三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「「朝鮮が党派争いで滅びたという植民史観を克服したい」 歴史学者ハン・ヨンウ氏死去」

2023年02月18日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/45938.html
「The Hankyoreh」 2023-02-16 13:25
■「朝鮮が党派争いで滅びたという植民史観を克服したい」 歴史学者ハン・ヨンウ氏死去
 儀軌から社会経済まで…朝鮮時代の研究 
 鄭道伝など韓国の学者・儒学者にも目を向け

【写真】2017年、ハンギョレのインタビューに応じている故ハン・ヨンウ教授=カン・ソンマン記者//ハンギョレ新聞社

 朝鮮時代を中心に多方面の研究活動を展開し、韓国国史学界を代表する学者に挙げられてきたソウル大学名誉教授のハン・ヨンウ氏が、15日死去した。享年85。
 1938年に忠清南道瑞山(ソサン)で生まれた故人は、ソウル大学校史学科大学院で修士・博士学位を取得、1967年から2003年までソウル大学校国史学科教授として在任した。定年退任後は名誉教授になった。韓国史研究会長、国史編纂委員会委員、文化財庁文化財委員、京畿文化財団理事、ソウル大学人文学部長なども歴任した。
 朝鮮時代前期の社会・経済の研究に自身の根を据え、生涯にわたって儀軌(朝鮮時代の国の儀式などの過程の記録)、三峰 鄭道伝(チョン・ドジョン、道学者)、実学、ソンビ精神(ソンビは学識をもちながら礼節を備え権力に奢らない知識階層。ソンビ精神はいわゆる精錬高潔な精神のことをいう)の知性史など多様なテーマを探求した。故人の幅広い研究は『朝鮮前期史学史研究』(1981)、『朝鮮前期社会経済研究』(1983)、『王朝の設計者 鄭道伝』(1999)、『実学の先駆者 イ・スグァン』(2007)、『夢と反逆の実学者 柳寿垣(ユ・スウォン)』(2007)、『韓国ソンビ知性史』(2010)、『科挙、出世への階段』(2013)など学術・教養分野の様々な著作として残った。故人が書いた韓国史の通史『改めて知る韓国の歴史』(1997)は、版を重ねて広く読まれる古典として挙げられる。故人は1992~1996年、ソウル大学の韓国学研究院の初代館長として在任し、同院の所蔵する儀軌に関する研究活動をもとに書いた『朝鮮王朝儀軌』(2005)で「韓国出版文化賞」(著述賞)を受賞した。
 故人は引退後、著述活動がさらに活発になり、韓孝純(ハン・ヒョスン)、成渾(ソン・ホン)などの儒学者たちの評伝を書き続け、昨年もホ・ギュン(1569~1618)を「天才革命思想家」として探求した『ホ・ギュン評伝』を出版した。故人は本紙とのインタビューで、「朝鮮は事大と党派による抗争、身分差別で滅びた国」という植民地史観を克服することを自分の学問の主要な軸に挙げている。
 故人は1974年の維新体制で初めて発行された国定教科書(高等学校国史)の執筆に参加し、一部から「御用学者」という批判を受けた。これに対して故人は、2015年の本紙とのインタビューで「当時、文教部(現在の教育部)が執筆者の反対を押し切って維新体制を美化する内容を加えた」と明らかにしている。「植民地史観を克服した正しい歴史を教えたいという熱望から国定教科書の執筆に参加したが、(政権が無断で内容を変えたため)教科書は維新教科書というレッテルを貼られ、執筆陣は御用学者になってしまった」ということだ。インタビュー当時、朴槿恵(パク・クネ)政権が「歴史教科書国定転換」を強引に推進しており、これに対する懸念と反対の意思を明らかにしながら述べた話だ。
 故人は5等級勤政勲章(2003年)、大韓民国文化遺産賞大統領表彰(2005年)、民世安在鴻学術賞(2012年)など様々な賞を受賞した。葬儀はソウル鍾路区(チョンノグ)のソウル大学病院斎場2号室にて。遺族は夫人のキム・チェジュンさんと2人の息子のジョンフンさん(成均館大学教授)、スンヒョンさん(建国大学教授)。出棺は18日午前、埋葬地はソウル追悼公園。

チェ・ウォンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1079813.html
韓国語原文入力:2023-02-16 02:23
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「徴用労働者像モデルは日本人」に反発の彫刻家 二審で逆転敗訴=韓国

2023年02月18日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「聯合ニュース」 2023.02.17 09:15
■「徴用労働者像モデルは日本人」に反発の彫刻家 二審で逆転敗訴=韓国
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に朝鮮半島から徴用された労働者を象徴する像(労働者像)を制作した韓国の彫刻家夫妻のキム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏が、像のモデルは日本人だと主張した李宇衍(イ・ウヨン)落星台経済研究所研究委員に損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁の民事控訴部は一審を覆し原告の訴えを退けた。法曹界関係者が17日伝えた。

【写真】ソウルの竜山駅前に立つ労働者像。2021年撮影(資料写真)=(聯合ニュース)

 旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」も制作してきたキム氏夫妻は、韓国労働組合の二大全国組織から依頼されて2016年8月、京都の丹波マンガン記念館に労働者像を設置した。労働者像は19年までに韓国のソウル、釜山、大田、済州にも置かれた。
 韓日でベストセラーとなった「反日種族主義」の共著者として知られる李氏は、この像について19年3~8月に「労働者のモデルは1926年に北海道で強制労働に苦しんだ日本人」と主張した。キム氏夫妻は李氏が虚偽の事実を広めたことで名誉を毀損(きそん)されたとして訴えを起こした。
 一審は「被告の発言は原告の社会的な評価を下げかねない具体的な事実の摘示に当たる」として原告の主張を認めた。だが二審は「被告の発言は事実の摘示でなく意見の表現であり、名誉毀損に当たらない」と一審の判断を覆した。多くの人が被告の発言を「労働者像が(教科書などに掲載された)日本人の写真と似ている」という意見表明として受け止める可能性が高いと指摘した。
 キム氏夫妻は同様の問題で元大田市議を相手取った訴訟で21年に敗訴している。一方、インターネットメディアの代表らに対する訴訟では22年にキム氏夫妻の主張が認められた。
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