■四、日本の独島占領は、過去の問題ではない
いまなお日本は、アイヌモシリの一部(北海道)、琉球国、八重山・宮古地域を自国の領土として占領しつづけており、さらに独島、アイヌモシリの他の一部(クナシリ島、エトロフ島、ハボマイ諸島、シコタン島)を再占領しようとしている。
日本は、朝鮮戦争のさ中、1951年9月に、アメリカ合州国など49か国と講和条約を締結した。その前後に日本は、アメリカ合州国軍の軍需物資を大量生産する過程で、経済を成長させた。南北朝鮮民衆の大きな犠牲を土台にして、日本帝国主義は復活した。このころから、日本は、独島、「北方四島」、釣魚島諸島を再占領する策動を開始した。
いま、独島再占領策動は、「北方四島返還」策動と共におこなわれている。日本政府と日本の自治体と一部の日本民衆が進めている「北方四島返還」策動は、クナシリ島などロシアが植民地としているアイヌモシリを再占領し、日本領土を拡大し、国境線および経済水域をおし広げようとする帝国主義国日本の現在の侵略策動である。
この策動を打ち砕き、これらの島々を北方諸民族の自治区とすることは、独島再占領策動を阻止することと同じ質の日本民衆の課題である。
かつて、1945年以前に日本で発行されていた世界地図では、日本の領土には赤色が塗られていた。日本が侵略戦争によって領土を広げると、地図の赤い部分が大きくなった。日本国民の多くはそれを(侵略による領土拡大を)歓迎した。
いまも、日本の長期政権政党自民党の支持基盤は、独島・「北方四島」を日本の領土としる侵略的日本ナショナリズムをもつ日本国民である。
日本の執拗な独島再占領策動は、国民国家日本の朝鮮侵略の歴史が終わっていないことを示している。日本民衆が「独島問題」を解決すること――すなわち、日本の独島再占領策動を打ち砕くことは、日本民衆の歴史的責任にかかわることである。
マダガスカルが独立したのは1960年6月であり、マーシャル諸島が独立したのは1986年10月であった。マーシャル諸島共和国の民衆は、独立以前の1946年~1958年にアメリカ合州国軍が強行した水爆実験による後遺症と大地の汚染に、いまも苦しめられている。
アメリカ合州国は、1867年にロシア帝国から、原住民族の大地アラスカを720万ドルで購入し、領土としていたが、1959年に49番目の州とし、同じ1959年にハワイを50番目の州とした。ハワイ王国が植民地とされてから100年後の1993年1月17日の5日まえの12日から5日間、ホノルル市の首府地域でアメリカ合州国の国旗がおろされ、ハワイ王国の旗(現ハワイ州政府旗)のみが掲げられた。この年10月27日、アメリカ合州国上院議会は、100年前にハワイ王国を転覆させたアメリカ合州国人の行為を違法であったとし、アメリカ合州国がハワイ先住民から民族自決権を略奪したことを公式に謝罪する決議を採択した。
第1次世界戦争のさ中、1917年にデンマーク王国は、アメリカ合州国に西バージン諸島を2500万ドルで売却した。西バージン諸島は、いまなおアメリカ合州国の植民地とされ、東バージン諸島はイギリスの植民地とされている。
香港に対するイギリスの植民地化が終わった日、昨年1997年7月1日に、日本で「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」という新法が施行された。この法律は、日本政府と日本人がアイヌ民族に謝罪も賠償もしないで、いつまでもアイヌモシリを植民地としておき、アイヌにたいする民族差別を固定化する新たな植民地法であり、アイヌモシリ植民地化新法というべきものである【註】。
今年1998年に、アメリカ合州国は、100年前の1898年に植民地としたプエルトリコを、51番目の州として「併合」しようとしている。
【註】
佐藤正人「国民国家日本のアイヌモシリ植民地化と朝鮮植民地化」、『アジア問題研究所報』12号、1997年、参照。
佐藤正人
いまなお日本は、アイヌモシリの一部(北海道)、琉球国、八重山・宮古地域を自国の領土として占領しつづけており、さらに独島、アイヌモシリの他の一部(クナシリ島、エトロフ島、ハボマイ諸島、シコタン島)を再占領しようとしている。
日本は、朝鮮戦争のさ中、1951年9月に、アメリカ合州国など49か国と講和条約を締結した。その前後に日本は、アメリカ合州国軍の軍需物資を大量生産する過程で、経済を成長させた。南北朝鮮民衆の大きな犠牲を土台にして、日本帝国主義は復活した。このころから、日本は、独島、「北方四島」、釣魚島諸島を再占領する策動を開始した。
いま、独島再占領策動は、「北方四島返還」策動と共におこなわれている。日本政府と日本の自治体と一部の日本民衆が進めている「北方四島返還」策動は、クナシリ島などロシアが植民地としているアイヌモシリを再占領し、日本領土を拡大し、国境線および経済水域をおし広げようとする帝国主義国日本の現在の侵略策動である。
この策動を打ち砕き、これらの島々を北方諸民族の自治区とすることは、独島再占領策動を阻止することと同じ質の日本民衆の課題である。
かつて、1945年以前に日本で発行されていた世界地図では、日本の領土には赤色が塗られていた。日本が侵略戦争によって領土を広げると、地図の赤い部分が大きくなった。日本国民の多くはそれを(侵略による領土拡大を)歓迎した。
いまも、日本の長期政権政党自民党の支持基盤は、独島・「北方四島」を日本の領土としる侵略的日本ナショナリズムをもつ日本国民である。
日本の執拗な独島再占領策動は、国民国家日本の朝鮮侵略の歴史が終わっていないことを示している。日本民衆が「独島問題」を解決すること――すなわち、日本の独島再占領策動を打ち砕くことは、日本民衆の歴史的責任にかかわることである。
マダガスカルが独立したのは1960年6月であり、マーシャル諸島が独立したのは1986年10月であった。マーシャル諸島共和国の民衆は、独立以前の1946年~1958年にアメリカ合州国軍が強行した水爆実験による後遺症と大地の汚染に、いまも苦しめられている。
アメリカ合州国は、1867年にロシア帝国から、原住民族の大地アラスカを720万ドルで購入し、領土としていたが、1959年に49番目の州とし、同じ1959年にハワイを50番目の州とした。ハワイ王国が植民地とされてから100年後の1993年1月17日の5日まえの12日から5日間、ホノルル市の首府地域でアメリカ合州国の国旗がおろされ、ハワイ王国の旗(現ハワイ州政府旗)のみが掲げられた。この年10月27日、アメリカ合州国上院議会は、100年前にハワイ王国を転覆させたアメリカ合州国人の行為を違法であったとし、アメリカ合州国がハワイ先住民から民族自決権を略奪したことを公式に謝罪する決議を採択した。
第1次世界戦争のさ中、1917年にデンマーク王国は、アメリカ合州国に西バージン諸島を2500万ドルで売却した。西バージン諸島は、いまなおアメリカ合州国の植民地とされ、東バージン諸島はイギリスの植民地とされている。
香港に対するイギリスの植民地化が終わった日、昨年1997年7月1日に、日本で「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」という新法が施行された。この法律は、日本政府と日本人がアイヌ民族に謝罪も賠償もしないで、いつまでもアイヌモシリを植民地としておき、アイヌにたいする民族差別を固定化する新たな植民地法であり、アイヌモシリ植民地化新法というべきものである【註】。
今年1998年に、アメリカ合州国は、100年前の1898年に植民地としたプエルトリコを、51番目の州として「併合」しようとしている。
【註】
佐藤正人「国民国家日本のアイヌモシリ植民地化と朝鮮植民地化」、『アジア問題研究所報』12号、1997年、参照。
佐藤正人