三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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国民国家日本の領土と「周辺」 12

2012年09月30日 | 個人史・地域史・世界史
■(二) 帝国主義国の領土拡大と殺戮
 15世紀末のコロンブスのアメリカ到着以後、西ヨーロッパの白人は、南北アメリカでインディヘナ虐殺、資源掠奪、破壊をくりかえした。16世紀から数世紀にわたって、アフリカ大陸からアメリカ大陸に多くの民衆が奴隷として強制連行された。1700年代中期からアリューシャン・アラスカ地域に侵入したロシア人は、アレウト人を虐殺し、その大地を奪った。アメリカ大陸各地の鉱山では、インディヘナが強制労働させられ、多くの人が生命を失なわされた。
 この西ヨーロッパ白人とロシア人による侵略・虐殺の時代に続く、19世紀から20世紀前半までの国民国家の領土・植民地拡大の歴史は、他地域・他国侵略の歴史であった【註1】。
 その歴史のなかで、侵略された地域・国家の民衆が、殺され、傷つけられ、家を焼かれ、穀物や家畜を奪われた。タスマニア島では、その地に住む先住民族が、侵入してきた白人によって狩猟労働と生活の場(森林・草原)を破壊され、白人が持込んだ病原菌によって病死し、さらには虐殺された。白人の人類学者らは、タスマニア島の先住民族の遺骨を墓地から盗み、「絶滅した人種」の標本としてヨーロッパ各地の博物館などに売却した【註2】。イスパニョーラ島西部では、先住のインディヘナのほとんどすべてが死に、その地は、アフリカから強制連行された黒人の国家(ハイチ。1804年「独立」)となった。

 19世紀後半以後、ヤマト民族(和人)は日本の「周辺」を侵略し、領土・植民地を拡大し、その過程で、日本国民と日本語を形成してきた。国民国家の他地域・他国侵略には、国民的同意が必要である。国民的同意の形成過程は、国民の形成過程でもあった。
 国民国家の発展、資本主義体制・帝国主義体制の強化の精神は、他地域・他国の民衆を殺戮し、他地域・他国の資源を略奪することを肯定する精神・思想であった。この精神・思想を国民的に形成することなしに、国民国家は他地域・他国侵略を継続することはできない。国民国家日本においてはこの精神・思想の根幹は、天皇制であった【註3】。
 天皇(制)に統合された日本国民(天皇の「臣民」)は、領土拡大を喜び、さらなる領土拡大を望んだ。
 領土拡大のためには、国民国家の国民は先住民族を抑圧し、しばしば殺戮をおこなう。国民国家の「発展」は、先住民族虐殺を肯定するイデオロギー装置が必要であった。アイヌモシリに侵入したヤマト民族は、アイヌモシリの自然を破壊し、アイヌ民族の生活と労働の場を荒らし、病原菌をもちこみ、コタンを衰退させ、鹿猟や鮭漁を禁止して生活を成り立たなくさせた。アイヌ民族の人口は、激減した。
 日本政府は、アイヌ民族からアイヌ語を奪い、名前を日本式に変えさせ、アイヌ民族の伝統的な儀礼・習俗・芸能を変質・解体させ、日本に「同化」させようとしてきた。
 だが、アイヌ民族は、アイヌモシリを日本領とすることに同意したことはなかった。アイヌ民族は、自由意志でみずからの名前を日本式に変えたのではなかった。アイヌ民族は、アイヌ語を自らの意志で日常生活で使わなくなったのではなかった。
 アイヌモシリと琉球でやったことを、日本国民は、台湾でも朝鮮でも「南洋群島」でもおこなった。もし、日本国民に他地域・他国民衆に対する共感があれば、国民国家日本は、他地域・他国侵略・植民地支配をできなかっただろう。
 だが、日本国家の他地域・他国侵略によって経済的・政治的・社会的に恩恵をうけ、侵略・資源掠奪・領土拡大による利益を拒否できない日本国民は、侵略・資源掠奪・領土拡大・民衆虐殺を恥じる人間的モラルを喪失していった。恥を知ることができず、侵略を合理化する思想・感性の根源は、天皇(制)であった。

 フランスとの戦争に勝利したプロイセンが、22個の君主国と3個の「自由市」を統一して1871年に形成した国民国家ドイツは、アフリカ・アジア・太平洋の諸地域・諸国を侵略して領土・植民地を拡大した。1904年に、アフリカ南部のナミビア(1884年にドイツの領土とされていた)で、ヘレロ民族がドイツの侵略に抗して烽起したとき、ドイツ軍は、ジェノサイドをおこなった。このときヘレロ民族の8割が死亡したという。その翌年1905年にタンガニイカ民衆(マトゥンビ民族、エンギンド民族、ボゴロ民族、エンゴニ民族ら)が開始したマジマジ烽起の時にも、ドイツ軍は1907年までに10万人を越える民衆を虐殺した。国民国家ドイツは、第2次世界戦争時のユダヤ人虐殺に関しては国家として謝罪しているが、アフリカ・アジア・太平洋でおこなった歴史的犯罪の歴史的事実をいまなお明らかにしようとせず、ナミビアやタンガニイカの民衆に対して謝罪も賠償もしていない。
 1948年に、ユダヤ人シオニストは、パレスチナを占領し国民国家イスラエルを建国した。その後、シオニストがパレスチナの民衆に対しておこなった犯罪(レバノンの居住区への無差別爆撃、占領地のパレスチナ民衆に対する暴行・迫害、占領地へのユダヤ人大量移民)は、アメリカ大陸に侵入した白人がインディヘナ民衆に対しておこなった犯罪を20世紀後半に繰りかえすものであった。
                                    佐藤正人

【註1】
 金静美「東アジアにおける反日・抗日闘争の世界史的脈絡」、『中国東北部における抗日朝鮮・中国民衆史序説』現代企画室、1992年、参照。
【註2】
 細川弘明「タスマニア先住民族の土地権と文化権の現状」、『先住民族の10年ニュース』13、先住民族の10年市民連絡会、1995年、参照。
 アイヌモシリ侵略機関のひとつである北海道大学には1000体を越すアイヌ民族の骨が集められ、人類学者などによって「研究」され、医学部に放置されていた。さらに、1995年7月に、北海道大学文学部の「標本庫」に放置されていた6体の頭蓋骨が、アイヌ民族の一人によって偶然発見された。そのうちの3体はウイルタ民族であり、「南樺太」の墓地から盗みとったことを示すメモが付けられていた。また、他の1体には、墨で「韓国東学党首魁ノ首級ナリト云フ」と書きつけられていた(山本一昭・小川隆吉「人骨研究にみる北大の侵略・植民地主義」、『飛礫』11号、つぶて書房、1996年、および『古河講堂「旧標本庫」人骨問題報告書』北海道大学文学部古河講堂「旧標本庫」人骨問題調査委員会、1997年、参照)。
【註3】
 金静美「侵略の時代をおわらせるために」、『水平運動史研究ーー民族差別批判ーー』現代企画室、1994年、参照。
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