言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

休みの最後は「太陽の塔」

2023年05月06日 09時26分33秒 | 評論・評伝
 2025年に大阪で再び万博が開かれる。先日会つた友人に「どう、大阪は盛り上がつてる?」と訊いたが、あまり色よい返事は返つてこなかつた。夢洲といふところは大阪人の意識に上る場所ではないし、北や南の生活圏とは離れてゐる。もちろん、1970年当時の千里がどの程度人々の意識に上つてゐたのかは分からないが、それでも新しい住宅地として開かれ、希望と夢ある場所として注目されてゐた場所であつた。それに比べると海上の埋立地の夢洲は、文字通り陸地に住む住民からは彼方の場所にある。
 それでも開催されれば、市内の小中高校生は社会科見学の場所として連れて行かれ、それなりに盛り上がるのではないか、といふのがその友人の見立てである。

 それはさておき、連休最後はやはり太陽の塔のある万博公園に行かなくてはといふ思ひがあつて行つて来た。子供の日とあつて、たいへんな人出であつた。先日の大阪城公園は外国人が多かつたが、こちらはほぼ日本人。小さい子の泣き叫ぶ声が聞こえる、日常の賑はひである。夕方からは花火大会といふことで、たぶん一日中大賑はひだつたのだらう。

 目を引いたのが、太陽の塔をモチーフとしたポスター3種。太陽の塔は何も語らないが、写真家なのか万博協会なのかは分からないが、太陽の塔からメッセージを引き出した。それがなかなか良い。岡本太郎が聞いても納得するコピーではないかと思ふ。

 いつ来ても思ふが、1970年当時の構造物をほぼ完全な形で残してゐるのは太陽の塔と鉄鋼館だけである。シンボルタワーは既になく、「進歩と調和」といふ万博の理念を否定するかのやうな「回帰と対立」のこの太陽の塔が遺構として残つてゐるといふのは大いなる皮肉であり、逆に言へば、万博協会の見識である。そして、そんなことは何も知らない日本人の無定見こそが、その見識を支へてゐる。岡本太郎の無邪気さと大胆さとは、別の誰かが言へば随分と刺々しいものになつたであらうが、そんなものは一切表出することなしに、太陽の塔の見事な意匠が万博といふ歴史的イベントを利用して50年後の現在に、大事な存在として私たちの目の前に存在し続けてゐる。

 太陽の塔が、すつくと立つてゐる。その無邪気さと大胆さに今日も励まされた。
 
 
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