1996年10月23日、24日に、ソウルで「世界化時代の歴史學と歴史教科書」を主題とする第7次際歴史科書學術會議(國際科書研究所主催)が開かれた。
23日には、國際科書研究所長李泰永さんの開会のあいさつ、洪鍾さんの經過報告、李敏鎬さんの基調演説「世界化と歴史育」のあと、第1主題「歴史科書 比較研究の實際」と第2主題「帝國主義と國境紛糾」の報告と討論がおこなわれた。
第1主題「歴史科書 比較研究の實際」の報告は、1)「獨逸科書 分析에 遠用듼 比較史學의 理論」(報告者 H.H.Hahn)、2)「ポーランドにおける歴史科書分析の實際」(報告者 W.Markiewicz)、3)「中國歴史科書分析的理論和實際」(報告者 臧 )、4)「日本における歴史科書分析の理論と實際」(報告者 二谷貞夫)、5)「韓國における歴史科書分析の理論と實際」(報告者 柳裁澤)であり、討論の参加者は5人(司會 鄭在貞。文啓淵、金勝一、全寅永、宮薗衛)だった。
第2主題「帝國主義と國境紛糾」の報告は、1)「中國の歴史地理附圖からみる韓中國境と間島問題」(共同発表:朴今海、嚴志梁)で、討論の参加者は第1主題のときと同じだった。
24日には、第2主題と第3主題「歴史教科書記述の諸問題糾」の報告と討論がおこなわれた。
第2主題の報告は、2)「ドイツ・ポーランド西部國境の問題点 過去と現在」(共同発表:H.H.Hahn、W.Markiewicz)、3)A.「独島をめぐる歴史的論争と解決方途」(共同発表:洪鍾、佐藤正人)、3)B.「国際法的側面からみた独島問題」報告者 金明基)で、討論の参加者は4人(司會 蘇鎭轍。丁炳權、蘆啓鉉、那基柱)だった。
第3主題「歴史教科書記述の諸問題」の報告は、1)「韓国歴史教科書 記述の諸問題」(報告者 李泰永)、2)「日本における教科書紛争の新局面」(報告 坂井俊樹)、3)「中国の中高校歴史教育 過去と現在」(報告者 揚 彪)であり、討論の参加者は4人(司会 李吉容。河宇鳳、崔容奎、君島和彦)であった。
その後、報告者と討論者全員による総合討論(司会 金興洙)がおこなわれた。
会議が終わった翌々日、わたしは、石原産業が三重県内務部に1946年9月に提出した報告書(そこには、紀州鉱山に強制連行された朝鮮人のうち、738人の名と本籍地と「入所経路」が書かれていた)を手がかりにして、韓国江原道麟蹄郡の5万分の1の地図(6枚)を持って、麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面を訪ねた(このブログの2010年12月8日の「紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷へ」をみてください)。
わたしは、10月24日に、「国民国家日本の独島占領」について報告した。その要旨と構成は、つぎのとおりである。
佐藤正人
■「国民国家日本の独島占領」 【要旨】
日本は他地域・他国侵略の過程で国民国家を形成した。
1868年の「維新」(王政復古)以後、日本は、自国に隣接した地域(アイヌモシリ、琉球王国、台湾、朝鮮……)を「併合」して領土とし、自国の国境をおし広げた。
国民国家日本は、領土拡大・国境線膨張の過程で、国民国家形成期の朝鮮(大韓帝国)の領土である独島を自国の領土とした。
さらに、第1次世界戦争のさなかに日本はミクロネシア地域を植民地とし、1930年代に朝鮮に隣接する中国東北部とモンゴル東南部を植民地として領土を拡大した。
その継続的な侵略による領土拡大を日本国民(天皇の「臣民」)のほとんどが肯定した。
194年代から国民国家日本は、「大東亜共栄」「大東亜民族協和」をスローガンとしアジア太平洋地域を支配しようとした。
近現代以前から、欝陵島も独島も朝鮮の範囲内の地域であった。朝鮮を植民地としようとする日本とロシアの帝国主義戦争のさ中に、日本は独島を自国の領土とし、その後、朝鮮全土を「併合」した。
1945年に朝鮮が独立し、日本は連合国軍に占領された。日本は1952年のサンフランシスコ講和条約発効後、独島再占領策動を開始し、いまもやめていない。日本の独島再占領策動は、現在の日本のアイヌモシリとオキナワにたいする植民地支配とつながっている。
日本の独島再占領策動および「北方領土返還」策動は、領土を拡大し国境線(および経済水域)をおし広げようとする帝国主義国日本の現在の他地域・他国侵略策動の一環である。
日本の侵略の歴史はいまも続いている。日本政府が「北方領土」と称しているクナシリ、エトロフ、ハボマイ、シヨタンを含むアイヌモシリは、アイヌ民族、ウイルタ民族、ニブヒ民族ら北方諸民族の大地である。
独島は、将来的には南北統一された朝鮮半島の国家の領上であり、現在は韓国の領土である。北部アイルランドはアイルランドの領土であり、パレスチナはフィラスティーン(パレスチナ人)の土地であり、ヨルダン川西岸地区はヨルダンの領上である。テ・アオ・マオヒはマオヒ人の、ニューカレドニアはカナク人の島々と海である。
独島史の国際的な研究・討論は、帝国主義諸国の他地域他国侵略・占領・植民地支配に対決する世界的な民衆の解放のインターナショナリズム実践の一環としておこなわれることが望ましい。
■「国民国家日本の独島占領」【構成】
はじめに
一、欝陵島・独島史
(1)欝陵島・独島は朝鮮の地域
(2)欝陵島・独島侵略史
①、和寇・和人の欝陵島侵入
②、日本人による欝陵島・独島近海漁業資源の収奪
③、国民国家日本の独島占領
二、国民国家と国境
(1) 国民国家日本の東西南北
A、「8・15」まで
①、北方
②、南方
③、東方
④、西方
⑤、中国東北部、モンゴル東南部、華北、香港、海南島
⑥、「大東亜共栄圏」
B、「8・15」以後
①、国民国家日本の領土縮小
②、再占領策動開始
(2)分断された国民国家大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の国境
(3)中国、ロシア、モンゴルの国境
三、帝国主義国の領土と国境
(1)帝国主義国の国境と旧植民地の国境
(2)国際法と国境問題
四、現在の課題
(1)日本人歴史研究者の課題
(2)共通の課題(解放のインターナショナリズムをめざす課題)
23日には、國際科書研究所長李泰永さんの開会のあいさつ、洪鍾さんの經過報告、李敏鎬さんの基調演説「世界化と歴史育」のあと、第1主題「歴史科書 比較研究の實際」と第2主題「帝國主義と國境紛糾」の報告と討論がおこなわれた。
第1主題「歴史科書 比較研究の實際」の報告は、1)「獨逸科書 分析에 遠用듼 比較史學의 理論」(報告者 H.H.Hahn)、2)「ポーランドにおける歴史科書分析の實際」(報告者 W.Markiewicz)、3)「中國歴史科書分析的理論和實際」(報告者 臧 )、4)「日本における歴史科書分析の理論と實際」(報告者 二谷貞夫)、5)「韓國における歴史科書分析の理論と實際」(報告者 柳裁澤)であり、討論の参加者は5人(司會 鄭在貞。文啓淵、金勝一、全寅永、宮薗衛)だった。
第2主題「帝國主義と國境紛糾」の報告は、1)「中國の歴史地理附圖からみる韓中國境と間島問題」(共同発表:朴今海、嚴志梁)で、討論の参加者は第1主題のときと同じだった。
24日には、第2主題と第3主題「歴史教科書記述の諸問題糾」の報告と討論がおこなわれた。
第2主題の報告は、2)「ドイツ・ポーランド西部國境の問題点 過去と現在」(共同発表:H.H.Hahn、W.Markiewicz)、3)A.「独島をめぐる歴史的論争と解決方途」(共同発表:洪鍾、佐藤正人)、3)B.「国際法的側面からみた独島問題」報告者 金明基)で、討論の参加者は4人(司會 蘇鎭轍。丁炳權、蘆啓鉉、那基柱)だった。
第3主題「歴史教科書記述の諸問題」の報告は、1)「韓国歴史教科書 記述の諸問題」(報告者 李泰永)、2)「日本における教科書紛争の新局面」(報告 坂井俊樹)、3)「中国の中高校歴史教育 過去と現在」(報告者 揚 彪)であり、討論の参加者は4人(司会 李吉容。河宇鳳、崔容奎、君島和彦)であった。
その後、報告者と討論者全員による総合討論(司会 金興洙)がおこなわれた。
会議が終わった翌々日、わたしは、石原産業が三重県内務部に1946年9月に提出した報告書(そこには、紀州鉱山に強制連行された朝鮮人のうち、738人の名と本籍地と「入所経路」が書かれていた)を手がかりにして、韓国江原道麟蹄郡の5万分の1の地図(6枚)を持って、麟蹄邑、瑞和面、北面、麒麟面を訪ねた(このブログの2010年12月8日の「紀州鉱山に強制連行された人たちの故郷へ」をみてください)。
わたしは、10月24日に、「国民国家日本の独島占領」について報告した。その要旨と構成は、つぎのとおりである。
佐藤正人
■「国民国家日本の独島占領」 【要旨】
日本は他地域・他国侵略の過程で国民国家を形成した。
1868年の「維新」(王政復古)以後、日本は、自国に隣接した地域(アイヌモシリ、琉球王国、台湾、朝鮮……)を「併合」して領土とし、自国の国境をおし広げた。
国民国家日本は、領土拡大・国境線膨張の過程で、国民国家形成期の朝鮮(大韓帝国)の領土である独島を自国の領土とした。
さらに、第1次世界戦争のさなかに日本はミクロネシア地域を植民地とし、1930年代に朝鮮に隣接する中国東北部とモンゴル東南部を植民地として領土を拡大した。
その継続的な侵略による領土拡大を日本国民(天皇の「臣民」)のほとんどが肯定した。
194年代から国民国家日本は、「大東亜共栄」「大東亜民族協和」をスローガンとしアジア太平洋地域を支配しようとした。
近現代以前から、欝陵島も独島も朝鮮の範囲内の地域であった。朝鮮を植民地としようとする日本とロシアの帝国主義戦争のさ中に、日本は独島を自国の領土とし、その後、朝鮮全土を「併合」した。
1945年に朝鮮が独立し、日本は連合国軍に占領された。日本は1952年のサンフランシスコ講和条約発効後、独島再占領策動を開始し、いまもやめていない。日本の独島再占領策動は、現在の日本のアイヌモシリとオキナワにたいする植民地支配とつながっている。
日本の独島再占領策動および「北方領土返還」策動は、領土を拡大し国境線(および経済水域)をおし広げようとする帝国主義国日本の現在の他地域・他国侵略策動の一環である。
日本の侵略の歴史はいまも続いている。日本政府が「北方領土」と称しているクナシリ、エトロフ、ハボマイ、シヨタンを含むアイヌモシリは、アイヌ民族、ウイルタ民族、ニブヒ民族ら北方諸民族の大地である。
独島は、将来的には南北統一された朝鮮半島の国家の領上であり、現在は韓国の領土である。北部アイルランドはアイルランドの領土であり、パレスチナはフィラスティーン(パレスチナ人)の土地であり、ヨルダン川西岸地区はヨルダンの領上である。テ・アオ・マオヒはマオヒ人の、ニューカレドニアはカナク人の島々と海である。
独島史の国際的な研究・討論は、帝国主義諸国の他地域他国侵略・占領・植民地支配に対決する世界的な民衆の解放のインターナショナリズム実践の一環としておこなわれることが望ましい。
■「国民国家日本の独島占領」【構成】
はじめに
一、欝陵島・独島史
(1)欝陵島・独島は朝鮮の地域
(2)欝陵島・独島侵略史
①、和寇・和人の欝陵島侵入
②、日本人による欝陵島・独島近海漁業資源の収奪
③、国民国家日本の独島占領
二、国民国家と国境
(1) 国民国家日本の東西南北
A、「8・15」まで
①、北方
②、南方
③、東方
④、西方
⑤、中国東北部、モンゴル東南部、華北、香港、海南島
⑥、「大東亜共栄圏」
B、「8・15」以後
①、国民国家日本の領土縮小
②、再占領策動開始
(2)分断された国民国家大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の国境
(3)中国、ロシア、モンゴルの国境
三、帝国主義国の領土と国境
(1)帝国主義国の国境と旧植民地の国境
(2)国際法と国境問題
四、現在の課題
(1)日本人歴史研究者の課題
(2)共通の課題(解放のインターナショナリズムをめざす課題)