言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

中島義道は面白い

2011年11月14日 22時50分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

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 カントの研究者である、中島義道氏は。カントなど私は、あまり関心がなかつた。北村透谷研究に論文を書く時に、『永遠平和のために』を読んだが(もちろん日本語でだが、熟読した)、あまり印象に残らなかつた。日本に言及してゐることに驚いたぐらゐである。『実践理性批判』は読んでみたいと思ひながらも手付かずである。

 それでも昔から中島義道氏の文章が好きで、文庫を見つけると読んでみた。半年ほど前にも『観念的生活』を紹介したと思ふが、今回は『人生に生きる価値はない』とこれは新刊ではないが『怒る技術』の二冊を読んだ。やはり期待に違はぬ面白さだつた。

 確かに何かに怒つてゐる。しかし、その怒りは感情の垂れ流しといふのではない。自分の感情に自由に対処してゐるといふ風情で、清清しい。これは痛快と言つても良い。実際の氏を知らないから、実際のところは分からないが、怒ることを演戯してゐるといふ印象は結構魅力的である。それから、「時間」についての理解が著作ごとに深まつてゐるやうで、こちらの知性を刺激してくれる。レヴィナスを読み始めてゐるやうで、その辺りの影響もあるやうにも感じられる。哲学といふ学問はどういふものであるのか、とても整理される。

 自称哲学者の池田晶子女史への評価は、下世話な関心としても興味深い。哲学と哲学風との違ひ、中島先生の捉へ方に私は賛同する。池田女史の文章は、ただ読みにくいだけだつた。

 中島先生は、いま「明るいニヒリズム」といふことに関心があるといふ。平たく言へば、「人生に生きる価値などないのだから、気楽に生きようぜ」といふものらしい。私はさうは思はないが、十分に魅力的な話であると思ふ。気楽に生きるとは勝手に生きるといふことではない、当然そこには倫理的なものも求めるはずである。しかし、あまり鹿爪らしい顔をして生きるのは辛いことでもある。だから、明るく、といふのだらう。

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