ギョッとした江戸絵画

2006-10-15 00:00:29 | 美術館・博物館・工芸品
92fe554d.jpg愛読ブログのはろるど・わーどさんおよびvagabondの徒然なるままにinネリヤカナヤさんで取上げられている「ギョッとする江戸の絵画」。毎週月曜日にNHK教育で放送されている。うっかり第一回目を見逃してしまい、再放送(翌週月曜早朝)で観る。25分の番組なので、録画して二回分ずつ観ることにする。キャスターは辻惟雄さん。”のぶお”と読むらしい。生涯何度も名前の読み方を聞かれただろう、と同情。美術史家でMIHO MUSIUM館長。特に江戸の奇想画の専門家。後に登場する人気沸騰の若冲も発掘。「江戸の奇想画」というコトバを視聴率目的で不本意ながら書き換えさせられたのが「ギョッとする江戸の絵画」なのだろうと推察。

第1回(10/2、10/9再)が岩佐又兵衛(1578-1650)。

活躍時期は江戸の初頭である。別名、浮世又兵衛と言われ、浮世絵の元祖ではないかと言われるが、実際には彼の作品が直接的に後年の浮世絵の製作技術的に繋がっていることはない。商業的な絵画を描くという行為を浮世と呼ぶことになった、というなら正しいかもしれない。代表作は何種類かの大作物の絵巻である。絵巻の特徴は、そこに描かれるストーリーや歴史を、いかに芸術的に表現するか、ということである。リアリズムから離れられない中で、画家の表現力が問われるわけだ。

まず、全12巻の「山中常盤」。極彩色で全長160メートル。下敷きとなるストーリーは「牛若丸伝説」。もちろん牛若丸は源義経で、父親の源義朝が平清盛をクーデターで倒そうとして失敗。義朝の子息全員が捕虜になったものの、あまりに幼少の義経や、将来鎌倉幕府を興す頼朝を助命してしまう(そのため、後に平家は皆殺しにされてしまい、その後の日本史上、一門皆殺しパターンとなったのだが・・)。この「山中常盤」は、少し筋が異なり、幼い時に別れ別れになった母の常盤が牛若に会いたくなって、侍女を連れて旅に出るわけだ。そして美濃の国で追剥集団6人に襲われ、身ぐるみ剥がれた上、胸を刺されて絶命してしまう。

92fe554d.jpgしかし、逆コースで母に会うために京都へ向かっていた15歳の牛若は、ちょうど翌日犯行現場に到着し、母の霊から復讐を頼まれる。そして、6人をおびき出し、縦に斬ったり横に斬ったりとマグロの解体ショーのような惨劇を繰り広げるわけだ。輪切りになった胴体の中には内臓が正確に描かれ、あたかも外科手術のような正確さがきわめて異常に見える。また、殺人をする時の表情とか、「いかにも」というリアリティがあり過ぎて、辻さんによれば、「初めて見た時は、昼食の握り飯の中の鮭の切身がのどを通らなかった」と表現する(明太子だったらよかったのだろう)。

実は、このリアリティにはわけがあって、又兵衛の人生と大いに関係がある。彼の父親は、歴史に名を残す人物で荒木村重(1535-1586)。1573年から織田信長に仕え、伊丹の有岡城の城主だったのだが、1578年に毛利と通じて反逆。しかし、失敗して城を包囲される。1年の後、落城寸前で、卑怯にも父村重は単身城を脱出。怒り狂った信長は近親者30人以上を城から引きずり出して、六条河原で皆殺しにする。そして残った510人強は城とともに焼き殺してしまう。この六条河原で斬られる中に21歳の母「たし」も含まれるのだが、又兵衛は奇跡的に乳母の手で京都本願寺に匿われたわけだ。二つに切られた胴体や非道徳的な所業など、この時代の人間はほとんど日常的に目にしていたのだろう。

又兵衛はその後、数奇な運命を辿り、武士を棄て絵師となる。京都から福井に移り、その地で高名を得るのだが、60歳になってから、突然に将軍家光から御用を受ける。娘の婚礼調度の制作である。そして江戸に出れば、そこは大都会で、彼の仕事は次から次へと多忙の極みとなるわけだ。ということで、彼の残した多くの絵巻は、「とても一人の手ではなく、プロダクション化していただろう」とは大方の見方で、作品の真贋論争が常にあいまいに尽きないということらしい。

第2回(10/9、10/16再)は狩野山雪(1590-1651)。

92fe554d.jpg山雪の父は狩野山楽。狩野派の中心を成す大御所である。絢爛豪華な襖絵を多く残している。しかし、狩野派も豊臣-徳川抗争に巻き込まれることになり、豊臣派だった山楽は、切腹は免れたものの徳川家にとりいった探幽のような主流からは疎外になっていく。そして山雪はさらに山楽の養子であり、狩野派の傍系の傍系といった存在になる。多くの作品は、奇想趣味があふれ、人物や動物(特に虎図)は深く悩みを抱えたような眼で宙をにらむ。襖に描かれる松は、不規則に曲がりくねり、世界の不条理さを訴える。

しかし、傍系であっても、時代は平和な江戸時代に突入していて、実際には山雪のようなアバンギャルドの絵画にはそれなりの需要があり、主流派よりもかえって人気を得ていたようである。辻氏は山雪の画風をマニエリスムと分類している。伝統技法のもじりと言う意味だが、山雪自体にはそういう意識は少なかったのではないだろうか。理由はよくわからないが、山雪は晩年、投獄され獄死するという不運を迎えるのだが、原因が画風にあるのかどうかは不明だ。


さて、又兵衛と山雪の関係だが、両者の画風には相似点が多く、お互いの作品を意識していただろうと思われる。この二人の年譜を見れば、僅かな期間で内戦の大混乱の中から、統一国家を復活させ、芸術の商業化まで突き進んだことがわかる。実は、2回目までを見ただけなのだが、江戸後期の浮世絵という不特定多数向けのアートを生み出すのは、伝統絵画からなのか、あるいはこれらの奇想画から繋がっていくのか、徐々にこの8回シリーズ(最後が国芳)への興味が高まっていくのである。

本放送:月曜日 夜10:25~10:50
再放送:翌月曜 朝05:05~05:30