言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

加藤典洋氏の迷言

2014年04月14日 18時17分41秒 | インポート

 安倍総理にたいして、保守派は手ぬるいと批判し、左翼は右翼反動だと非難する。かういふ批判が両サイドから出てくるといふのは、結構まともな政治をやつてゐる証拠だと思ふ。

 思想家が真剣に取り上げようと思ふぐらゐの政策がない総理には、批判は起きない。鳩山・管・野田氏とつづいた迷走内閣には、あきれる人は多かつたが、まともに批判する人はゐなかつた。さういふ気にさへならなかつたといふことであらう。国民が求めた政権交代なのだから、観念しなければならない事態であつたとは言へ、語る言葉を失ふほどの体たらくであつた。

 さて、先日の朝日新聞の「耕論」(かういふ造語は嫌ひですね。「(議論を)深堀りする」といふ言葉も好きぢあありません。討論でいいし、議論を深めるで十分であります)で、文藝評論家の加藤典洋氏が、こんなことを書いてゐた。

「安倍首相の靖国神社参拝から3カ月半。これだけの短期間で日本の孤立が深まった根本的原因は、日本が先の戦争について、アジア諸国に心から謝罪するだけの『強さ』を持っていないことです。」

 そして、例によつて、
「同じ敗戦国のドイツが謝罪を繰り返し、今やEUで中心的な役割を担っているのとあまりにも対照的です。」

 と宣ふ。

 今やいくら朝日新聞の読者でも、かういふ誤解(政治宣伝)を平気でする人は少ないのではないか。「日本の孤立」といふこともカッコ書きで書かなければならないし、それが昨年の暮れからであるといふのは、事実誤認も甚だしい。韓国の大統領が安倍総理に会はないと言つてゐたのは、それ以前からであるといふ一事を見ても、それがまつたくの嘘話であることは明らかだ。中国包囲網を作るべく、アフリカ、インド、東南アジアなどを歴訪した首相がゐる国を「孤立化」と言つてみせる言語技術は、どんな文藝評論家でも不可能である。かつて『敗戦後論』で論議を巻き起こした加藤氏であるが、あの折のキーワードであつた「ねじれ」といふのは今や加藤氏の論考の性格となつてゐるやうである。

 また、ドイツの「強さ」といふのも、責任をナチスに押し付けたゆゑの、言はばトカゲの尻尾切りの強さである。あれはナチスのせいです、ごめんなさいと言ふのが強さだとすれば、それは面の皮が厚い厚顔無恥の強さである。私たちは、さういふ生き方を潔しとしないから、忍耐して中国と韓国と付き合つていかうとしてゐるのである。

 馬鹿にされ、うそつき呼ばはりされながらも、忍耐してゐる私たちの国こそ「強い」のではないか。安倍総理はよくやつてゐる、それが国民の評価ではないか。

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