、古き時代の大和心を歌ったもので、無難な内容になっている。そして、右に偏ったものが何冊か、科学的な内容がいくつか、そして、客寄せで有名作家を多数起用している。結構、ラインアップに苦心しているような気配を感じる。当初は文芸作品も多く含まれていたわけだ。もともと、英国のペンギンブック(文藝)とペリカンブック(評論)の関係を岩波文庫と岩波新書にもたそうとしたところから、新書の大きさがペリカンブックスサイズになったということだそうだ。

2.岩波新書刊行の辞
 新書が創刊する1ヶ月前、岩波書店社主である岩波茂雄は雑誌「図書」の中で、「岩波新書を刊行するに際して」という文章を発表している。原文は非常に長いので、これが行間まで読めれば、東京帝国大学に合格するだろう。ぐっと簡単に書くと、”新書の目的”は、日本文化の高揚にあるとし、その文化は五箇条のご誓文をもとに考えなければならないが、現在は、言論統制などがはじまって、少し、違う方向に向かっているのではないだろうか、というような内容をきわめてわかりにくく文脈に埋め込んでいる。そして、最後に、この辞を上梓する日付として、「昭和13年10月靖国神社大祭の日」と物騒なことが書いてある。靖国の秋の新嘗祭の日だ。


岩波新書を刊行するに際して

 天地の義を輔相して人類に平和を与え王道楽土を建設することは東洋精神の神髄にして,東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられた世界的義務である。日支事変の目標も亦茲にあらねばならぬ。
 世界は白人の跳梁に委すべく神によって造られたるものにあらざると共に,日本の行動も亦飽くまで公明正大,東洋道義の精神に則らざるべからず。東海の君子国は白人に道義の尊きを誨ふべきで,断じて彼等が世界を蹂躙せし暴虐なる跡を学ぶべきではない。
 今や世界混乱,列強競争の中に立って日本国民は果たして此の大任を完うする用意ありや。吾人は社会の実情を審にせざるも現下政党は健在なりや。官僚は独善の傾きなきか,財界は奉公の精神に欠くるところなきか,また頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや。
 思想に生きて社会の先覚たるべき学徒が真理を慕ふこと果して鹿の渓水を慕ふが如きものありや。吾人は非常時に於ける挙国一致国民総動員の現状に少なからぬ不安を抱く者である。
 明治維新5箇条の御誓文は啻に開国の指標たるに止らず,隆盛日本の国是として永遠に輝く理念である。之を尊奉してこそ国体の明徴も八紘一宇の理想も完きを得るのである。然るに現今の情勢は如何。
 批判的精神と良心的行動に乏しく,ややともすれば世に阿り権勢に媚びる風なきか。偏狭なる思想を以て進歩的なる忠誠の士を排し,国策の線に沿はざるとなして言論の統制に民意の暢達を妨ぐる嫌ひなきか。これ実に我国文化の昂揚に微力を尽くさんとする吾人の竊に憂ふる所である。
 吾人は欧米功利の風潮を排して東洋道義の精神を高調する点に於て決して人後に落つる者でないが,驕慢なる態度を以て徒らに欧米の文物を排撃して忠君愛国となす者の如き徒に與することは出来ない。近代文化の欧米に学ぶべきものは寸尺と雖も謙虚なる態度を以て之を学び,皇国の発展に資する心こそ大和魂の本質であり,日本精神の骨髄であると信ずる者である。
 吾人は明治に生れ,明治に育ち来れる者である。今,空前の事変に際会し,世の風潮を顧み,新たに明治時代を追慕し,維新の志士の風格を回想するの情切なるものがある。皇軍が今日威武を四海に輝かすことかくの如くなるを見るにつけても,武力日本と相竝んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。
 これ文化に關與する者の銃後の責務であり,戦線に身命を曝す将兵の志に報ゆる所以でもある。吾人市井の一町人に過ぎずと雖も,文化建設の一兵卒として涓滴の誠を致して君恩の萬一に報いんことを念願とする。
 曩に学術振興のため岩波講座岩波全書を企画したるが,今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。これ一に御誓文の遺訓を體して,島国的根性より我が同胞を解放し,優秀なる我が民族性にあらゆる発展の機会を與へ,躍進日本の要求する新知識を提供し,岩波文庫の古典的知識と相俟って大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。
 古今を貫く原理と東西に通ずる道念によってのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果たされるであろう。岩波新書を刊行するに際し茲に所懐の一端を述ぶ。
  昭和13年10月靖国神社大祭の日

3.その後の岩波新書 
 岩波茂雄は本当は社会主義的な内容で出版したかったのか、そうでもなかったのか、彼の心の中までは知る由もないが、101冊の旧赤版の中には、思想的に中途半端なものも多いのだろう。一方、この創刊号の中にも、思想性を超えた普遍的な真実を追究した新書も多く、それらの多くは、現在まで版を重ねるものもある。玉石混交ということだ。

そして、1949年から1977年までが青版。87年までが黄版。そして現代まで続くのが新赤版である。合計で2500冊余とのこと。

青版末期は雑誌「世界」で評判の論文が供給源になったり、かなりの左傾ぶりだったのだが、現在は、「左派系論文」「雑学系」「世界文明系」といったところだ。実は、こういう路線の場合、ネットに読者を思い切って奪われているのだろうと同情する。というか、いい著者を開発しないとダメなのかもしれない。たぶん、岩波で出版というと著者が身構えてしまうのだろう。以後、左翼系学者と言われ、アルバイトの口がかからなくなる、とか・・

4.新書戦線に強力な新規参入者登場
 2006年秋、また、新たな参入者があらわれた。

 「朝日新聞社」朝日新書。

14bc4d4c.jpg10月13日が記念すべき創刊の日。まず12冊。朝日といえば、一方で「権威主義」、そして「岩波ほどではないが、やや社会主義的な記事」「新聞販売方法は古典的」というところだが、1・2年は多くの問題をおこして急におとなしくなった。226事件で襲撃されたあと、急に右傾化して、国粋主義の片棒を担いだ責任は、すっかり忘れ、平和な時代だけ社会主義になる。

まあ、悪口はいい加減にして、ラインナップを見ると、

 「愛国の作法」(姜尚中)
 「御手洗冨士夫『強いニッポン』」
 「使える読書」(斎藤孝)
 「村上春樹はくせになる」(清水良典)
 「サラリーマンは2度破産する」(藤川太)
 「新書365冊」(宮崎哲弥)
 「ルノワールは無邪気に微笑む」(千住博)
 「日中2000年の不理解」(王敏)
 「妻が得する熟年離婚」(荘司雅彦)
 「情報のさばき方」(外岡秀俊)
 「天皇家の宿題」(岩井克己)
 「新政権の日本(仮)」(星浩)。

自然科学物がない。何か、この中からベストセラーが生まれる予感がしない。何となく、ボケてる感じがする。創刊の辞があるかと言えば、見当たらない。この新聞社は、筑摩の「ゲリラ戦」とはまったく反対の「巨艦、札束主義」だからなのだろう。あえて、宣伝文の中から、「創刊の辞」風の文書を引っ張り出すと、


現代が等身大に見渡せる教養新書シリーズ「朝日新書」を、10月13日(金)に創刊します。政治、経済、国際問題から世相、文化、歴史、スポーツまで、知りたい話題を早く、正確に、わかりやすく分析、解説、評論します。

ということか、新聞の1面から36面までと同様になんでもあり、ということ。

では、創刊号12冊の中に見当たらないスポーツバージョンの最初は、11月の第二弾で登場するらしい。その記念すべきスポーツ編第一号の書名は、

「早実 VS 駒大苫小牧」ということだそうだ。18歳の未成年者達を食い物にしたわけだ。