京都では南座の「まねき」が師走の風物詩になっています。「まねき」とは、毎年11月末から12月末までの「顔見世興行」で掲げられる出演者の看板。
その昔、劇場と役者が1年契約だった頃、「今年はこれらの役者で興行します」というお披露目の意味で掲げたのが始まりだそうで、独特の勘亭流の文字で書かれています。
「まねき」の材はヒノキ。長さ180m、幅32cmの板に、艶出しのために日本酒を混ぜた墨で書くそうです。板は1回で捨てるのではなく、削り直して5回くらい使うとか。
「まねき」の1枚目が座主、2枚目が主役、3枚目が準主役というところから、「二枚目」「三枚目」という言葉が生まれたといいます。現在は昔とは並び方が違うようです。
(南座の前にはオバサマたちがいっぱい並んでいました)
南座で使われているヒノキは「まねき」だけではありません。昔から「檜舞台」と言うように、実際の舞台もヒノキで造られています。しかも、木曽ヒノキの立派な材で、舞台に立つといい香りがするらしいです。
また、舞台や花道に置く所作台という道具もヒノキ製。3尺×12尺もの大きなこの台を置くと、役者の足の滑りがよくなって、足拍子がよく響くそうです。
芝居が始まる前には、「柝(き)」と呼ばれる拍子木が打たれますが、これはシラカシ製。材木の芯を中心にして、左右対称に木取りしたものがいい響きを出すとか。また、表面がザラついたら割ったガラスで削って丁寧に手入れするそうです。
(左が信二郎改め二代目中村錦之助のまねき)
今年の顔見世興行では、二代目中村錦之助の襲名披露が行われています。映画俳優の初代中村錦之助(後の萬屋錦之助、中村獅童の叔父)がまだ歌舞伎役者だった頃、顔見世興行に出演したことがあるらしく、この名前が「まねき」として上がるのは55年ぶりだそうです。
その昔、劇場と役者が1年契約だった頃、「今年はこれらの役者で興行します」というお披露目の意味で掲げたのが始まりだそうで、独特の勘亭流の文字で書かれています。
「まねき」の材はヒノキ。長さ180m、幅32cmの板に、艶出しのために日本酒を混ぜた墨で書くそうです。板は1回で捨てるのではなく、削り直して5回くらい使うとか。
「まねき」の1枚目が座主、2枚目が主役、3枚目が準主役というところから、「二枚目」「三枚目」という言葉が生まれたといいます。現在は昔とは並び方が違うようです。
(南座の前にはオバサマたちがいっぱい並んでいました)
南座で使われているヒノキは「まねき」だけではありません。昔から「檜舞台」と言うように、実際の舞台もヒノキで造られています。しかも、木曽ヒノキの立派な材で、舞台に立つといい香りがするらしいです。
また、舞台や花道に置く所作台という道具もヒノキ製。3尺×12尺もの大きなこの台を置くと、役者の足の滑りがよくなって、足拍子がよく響くそうです。
芝居が始まる前には、「柝(き)」と呼ばれる拍子木が打たれますが、これはシラカシ製。材木の芯を中心にして、左右対称に木取りしたものがいい響きを出すとか。また、表面がザラついたら割ったガラスで削って丁寧に手入れするそうです。
(左が信二郎改め二代目中村錦之助のまねき)
今年の顔見世興行では、二代目中村錦之助の襲名披露が行われています。映画俳優の初代中村錦之助(後の萬屋錦之助、中村獅童の叔父)がまだ歌舞伎役者だった頃、顔見世興行に出演したことがあるらしく、この名前が「まねき」として上がるのは55年ぶりだそうです。
歌舞伎役者の追っかけをするなんて、bulbulさんの叔母様たちはセレブですね。
南座の前のオバサマたちを見て、「この人たちが日本の伝統芸能を支えているんだ」と思いました。
老夫婦がまねきを背景に写真を撮ったりしていました。多分、地方からも観に来られているんでしょうね。
というか、そういう考えが昔の人には普通に備わっていたんでしょうね。
こちらではよく言うせりふですが、そろそろ木の利用法について
真剣に社会で考えるようになってもらいたいものです。
多分、木曽ヒノキのいい材料を使っているはずですから、まねきとして使わなくなったら、別の用途にリユースしていたのではないでしょうか。
舞台に、集積材や合成樹脂を使ってるホールは、「檜舞台」じゃないから、というよりも「舞台に釘が打てないし、穴を空けることもできない」ので、二流の劇場って見られます。
そう言えば、私が数日前にコンサートを観に行った舞台は集成材でした。演劇よりもコンサートの多いホールでしたが…。
「戻りがいい」というのは、舞台に大道具などを釘で打って、終演後に抜くときに抜きやすいという意味ですか?