「The Hankyoreh」 2023-02-13 12:12
■対馬から盗んで韓国に持ち込んだ高麗仏像、返還すべきか
[ノ・ヒョンソクの時事文化財]韓日で返還が議論されている金銅観音菩薩坐像
【写真】高麗時代末期の14世紀初頭、忠清道瑞山の浮石寺で作られた金銅観音菩薩坐像。2012年に対馬の観音寺から窃盗犯が盗んで韓国に持ち込んで以来、10年以上返還議論に巻き込まれたまま大田国立文化財研究院に保管されている=チョン・ウヌ釜山博物館長提供//ハンギョレ新聞社
今年で693歳になったこの仏像は、実に険しい時代に生まれた。
倭寇の略奪行為と権勢家らの搾取行為が猛威を振るった時代だ。百姓たちは生き延びるのも厳しかった。農業をしていた土地を捨て、誰もが流浪民になった。後代の歴史家たちが麗末(高麗時代末期)と呼ぶ14世紀中後半、高麗王朝末期の朝鮮半島海岸地域は倭寇の蠢きによって無法地帯と化していた。しかし、人々は大同世上(すべての人が共に平等に生きる世界)への希望を失わなかった。仏の恩徳で平和、平等、充足した世の中を求め、共同体信仰に頼って乱世に耐えた。
【写真】1951年、日本の対馬の観音寺側が仏像の胴体の中の腹蔵遺物を調査した際に発見したという仏像造成のための発願文=チョン・ウヌ釜山博物館長提供//ハンギョレ新聞社
1330年、高麗国忠清道瑞州(ソジュ、現在の瑞山)の地の古い寺である浮石寺で生まれた美しい金銅観音菩薩坐像は、このような願いが込められた民衆の大役事であった。僧侶や信徒らはもちろん、下層民まで一丸となって戦乱のない世の中と来世の極楽往生を共にしようと願って作られた。はるかに時間が流れ、1951年に仏像本体の中(腹蔵)から発見された浮石寺観音像の制作結縁文の発願者名簿を見ると、シムヘ、ヘチョンなどの僧侶たちや、キム・ヨン、キム・ドン、トリといった身分の明らかでない当時の平凡な人々の名が見受けられる。彼らはこう書いた。「衆生をこの世の苦痛から救うために、縁のある人々が共に発願してこの仏像を作りました。永遠に充足した供養で現世の福を祈り、来世は共に極楽に生まれることを願っています」
歴史の奇妙な計らいだろうか。高潔な人間愛を込めた高麗人の仏像は、現在、韓国と日本で絶えず議論を呼ぶパンドラの箱に成り替わってしまった。2012年10月、韓国の窃盗団が対馬の観音寺に16世紀から奉安されていた仏像を盗み出したのが禍根だった。彼らは仏像を韓国に密搬入して売ろうとしたが、翌年1月に摘発され押収された。14~16世紀に日本に流れたものと推定される仏像は、髷を結い、元は宝冠をかぶっていたものとみられる。穏やかな微笑みとはっきりとした目鼻立ちを含め、細部の彫刻まで作りが際立つ高麗後期仏像の傑作で、早くから国内の仏教美術史学界で注目された秀作だ。焼けた跡があり宝冠もなくなり、日本への搬入過程で相当な紆余曲折を経たことが推察される。
【写真】旧瑞山浮石寺の仏像が奉安された対馬の観音寺(観音寺)。素朴な田舎の寺社だ=チョン・ウヌ釜山博物館長提供//ハンギョレ新聞社
仏像が長崎県の指定文化財であるうえ、盗品であるだけに、摘発当時は返還が当然と思われた。駐韓日本大使館が文化財庁に返還を要請し、文化財庁も不法流出文化財の返還を規定した国際協約などによって返還の立場を示した。しかし、瑞山浮石寺の僧侶・信徒たちと仏教界などが「還収委」を結成し、この仏像が14世紀に倭寇によって略奪されたと主張し、議論を呼んだ。2013年2月末、大田地裁は浮石寺側が国家を相手取って提起した占有移転禁止仮処分申立てを受け入れ、3年間返還を猶予する仮処分決定を下した。猶予期間が終わった直後の2016年には、浮石寺側が再び仏像引渡し請求訴訟を起こし、所有権攻防を中心に議論が紛糾した。2017年の浮石寺側に所有権があるという大田地裁の一審判決に続き、今月1日には所有権が日本の観音寺にあるという大田高裁の二審判決が出た。二転三転する様相になると、韓国・日本政府と両国の寺の間の神経戦もさらに熱くなった。
【写真】盗難事件前、高麗仏像が観音寺の仏堂に奉安されていた時の姿=チョン・ウヌ釜山博物館長提供//ハンギョレ新聞社
歴史的に浮石寺に仏像が奉安された14世紀前半は、西海側一帯で倭寇の略奪が猛威を振るい、高麗の首都・開京(ケギョン)の寺院も被害を受けた。しかし残念ながら、議論の的となった仏像が強奪されたかどうかを立証する証拠は残っていない。約600年前の流出の経緯を示す記録物や根拠は見つかっていない。観音寺の「沿革略史」に載っている、1526年に仏像が寺にあったという記録だけが伝わっている。したがって、この仏像は14~15世紀にある経緯で日本に流出し、長い間さまよった末に観音寺に渡ったか、16世紀に直接渡った可能性がある。倭寇の侵奪の歴史からみて、略奪された可能性が高いという専門家の調査報告書もすでに出ている。もちろん高麗末期、朝鮮初期に日本に仏経や仏具を贈る慣行もあったので、善意で渡したり売ったりした可能性も排除できない。略奪の情況は濃いが、決定的な物証がないだけに、断定することもできないというのが学界専門家たちの主な見解だ。
旧瑞山浮石寺の仏像の胴体の中から発願文とともに出てきた腹蔵遺物。1950年代、対馬の観音寺が仏像を調査する過程で出てきたものとされる=チョン・ウヌ釜山博物館長提供//ハンギョレ新聞社
確かに盗品なので返すのが道理にかなっている。だが、日本に莫大な文化財略奪を受けてきた韓国人の立場としては、略奪の心証がある名品を渡すことが気持ちとしては容認できない面が明らかにある。高裁も今回の判決で浮石寺側の引渡し請求を棄却し、これとは別に「政府が文化財保護のための国際法的理念と文化財還収に関する協約などの趣旨を考慮し、仏像の返還問題を扱う必要がある」と明らかにした。結局、両国政府と文化財専門家、宗教家たちが私心のない対話を通じて、仏像を発願した高麗人たちの縁と共生の心を生かす解決策を模索するしかない。
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1079401.html
韓国語原文入力:2023-02-13 07:00
「中央日報日本語版」 2023.02.10 13:38
■窃盗犯を経て日本に戻った高麗仏像の所有権…韓国最高裁の判断受けることに
韓国の窃盗グループによって日本から韓国に持ち込まれた高麗時代の金銅観音菩薩坐像(仏像)を元の所有主に返してほしいとして忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)にある浮石寺(プソクサ)が国(大韓民国)を相手取って出した訴訟が大法院(最高裁)の判断をあおぐことになった。
10日、浮石寺側の法律代理人によると、1審と違って原告敗訴の決定を下した大田(テジョン)高裁の控訴審判決に従わず、この日上告状を提出した。
同事件の仏像は韓国人窃盗犯が2012年10月、対馬の寺院「観音寺」から盗んで韓国内に持ち込んだ高さ50.5センチ・重さ38.6キロの金銅観音菩薩坐像だ。
瑞山浮石寺は「1330年ごろ、瑞州(ソジュ、瑞山の高麗時代の名称)にある寺院に奉安しようとこの仏像を製作した」という仏像の結縁文に基づいて「倭寇に略奪された仏像なので元の所有主である我々に返すべきだ」とし、2016年流体動産(仏像)引渡請求訴訟を起こした。
2017年1月26日、1審はさまざまな証拠に基づいて「倭寇が非正常的な方法で仏像を持っていったと見るのが正しい」という趣旨で浮石寺側の手をあげた。しかし、国を代理して訴訟を担当した検察は「仏像と結縁文の真偽を明らかにしなければならないとして控訴した。
大田高裁は今月1日、原審判決を覆して日本に返すべきだとの判決を下した。
2審裁判部は「観音寺側が1953年から仏像が盗難に遭う前の2012年まで60年間、平穏にかつ公然と占有してきた事実が認められる」とし「仏像が不法搬出されたものだといってもすでに取得時効(20年)が成立しているため所有権が認められる」と判示した。
裁判部は当時、瑞州の浮石寺が現在の浮石寺と同じ宗教団体であることも立証されていないと判断した。
2審で仏像所有権は日本へ渡ったが返還の有無は決まっていない。
2審裁判部は「民事訴訟は単に所有権の帰属を判断するだけで、最終的な文化財返還問題は国連教育科学文化機関(ユネスコ)協約や国際法により決めなければならない」と明らかにした。
検察が控訴とともに出した仏像移送執行停止申請が受け入れられ、現在、仏像は大田国立文化財研究所の収蔵庫にある。
浮石寺側は上告審で浮石寺の同一性と連続性を明らかにすることに注力するものとみられる。
「聯合ニュース」 2023.02.10 13:24
■対馬の盗難仏像 所有権主張する韓国の寺が上告
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」を巡り、数百年前に略奪されたとして所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が10日、観音寺の所有権を認めた控訴審判決を不服として大法院(最高裁)に上告した。浮石寺側の弁護士が伝えた。
【写真】国立文化財研究所に保管されている観世音菩薩坐像(文化財庁提供)=(聯合ニュース)
この仏像は高さ50.5センチ、重さ38.6キロで、韓国人窃盗団が2012年10月、観音寺から盗んで韓国に持ち込んだ。現在は中部・大田にある国立文化財研究所に保管されている。
浮石寺は、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するためこの仏像が制作されたと読み取れる史料を基に、仏像は日本の倭寇(わこう)に略奪されたものだとして所有権を主張し、仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求める訴訟を2016年に起こした。
大田地裁は17年1月の一審判決で、正常ではない方法で仏像が日本に持ち出されたとして浮石寺の所有権を認めたが、大田高裁は今月1日の控訴審判決で一審判決を取り消し、観音寺の所有権を認める判決を言い渡した。
高裁は「観音寺側が1953年から仏像が盗まれる2012年までの60年間、平穏かつ公然と占有してきた事実が認められる」とし、すでに取得時効(20年)が成立していると判断。また、当時の瑞州の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体だということが立証されていないと指摘した。
一方、「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、文化財の返還問題は国連教育科学文化機関(ユネスコ)条約や国際法に基づいて決める必要がある」とし、仏像を日本に返還すべきかどうかの判断には踏み込まなかった。
浮石寺側は上告審で、浮石寺の同一性と連続性の立証に力を入れるとみられる。
「中央日報日本語版」 2023.02.06 10:27
■【時視各角】高麗金銅仏像は永遠だ=韓国
パク・ジョンホ/首席論説委員
【写真】1日、大田(テジョン)高裁が日本の寺の所有権を認めた金銅観音菩薩坐像(左)と京畿道楊坪の龍門寺の金銅観音菩薩坐像。高麗時代の仏像の特徴を見せている。 [写真 文化財庁]
横56センチ、縦45.5センチ、高さ50.5センチ、重さ38.6キロの仏像1点がある。高麗末の金銅観音菩薩坐像だ。専門家らは高麗時代の仏像の典型と評価する。温和で平たい顔、首飾り、頭の宝冠、膝を覆う瓔珞など豊かで開放的な高麗の雰囲気がある。
この仏像が最近イシューになっている。いや、過去10年間ほどずっとイシューになっていた。所有権をめぐり韓国と日本が対立してきた。これまで2度の訴訟があったが、1審では韓国に、2審では日本に軍配が上がった。大法院(最高裁)の判決までは相当な時間が残っているが、両国の自尊心、外交力と国際法までがかかわる事案であり、論争は続くとみられる。
最も大きな問題は、この仏像が韓国人が日本から盗んできた文化財というところにある。2012年10月、韓国人4人が対馬の観音寺(クァンウムサ)に所蔵されていた仏像を窃取し、釜山(プサン)で持ち込もうとして摘発された。一言でいえば贓物に該当する。その後、様相が複雑になった。忠清南道瑞山(ソサン)の浮石寺(ブソクサ)側が元来の所有権を主張し、2016年に韓国政府を相手に訴訟を起こした。1951年に日本の寺側が仏像腹蔵遺物から発見した「1330年に高麗瑞州(瑞山)浮石寺でこの仏像がつくられた」という結縁文を根拠に挙げた。倭寇が略奪したと主張し、1審裁判所もこれを認めた。
1日の2審の判断は違った。700年前の高麗の浮石寺と現在の浮石寺を同じ寺と見ることはできず、倭寇が盗んでいった状況はみられるが、観音寺が両国の民法、国際法基準である20年以上占有してきた点を挙げて日本側の所有権を認めた。
2審に対する反応も比較される。韓国曹渓宗は「略奪文化財に対する免罪符を与えた、(文化財返還の)最も悪い先例を提供した没歴史的判決」とし、直ちに反発した。半面、日本メディアは「韓日関係改善の流れを後押しする」「両国関係改善の雰囲気に冷や水を浴びせる事態は避けた」という形で報じた。
ところが共に「ファクト」でない。韓国としては残念だが、倭寇が仏像を奪っていったという史料をまだ探せていない。日本メディアの解釈も我田引水だ。高麗仏像と強制徴用の間にはいかなるつながりもない。2審裁判所も「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、韓国政府は国際法の理念・協約などを考慮して仏像返還問題を扱う必要がある」と指摘した。
特に日本の反応が適切でない。2015年の軍艦島ユネスコ世界遺産登録、最近の佐渡金山世界遺産登録再推進決定過程で消した朝鮮人強制労役にいかなる措置も取っていない状況ではないのか。また新年の外交演説で独島(ドクト、日本名・竹島)が日本の領土という主張を10年連続で繰り返した。今回の判決は「『反日無罪』の流れが変化したことをうかがわせる」(読売)という評価はむしろ事態を歪曲するだけだ。
我々も毅然と対応する必要がある。文化財の返還は複雑で微妙なイシューだ。今回の仏像は「盗んで行ったもの(推定)をまた盗んできた」という未曾有のことであり、緻密な接近が必要だ。文化財の返還では不法・不当搬出を立証する資料の確保が核心であるからだ。決して感情で進める事案ではない。略奪の事実を先に立証し、国際法手続きに基づいて所有権を返してもらうのが文化国家の品格でありグローバルスタンダードだ。
今後の大法院の判決は予断できない。ただ、「もともと我々のもの」という渇望の論理 だけを出せば名分と実利を共に失いかねない。たとえ仏像を日本に返すことになっても高麗仏像が日本仏像に化けることはない。判決に一喜一憂する事件でないということだ。学問的考証と外交的対応、国際的共感という宿題が我々の前にある。それはまさにKカルチャーの自尊心を守る道だ。「現世では厄難をなくして幸福を受け、後世では共に極楽に生まれることを願う」という仏像の発願文を反すうしてみる。仏法と不法は全く違う。
「The Hankyoreh」 2023-02-03 19:59
■高麗仏像の所有権は日本にあるという裁判所… 曹渓宗「文化財略奪免罪符」
曹渓宗瑞山浮石寺、観世音菩薩坐像2審判決に批判声明
大韓仏教曹渓宗(チョゲジョン)は3日、窃盗犯が日本から韓国に持ち込んだ高麗金銅観音菩薩坐像(仏像)の所有権が日本の寺院にあるという大田(テジョン)高裁の判決に対し立場文を出し、深い遺憾の意を表明した。
曹渓宗はこの立場文で「1330年に製作された金銅観音菩薩坐像の所有者は瑞山浮石寺にあり、朝鮮初期に倭寇によって略奪され日本に渡ることになったという事実はすでに十分に検証され、1審判決でも認められた経緯がある」とし、このように明らかにした。
曹渓宗は、高裁判決が「韓国仏教2000年の歴史性と曹渓宗の正統性を無視したもの」とし「時効取得を認めたことも略奪文化財に対する免罪符を与える判決であり、全世界の略奪文化財解決において悪い先例を提供する没歴史的判決」と主張した。
曹渓宗は「国家と民族の歴史と情緒が込められた文化財は、本来の位置に位置することが極めて当然であり、やむを得ず略奪されたり盗まれた文化財は必ず還収され、後代に継承されるよう努力するのが国家と国民の基本責務」とし「最終審では常識に符合する決定で仏教界と国民の信頼を取り戻すことを願う」と要請した。
この仏像の所有権紛争は、2012年10月に韓国人窃盗犯が長崎県対馬所在の寺院である観音寺が保管していた金銅観音菩薩坐像を盗んで釜山港に持ち込んだことから始まった。
韓国警察と文化財庁が捜査を行い、2013年初めに窃盗犯一味を検挙し、その後国立文化財研究院が仏像を保管した。
仏教界は、この仏像が1330年頃に忠清南道瑞山(ソサン)の浮石寺(プソクサ)に奉安されたが、倭寇によって略奪されたと見て還収運動に乗り出し、浮石寺は2016年に国家(大韓民国)を相手取って仏像返還訴訟を起こした。
1審では、仏像の本来の所有者は浮石寺であると推定され「盗難や略奪の方法で日本に運ばれ奉安されていたと見るのが相当だ」として、浮石寺に返さなければならないという判決が下された。 しかし大田高裁は1日、1審判決を覆し、原告敗訴の判決を下した。 控訴審裁判所は「(観音寺が)1953年から仏像が盗まれる前の2012年までの60年間、平穏・公然と占有した事実が認められる」とし「取得時効(20年)が完成し所有権が認められる」と判示した。
チョ・ヒョン宗教専門記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/religious/1078190.html
韓国語原文入力:2023-02-03 19:21
「聯合ニュース」 2023.02.03 16:01
■対馬の盗難仏像 韓国仏教宗派が控訴審判決を批判
【ソウル聯合ニュース】韓国最大の仏教宗派「大韓仏教曹渓宗」は3日、日本の長崎県対馬市の観音寺から盗まれ韓国に持ち込まれた「観世音菩薩坐像」の所有権を巡る訴訟の控訴審判決を批判した。 所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)は像を保管している韓国政府に引き渡しを求めているが、大田高裁は1日の控訴審判決で、浮石寺の所有権を認めた一審判決を取り消した。
曹渓宗はこの日、控訴審判決に深い遺憾の意を表明した。 曹渓宗は「仏像の所有者は瑞山の浮石寺で、朝鮮王朝時代初期に倭寇(わこう)によって略奪され日本に渡った事実は十分に検証済み」と指摘。 高裁の判決に「2000年の韓国仏教の歴史性と曹渓宗の正統性を無視した」と反発し、観音寺の取得時効成立を認定したことも「略奪文化財に免罪符を与える」と批判した。
【写真】国立文化財研究院に保管されている観世音菩薩坐像(文化財庁提供)=(聯合ニュース)
「The Hankyoreh」 2023-02-02 07:44
■「高麗仏像」窃盗犯の手によって帰国を果たした数奇な運命… 日本に返還か
控訴審裁判所、倭寇による略奪を認めながらも
一審を覆し、日本の寺の所有権認める
「政府が仏像の返還に取り組むべき」と勧告
浮石寺側、判決を不服とし最高裁上告へ
【写真】瑞山浮石寺観世音菩薩坐像/聯合ニュース
窃盗犯の手を経て韓国に戻った高麗仏像の所有権をめぐる訴訟は、二審で「韓国の寺のものではない」という結論を下された。 仏像が日本の対馬から韓国に持ち込まれてから11年。 所有権を主張し訴訟を起こした韓国の寺は、最高裁(大法院)への上告を予告した。
大田(テジョン)高裁民事1部(パク・ソンジュン裁判長)は1日、「瑞山(ソサン)浮石寺の観世音菩薩坐像」に対する引渡請求訴訟で、「原告(大韓仏教曹渓宗浮石寺)が当該仏像(観世音菩薩坐像)の所有権を取得したとは考えられない」と判決を下した。 裁判所は高麗時代の瑞州(ソジュ、瑞山の旧名称)浮石寺が同仏像の所有主であることは事実だが、現在の瑞山浮石寺は過去の瑞州浮石寺と同じ寺とは言えないと結論付けた。 裁判所は「高麗時代末、倭寇の頻繁な侵略による瑞州地域の被害などを考慮すると、1330年に存在していた瑞州浮石寺の人的かつ物的要素が今の瑞山浮石寺に至るまで同一性と連続性を持って維持されたとは認めがたい」と説明した。 さらに「倭寇が仏像を略奪して日本に持ち出したとみられる情況はある」としながらも「(日本の)観音寺が法人として成立した1953年から20年間、この仏像を占有していたため、取得時効は完成した」と判断した。
【写真】1日午後「瑞山浮石寺観世音菩薩坐像引渡請求訴訟」の二審裁判が終わった後、大田高裁内で忠清南道瑞山浮石寺側の関係者たちが記者会見をしている=チェ・イェリン記者//ハンギョレ新聞社
問題の観世音菩薩坐像は高さ50.5センチメートル、重さ38.6キログラムで、14世紀の高麗時代に製作された。仏像の中で発見された結縁文(仏像が製作された目的を書き付けて像の中に保管した文書)に「天暦3年(1330年)2月、仏像を作って高麗の瑞州浮石寺に祀った」という内容が記されており、国内学界では「瑞山浮石寺の観世音菩薩坐像」と呼ばれてきた。瑞山にあった仏像が日本の対馬の観音寺に奉安されたのは1527年と推定される。同仏像がどのような経緯で対馬に渡ったのかは不明だ。ただし、仏像が浮石寺に奉安された後、瑞山地域に倭寇の侵入が多かったという点、観音寺に渡った仏像の中に腹蔵物がそのまま入っているが、どのような経緯で移すことになったのかを記した移安文がない点などから、略奪された後、日本に渡った仏像である可能性が高いというのが大方の見解だ
同仏像が韓国に戻ってきたのは2012年10月。窃盗団が観音寺から仏像を盗み、釜山(プサン)港を通じて国内に持ち込んだ。同年12月、大田警察庁広域捜査隊によって窃盗犯が捕まり押収され、仏像が大田まで来ることになった。このニュースが流れると、「500年ぶりに帰ってきた仏像の去就」が議論を呼んだ。忠清南道瑞山の浮石寺の信徒たちと住民たちは「観世音菩薩坐像復帰奉安委員会」を立ち上げ、仏像の返還運動を始めた。大田地方裁判所が2013年2月、浮石寺が出した返還中止仮処分申立てを受け入れたことで、ひとまず韓国に残ることになった。2016年2月、仮処分期間が終わると、浮石寺は同年3月、大田地方裁判所に韓国政府を相手に取り「観世音菩薩坐像引渡し請求訴訟」を起こした。
2017年1月、大田地方裁判所は「仏像を浮石寺に引き渡すべき」だと判決を下した。当時、裁判所は「この仏像は瑞山浮石寺の所有だと十分に推定できるうえ、過去に贈与や売買など正常な方法ではなく、盗難や略奪などの方法で日本の観音寺に運ばれ奉安されたとみなければならない」と説明した。
一審裁判所の判断が出た後も波紋は広がり続けた。日本の対馬市議会は仏像の返還を求める決議文を採択し、日本の官房長官や文部科学相などが韓日長官会談の際、仏像の返還を要請した。国内世論も「仏像はもともと韓国のもの」という主張と、「盗んできた物なので観音寺に返すべき」という意見が対立した。1970年ユネスコ総会が採択した「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約(文化財不法輸出入等禁止条約)」によると、不法に持ち出された文化財は本来の所蔵先が所有権を行使できる。
2017年3月から始まった二審の裁判部は、一審とは異なり、浮石寺の所有権を認めなかった。それと共に「原告の引渡請求を棄却することとは別に、大韓民国政府は文化財保護のための国際法的理念と文化財還収に関する協約などの趣旨を考慮し、この仏像の返還問題に取り組む必要がある」として韓国政府にボールを渡した。
裁判が終わった後、浮石寺側は「高麗時代の瑞州浮石寺と現在の瑞山の浮石寺が同一とはいえないという裁判所の判断を到底受け入れられない。裁判所は他の法理を持って判断の理由を説明すべきだった」とし、「最高裁に上告することを決めた」と明らかにした。
チェ・イェリン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/chungcheong/1077877.html
韓国語原文入力:2023-02-02 02:41
「中央日報日本語版」 2023.02.02 07:09
■「金銅観音菩薩坐像、所有権は日本」…ひっくり返った判決
【写真】韓国窃盗団が韓国に持ち込んだ金銅観音菩薩坐像(右)と銅造如来立像。フリーランサー キム・ソンテ
十数年前に韓国の窃盗犯が日本の対馬にある観音寺から盗み韓国に持ち込んだ金銅観音菩薩坐像を返すよう命じる控訴審判決が出された。所有権が浮石寺(プソクサ)にあると判断した1審を覆した宣告だ。
大田(テジョン)高裁は1日、忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)にある大韓仏教曹渓宗(チョゲチョン)浮石寺が国を相手取り起こした仏像引き渡し請求控訴審で、1審判決を取り消し原告の請求を棄却した。裁判所は「極楽殿復元工事当時に発見された1938年の上棟文などによると浮石寺が仏像所有権を取得したことは認められる。ただし原告(浮石寺)が瑞州(ソジュ、瑞山の高麗時代の地名)浮石寺と同じ権利主体ということは認められない」と明らかにした。1330年代に存在した瑞州浮石寺と瑞山浮石寺の同一性・連続性を認定できないということだ。
裁判所は「倭寇がこの仏像を略奪し日本に違法に搬出したとみるほどの相当な状況がある」としながらも、「ただし国際司法により被告補助参加人(観音寺)が法人として設立された1953年以降20年間該当の仏像を占有したため所有権を認められる」とした。
控訴審裁判所が仏像を返還するよう判断を下すと浮石寺と信徒は反発した。浮石寺元住職の円牛(ウォンウ)僧侶は「韓国に勇気ある判事がいたならという残念さが大きい」と話した。浮石寺側法律代理人は「判決文を分析した後、上告理由書を提出する予定」と明らかにした。控訴審宣告が大法院(最高裁)まで続けば現在大田国立文化財研究所の収蔵庫に保管中である金銅観音菩薩坐像は日本の観音寺に返還されることになる。
これに先立ち2012年10月、当時70歳の主犯格をはじめとする4人の文化財窃盗団は観音寺とカ海神神社に侵入し、金銅観音菩薩坐像など仏像2点を韓国に持ち込んだ。このうち銅造如来立像は2016年に返還された。金銅観音菩薩坐像は高さ50.5センチメートル、重さ38.6キログラムで、14世紀初期に製作されたと推定されている。1973年に日本で有形文化財に指定された。
瑞山浮石寺は「1330年ごろ瑞州にある寺に奉安しようとこの仏像を製作した」という仏像結縁文を根拠に、倭寇に略奪された仏像であるだけに現所有者である浮石寺に返してほしいと要求し2016年に国を相手に訴訟を提起した。
2017年1月に1審裁判所である大田地裁が原告側の手を上げると日本側は外交ルートを通じて仏像を返還するよう要求するなど韓日間の対立をかもすことになった。
その後控訴審判決が出されるまで6年以上かかった。昨年6月15日に開かれた裁判に出席した観音寺の田中節竜住職は1527年ごろ観音菩薩坐像を対馬に持ってきて安置したもので、窃盗時点まで保管していたので所有権があると主張した。
「聯合ニュース」 2023.02.01 16:32
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた「観世音菩薩坐像」を巡り、数百年前に略奪されたとして所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が像を保管している韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審で、大田高裁は1日、浮石寺の所有権を認めた一審判決を取り消し、原告の請求を棄却した。
【写真】判決後、高裁で報道陣の取材に応じる浮石寺の関係者ら=1日、大田(聯合ニュース)
高裁は「1330年に浮石寺が仏像を制作したという事実関係は認めることができ、(日本の)倭寇(わこう)が略奪し違法に持ち出したと見なせる証拠もある」としながらも、「当時の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体ということが立証できず、所有権を認められない」とした。また、「1527年に朝鮮から仏像を譲り受けたという観音寺側の主張も確認は難しいが、1953年から仏像が盗まれる2012年までの60年間、平穏かつ公然と占有してきた事実が認められる」とし、「すでに取得時効(20年)が完成しているため、所有権が認められる」と判断した。
ただ、「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、文化財の返還問題は国連教育科学文化機関(ユネスコ)条約か国際法に基づいて決めなければならない」と説明した。
判決を受け、浮石寺側の関係者は高裁で記者団に対し、「残念だ」としたうえで、「今後の法的手続きは弁護士と相談して決める」と述べた。浮石寺側の弁護士は「(判決は)認められない」とし、大法院(最高裁)に上告する考えを示した。
仏像は高さ50.5センチ、重さ38.6キロで、韓国人窃盗団が2012年10月、観音寺から盗んで韓国に持ち込んだ。現在は大田にある国立文化財研究所に保管されている。
2017年1月26日に開かれた一審判決では、正常ではない方法で仏像が日本に持ち出されたとして、浮石寺の所有権を認めていた。
「中央日報日本語版」 2023.01.31 10:16
■韓国への密搬入仏像、韓日7年間の攻防の末にあす所有権宣告
【写真】仏像の所有権を主張する瑞山浮石寺
日本から韓国に密搬入された金銅観音菩薩坐像の所有権に対する2審裁判の結果が明日(2月1日)出てくる。
韓国大田(テジョン)高裁第1民事部は大韓仏教曹渓宗(チョゲチョン)瑞山浮石寺(ソサン・プソクサ)が韓国政府に対して起こした有体動産引渡請求控訴審に対する宣告裁判を開く。
この事件は2012年韓国窃盗団が日本対馬所在の観音寺に保管されていた仏像を盗んで韓国内に密搬入したことで発生した。当時日本政府がこの仏像返還を要求したが、浮石寺が「高麗時代、倭寇によって略奪されたもの」としながら所有権を主張して2016年民事訴訟を起こした。
2017年1審裁判部が過去に倭寇侵入など非常識な形で仏像が搬出されたとみられるとして仮執行処分を下して仏像が浮石寺に戻るかのようにみえたが、韓国政府が直ちに控訴をした。緊急執行停止を申請し、裁判所がこれを受け入れて現在仏像は大田国立文化財研究所に保管されている。
前回の控訴審結審公判で観音寺側は書面を通じて「仏像は観音寺の創建者が朝鮮に渡って譲り受けたもの」としながら「観音寺法人が設立された1953年1月26日から盗難前の2012年10月まで観音寺が仏像を占有していたので取得時効が成立する」と明らかにした。
反面、浮石寺側の弁護人は「観音寺側は仏像が盗難品であることを認知したまま占有しており、これは悪意による無断占有であり占有取得時効は成立しない」としながら「略奪文化財は本来所有者に戻すことが国際的傾向」と反論した。
「聯合ニュース」 2023.01.25 18:12
■対馬の盗難仏像巡る控訴審 判決控え韓国寺側が引き渡し求める
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」(同県指定有形文化財)の所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審判決公判が2月1日に開かれることを受け、浮石寺側は25日に出した報道資料で、仏像を同寺に引き渡すよう命じた一審判決を支持して検察の控訴を棄却するよう裁判所に要請した。
【写真】観世音菩薩坐像(資料写真)=(聯合ニュース)
仏像は韓国人窃盗団が2012年10月、観音寺から盗んで韓国に持ち込んだもので、高さ50.5センチ、重さ38.6キロの金銅観音菩薩坐像だ。
1951年に仏像から見つかった像内納入品の中には、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されており、浮石寺はこれをもとに「日本の倭寇(わこう)に略奪された仏像は本来の所有者であるわれわれに返還されなければならない」と主張している。
2017年1月の一審判決では、これらの記録などを根拠に「浮石寺の所有と十分に推定できる」として同寺への引き渡しが命じられた。韓国政府側の検察は、記録が実際に高麗時代末期に作成されたことを立証する資料がなく、記録の信ぴょう性は高いとはみなせないなどと主張し、控訴した。
浮石寺側は「2021年9月に文化財庁の鑑定で本物と認められており、控訴の理由がない」と主張した。
観音寺が1953年に法人化した時点から盗難事件が発生した2012年10月までの約60年間仏像を占有していたため、一定期間が経過すれば占有者の所有が認められる「取得時効」が成立するとの主張に対しては「奪取など悪意による占有は日本の民法でも取得時効が認められない」と反論した。
浮石寺側は「検察の控訴理由がなくなっただけに、仏像を1日も早く浮石寺に奉安できるよう(控訴を)棄却してほしい」と要請した。