言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

孜々として鶏の如くせよ。

2014年05月20日 20時03分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

 



 今日の繁栄が、自分の存在や活躍によるのでないことが明らかなら、誰かの存在や活躍ゆゑである。そして、その誰かとは誰かが分からないのであれば、私もまた私を誰かと分からない人のために何かを遺していかうではないか。さう思ふ。そして、さういふ考へを持つ人がどれだけゐるのかが、結局国力の違ひであるやうに思ふ。

漱石の日記より

 

 明治34321日(木) 

英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独逸(ドイツ)人もしか思へり。彼らは過去に歴史あることを忘れつつあるなり。羅馬(ローマ)は亡びたり。希臘(ギリシャ)も亡びたり。今の英国・仏国・独逸は亡びるの期なきか。日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。未来は如何あるべきか。自ら得意になるなかれ。自ら棄るなかれ。黙々として牛の如くせよ。孜々(しし)として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼するなかれ。真面目に考へよ。誠実に語れ。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となつて現はるべし。

  

※ 孜々として・・・・・熱心に励むさま。

 

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